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作品ID:566

こちらの作品は、「批評希望」で、ジャンルは「一般小説」です。

文字数約44842文字 読了時間約23分 原稿用紙約57枚


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白銀 ■バール 


こちらの作品には、暴力的・グロテスクな表現・内容が含まれています。15歳以下の方、また苦手な方はお戻り下さい。

小説の属性:一般小説 / 未選択 / 批評希望 / 初級者 / R-15 /

ウィルとリンカーの繋ぐ世界

作品紹介

――世界の要素「エレクトル」に干渉できる力をもった少年の不思議な成長物語――

『バグ』とは、世界の要素が意図せざる結果を導き生じた現象、モノの総称である。バグにより狂った獣によって両親を亡くしたウィルは、育った小さな村で、『リンカー』と呼ばれる世界の要素に干渉できる道具を知る。
幼馴染の少年と共にリンカーの教育機関に入ったウィルは、いずれ育った村に貢献したいと、日々の生活を精一杯送っていた。そんなある日、ウィルたちは、大きな事件に巻き込まれてしまう。
------------------------------------
・完結させること
・登場人物に生きた感覚を与えること
・物語の因果関係を明確にし謎を残した印象を与えない(伏線を回収する)こと
・ベタな展開であっても陳腐さを感じさせないこと
を目標としています。途中まででも読んで頂けたなら、どの辺まで読めたかだけでもコメントいただきたいです。「批評希望」としていますが、「激辛」でも、その他一言二言でも嬉しいですので、よろしくお願いいたします。


プロローグ 出会い

 ずぶ濡れになって身体に吸い付く衣服の感覚と、瑠璃色に煌めく腕輪が放った一閃が、何年経った今も僕の頭から離れない。
 人の記憶の初めはいつ頃なのだろう。生まれてすぐの記憶が残っている人もいるというけれど、僕の場合は、孤児院での六歳ごろの記憶だ。

 僕の親は、「バグ」という狂った獣に殺されてしまったと、孤児院のクレアさんから聞いた。
 大きな山脈の一部を切り開いたプレシア村は、山越えをするための拠点であって、多くの旅人が訪れる。しかし村自体は、森で狩りをしたり、野草を売ったりで切り盛りする数十人が暮らす程度の小村であった。
 孤児院は、そんな村の入り口の近くに、丸太を編んで建てられている。
 今考えると、孤児院というにはあまりにも小さい、気の優しい夫婦が、数人の子どもたちを世話する所だった。
 多くは、僕と同じように「バグ」によって親を亡くした子たちだったけれども、エルスは、少し事情が違っていた。

 光の加減では銀雪のような色をした長い髪と、少し垂れ下がった眦によって、初めて彼を見たときは、優しそうな印象を受けた。
 けれど、その瞳には輝きはなく、けだるく、憂鬱そうであった。
 彼は、雪のちらつく寒い日に、孤児院の前に捨てられていたとのことだった。誰が言ったか何て分からないけども、小さな村だから、そんな噂は一瞬で広まった。


 思い出されるのは、エルスが、狩場に向かう途中にある小高い丘で、村の子どもたちに雪玉をぶつけられていた光景だ。
 正義という言葉なんて知らなかったし、今だったら、一対多数なんて大丈夫かと、打算だって考えてしまいそうだ。
 けれど、その時の僕は、一人の男の子を寄ってたかって囃し立てるのに心底腹が立った。

「何やってんだ!」
 そう叫んで、一番背が高くて、体格の良い男の子の前に立つ。
 今見たら、子ども同士の喧嘩なんて、微笑ましいと感じるかもしれない。けれど、そのときの僕の心臓は、怒りと緊張と興奮とで、破裂しそうに激しく鼓動していた。
「なんだ、お前」
 背の高い男の子が僕を睨む。
「そうだ、邪魔するな!」
「『ばいじょ』の子どもに、バツを与えるんだ!」
 取り巻きの男の子たちも口々にいう。
 売女なんて言葉、今でもよく分からない。どこで聞いたことだか。大よそ、彼らの親たちの心無い噂話を断片的に聞きかじったのだろう。

「僕だって親はいない。それは僕たちがイケないわけじゃない。ダメなことでも、悪いことでもない!」
 とか、なんとか、言ったと思う。子どもの言葉だから、きっと拙いものだったと思うけども、相手は顔を真っ赤にして、拳を高く振り上げた。
 ――殴られる前に、あの鼻っ面に一発かましてやる!
 僕も身構えて拳を引く。
 その瞬間だった。

 僕ら全員は、冷たい大量の水を頭からかぶり、びしょ濡れになった。

 何が起こったか分からず、ふるえる体を両手で抱き、顔をあげる。
 澄み切った空気に舞い散る水滴が煌めく中、碧い光が目に飛び込んできた。
 見れば、超然と佇む一人の男。
 光は、男の身に着ける腕輪から発せられている。
 碧色の腕輪は、まるで緑柱石の宝石のように綺麗だった。



 その男は、プレシア村を訪れた旅人だった。
 各地を周り、バグを退治する「バスター」という仕事をしているらしい。
 彼にしてみれば、単なる気まぐれだったのかもしれない。
 しかし、颯爽と現れて僕らの喧嘩を止めたその人は、幼心に一瞬で尊敬と憧れの念を植え付けた。

 仕事に向かう途中だというその人は、あまり取り合ってくれなかったけれど、

・大量の水を一瞬で発生させたのは、「リンカー」と呼ばれる腕輪の力であること
・「リンカー」を使えるようになりたいのであれば、「マドラサ」という場所に行くこと

 を、教えてもらうことができた。


 旅人と別れた後、僕とエルスの二人は、孤児院への帰り道を歩いていた。
 衣服は既に、これまた旅人のリンカーの力で乾かしてもらっている。

「ありがとう……」
 しばらく黙していた銀髪の少年の初めての言葉だった。
「なんてことないよ。それより、ひどい奴らだね」
「仕方ないよ、ボクは、捨てられたんだから……」
 そういってまた、エルスは俯いた。
 表情は伺いしれなかったが、深い諦めの心が伝わってきた。
 そういえば、雪玉をぶつけられていたときも、声を出すことも無く、彼はただずっと耐えていた。
 僕が飛び出したのは、そんな姿が、可哀そうになったからだったのだろうか。
 同情、だったんだろうか。
 何と言っていいか分からず、また無言のまま僕たちは歩き続ける。

 見慣れた、寒風に長年さらされた木で造られた家が見えてきた時、エルスはぽつりと呟いた。
「君も、もうボクになんて構わない方がいいよ……」
「っ! そんなことあるもんか!」
 反射的に叫んだ。
 何のために生まれてきたかなんて、分からない。世界にはきっと、もっともっと、大変なことだって多いだろう。
 それでも、生まれてきたからには、楽しまなきゃダメだ。
 いじめられて、諦めて、それで死んじゃうなんて、絶対ダメだ。

 すぐ先に見える孤児院を指して僕は言う。
「僕は、大きくなったら、この家を、もっと大きくするんだ。僕らのような、親をなくした子たちに、もっと世界は楽しいものなんだって、たくさん、教えてあげるんだ」
 無意識のうちエルスの前に立ち、彼の両手を握りしめていた。
「あの男の人が使ったの見ただろ? よく分からないけど、マドラサってところに行けば、使えるようになるんだ。きっと色んなことができるようになる。世界ってきっと、とっても楽しいんだよ」
 落ち込んでいる相手に対して、残酷なことを言っている気もした。
 自分の思っていたことを勢いで口にしただけで、彼の気持ちなんて何も考えていなかった。
 けれど、僕はエルスに、少しでも前向きになって欲しかった。
「ねぇ、君は、おっきくなったら、何かしたいことはないの?」
 僕の問いに、エルスは、ゆっくりと顔を上げた。
 背丈が同じくらいの僕たちは、同じ高さで視線が合う。
 陰鬱な瞳の色に、少しだけ灯がともったようにみえた。
「そしたら、ボクは……。君についていきたい」
 その目の端には、うっすらと涙が溜まっている。
 主体的な望みではないかもしれない。それでも、エルスが前を向いてくれたことが、僕はただ嬉しかった。
「うん! 改めてよろしく。エルス!」
 握った両手に力を込めて僕は言ったのだった。



第一話 初めての授業

 幼い日の決意を込めた追憶をしまいこみ、僕は自分の右腕に視線をやる。
 濃い緑と、青色が混じった色の腕輪が映る。
 指三本くらいの太さで、装飾などついていない平易な腕輪は、小石くらいの重さしかない。

 隣の丸椅子に座る少年に目をやれば、自分と全く同じ腕輪を身に着けている。隣の少年だけではない。
 石造りの十人程度が収容できる部屋には、十代の少年少女たちが座っているが、皆同じように、青い腕輪を着けている。それどころか、正面に立って話しをしている大人の男性もそうだ。

 ――マドラサ。
 この国の、とある地方で産出される特殊な鉱石で作られる「リンカー」を認可する機関。
 そして、リンカーの使い方を教えてくれる教育機関でもある。

 僕とエルスは、プレシア村で数年を過ごしたのち、リンカーの学校に入ることができた。
 リンカーは、元々はバグを討伐するための技術から生まれたのだという。しかし、リンカー自体も、使い方を誤ると大きな事故つながることがあるため、国が認定した人にしか渡されない。
 その認定と教育を兼ねたところの総称を、マドラサというのだ。

 マドラサには、二つの生活の仕方がある。
 一つは、ふつうに自分の家から通って、勉強をする「ダイレクト」という方法。
 もう一つは、実際にリンカーを使った仕事の手伝いをしながら、勉強もしていく、「オルタ」という方法。
 毎年、認定を受けられなかった人と新しく入学する人は二十名ぐらいで、大体は、半分がダイレクト、半分がオルタだそうだ。
 プレシア村から遠く離れたこのテレシアの町に、何もツテがない僕たちは、自然と二つ目の方法で、入学することとなった。
 入学のときは、ある程度お金が必要だけれども、仕事の補助をすることによって、何とか生活していくためのお金を稼ぐことができるからだ。

 いよいよ始まろうとしている新しい生活に、心配なことは多いけれども、僕は期待で胸がいっぱいだった。
 単なる壁もよく見れば、隙間なく何層も積み重ねられた石材から、趣のある荘厳な印象を受ける。
 周りに座っているクラスメイトたちは、年齢、髪や目の色など容姿も様々だ。
 僕らのように遠くの町や村から来ている人はいるのだろうか。

 一人ひとり自己紹介をしている中、そうやって辺りを見回していると、一瞬、赤い髪の気の強そうな女の子と目があった。
 僕はあわてて目をそらす。何がきっかけで、相手の気分を損ねるかなんてわからない。
 認定を受ける人数は決まっているわけではなく、一年後の試験による絶対評価で決まるから、全員がライバルというわけではない。
 とはいえ、これから長い期間を一緒に過ごすのだから、できる限り皆とは仲良くやっていきたいものだ。
 
「――さて、自己紹介が終わったところで、皆に最初の問題だ。皆が今日身に着けたリンカーは、バグを倒す武器でもあり、私たちが生活するための、様々な物や道具を作り出せることは既に知っているだろう。ではそもそも、リンカーとは、本来どのような意味があるのだろうか?」
 僕たちの前に立って話しをしているのは、リンカーを使用した訓練を行うライン先生だ。
 まだ二十代といった若い印象ではあるが、纏う雰囲気には力強さが感じられる。
 先生は、少し漠然とした質問を投げかけると、新しい教え子たちの顔を見渡した。

「エルス、どうだ? 聞いたことはあるか?」

 先生の視線が僕とあったようで一瞬背筋がピンと伸びたけれども、呼ばれたのは僕の横に座っていたエルスだった。
 エルスは、緊張した面持ちで顔をあげた。とはいえ、それが本当に緊張しての顔なのか、単純に表情の動きが少ないせいなのかは、ずっと一緒に過ごしてきた僕にも、未だに分からないときがある。

「はい。リンカーとは、もともとは、『繋げるもの』という意味をもっています」
 凛とした、しかし男の子にしては少し高く感じる声が教室に響く。

「そのとおり。よく分かったな」
 ライン先生が頷くと、「おぉ、すごい」と、どよめきが起こった。

「エルスが言ってくれた通り、リンカーには元々『繋げるもの』という意味がある。では、それが繋げるものとは、何と、何だろうか。――エルスの横に座ってるウィル、どうだ?」

 今度こそ、ばっちり先生と目があった。
「え、えっと。確か……」

 リンカーが、僕たちの生活になくてはならないものだというのは、この国に住む人たちであれば、何となく分かっている。突如として僕たち人間の領域を侵すバグに対抗するための武器であるということはもちろん、今僕たちが座っている椅子や壁、さらには普段口にする食べ物までもが、リンカーが使われていることがあるのだ。
 とはいえ、まだまだリンカーを使える人は圧倒的に少ないため、ほとんどの人は、それがどういった使われ方をしているのか、どういった仕組みなのかなど分からないだろう。
 僕とエルスは、プレシア村を訪れる旅人達に機会をみて話しを聞かせてもらい、マドラサやリンカーのことを教えてもらった。
 難しい話で完全に理解はできなかったけれども、

・世界は、様々な要素でできている。
・その要素の繋がりや形を、変えてやることができるのが、リンカーの力である。

 といったことを聞いていた。
 その力を使うのは、リンカーを使う僕たち自身なのは明白。
 そう考えていけば……。

「僕たちの頭の中のイメージと、『世界の要素』とを繋げてくれる、ということでしょうか?」

「――正解だ、ウィル」
 当たっていたらしい。
 僕はほっと胸をなでおろす。と同時に、再び大きなどよめきが聞こえた。
「うんうん、今年の生徒たちは優秀なようだな」
 わざとらしく腕を組んだ先生は、満足そうに頷いてみせた。
 褒められたことは素直に嬉しかったけれど、先生がもう僕たちの名前を憶えているということにも、少し驚いた。
 今日が初めての授業であって、先ほど自己紹介をしたばかりというのに、もう憶えてしまったということなのだろう。
 やはり先生だ、しっかりしている人のように感じる。

「今ウィルが答えてくれた『世界の要素』というのは、『エレクトル』と言ったりもする。
 世界は、火や水、土や空気といった様々要素で溢れているわけだけれども、その根源に流れているのが、エレクトルというわけだ。
 そして、私たちの想像力を、そういった要素に伝えてくれるのがリンカーの役割だ。そうして作られた道具などを、『作品』と呼ぶことを知っている人もいるだろう。
 その力の伝え方には、『形質変換』と『要素変換』の二つがあるわけだが……」
 そこまで言ったところでライン先生は部屋を見渡し、顎に手をやった。
「既に眠そうな奴もいるなぁ。
 まぁ、ずっと座りっぱなしじゃあ飽きてしまうだろう。よしみんな、外の訓練場に移動するぞ」



第二話 まずは形質変換

 訓練場へ移動するため、僕たちはぞろぞろと廊下を歩く。
 窓が小さい廊下は日中でも薄暗いけれど、高くなった日の光が差し込み、奥深い陰影を作り出している。
 僕たちの学び舎であるマドラサは、石造りの二階建てだ。下級クラスは一階にあり、中級クラスと上級クラスは二階にある。移動中に、二階に上がっていく人たちをみると、やはり体格も一回り違って見えた。

「ウィルくんって言うんだね。さっきはすごかったね!」
 自分の名前を呼ばれて振り向くと、先ほど教室で目があった女の子が立っていた。
 女の子にしては短めに切りそろえられた真紅の髪と、ややつり上がった目じりから、気の強そうな印象を受ける。
 袖の無い服は、明るい髪の色とは対照的で落ち着いた紺色。しかし、露わになった肩から伸びる腕は、日に焼けて健康さを醸し出していた。

「えっと、すごいって、何が?」
 振り向いたまま硬直していると、笑顔とともに、すらりとした腕が僕に差し出された。
「私、ルーシー! 何が、って、先生にいきなり当てられて、ちゃんと答えられたことに決まってるよ。私なんて全然分からなかったもの」
 ルーシーは全然悔しそうじゃなく笑った。
 気が強そうだと思ったのは確かだけど、彼女の快活な言葉と表情で、僕もようやく落ち着いて、差し出された手を握った。
「よろしく、ルーシー。こっちはエルスっていうんだ。僕ら、今年初めて、プレシア村ってところから来たんだ」
「エルスくんだね。よろしくね!」
 ルーシーは、エルスにも手を伸ばす。エルスは、「よろしく」と挨拶し握手した。相変わらず表情はあまり変わらない。さすがだ。
「私たちも、ローグの町から初めて来たから、ちょっぴり不安だったんだ。仲良くしてね」

 ん? 私、たち?
 と、僕が疑問に思ったすぐさま、ルーシーは一歩下がり、彼女の後ろに立っていた少女の肩を抱いた。

「……ええと、シルファと言います。よろしくお願いします」
 ふわりと揺れた銀髪は、雪が舞ったように綺麗だった。
 銀色の、肩まで伸びる長い髪の女の子は、頭を下げたあとも俯きがちで、表情はよく分からない。けれど、薄紅の唇が揺れているのと、きゅっとすぼめられた肩から、緊張していることが見て取れた。
「シルファか。よろしく」
 今度は僕の方から手を差し出す。するとシルファは、おずおずと手を伸ばしてきた。
 まったく正反対に見える二人の女の子。まさか、姉妹じゃなさそうだけれども、どんな関係なんだろう。
「二人も、『オルタ』で入学したの?」と尋ねると、ルーシーは頷いた。
「授業と仕事も、とは大変だと思うけど、やっぱり、早くリンカーを使えるようになりたいし、何より……」
「「お金がないからね」」
 言葉がかぶり、顔を見合わせ、僕たちは笑う。
 やっぱり、同じような目的と境遇でこっちに来る人たちっているんだな。マドラサに入学する人は、オルタの制度ができてから倍になったという。これから、リンカーを使える人も、もっと増えていくんだろう。
「おーい、何してるんだ?」
 そうやって四人で話していると、前を歩くライン先生の呼ぶ声が聞こえた。
 僕たちは慌てて、駆け足で先生のもとへと向かった。





 マドラサの敷地内にある訓練場に着くと、赤茶けた土が広がる。遠くおぼろげに、数軒の民家が見えるほどの平地だ。ところどころには雑草が生い茂り、小石なども落ちていて、無骨な印象もある。
 訓練場の中ほどに集まった僕たちは、片手でもてる程度の木片を一人ずつ渡された。
 男の子の中には、早速振り回して遊ぼうとする子もいて、先生から叱られていた。

「さ、皆、木の端はいきわたったな。リンカー使い方で初めに学ぶのは、『形質変換』だ。まずは私がやるのをよく見ているように」
 ライン先生は、リンカーを身に着けた右の手のひらを、上に向けて木片をもった。
 唇がきゅっと結ばれ、力を込めるように顔がしかめられた。

「リンカーの色に注目してなさい」
 先生の言葉で右腕に注目すると、リンカーの青色は、徐々に黒みを帯びて、紫色へと変わっていった。
 同時に、手の上の木片は徐々に形を変えていく。
 この場全員の視線が一点に集まったに違いない。
 堅い木片が、まるで水が流れるように揺らいでいるのだ。
 強い光など何も発していない。
 ただ純粋に、柔らかい粘土をこねて形作っている感じ。

 ――ほんの数秒のうちに、粗雑な木片は、小さなコップの形へと変わった。

 ざわついていた子たちもみんな静かになった。口をぽかんと開けている子さえいた。
 僕自身も、初めてリンカーの力を見たわけではないけども、作品が作られる工程をこれほど間近で見たことなんてなかったから、本当に驚いた。
「先生すごい!」
 誰かが発した声を皮切りに、先生の周りには人だかりができた。
 何人かは先生の近くに行って、コップに形を変えた木片をもって、太陽に透かしたり突っついたりと、もの珍しそうに触っている。

「まぁ、ホントにこれは初歩だがな」といいつつも、少し照れたようにライン先生は頭をかいた。
「さきほど教室で言いかけたけれども、リンカーで力を加えるのは、二つの種類がある。今やってみせたのは、形質変換といって、既にある物質に対して形や重さを変化させるやりかた。
 もう一つは、要素変換といって、こっちは難しいからまだやらないが、いずれ勉強することになるから、言葉は覚えておくように」

 けいしつへんかん、と、ようそへんかん……と、心の中で復唱する。
 ええと、形質変換が、形を変える力を加えるということは、もう一つの要素変換というのは、一体どんな力を加えるんだろうか。形や重さを変えるというのは何となく分かるけれど、要素自体を変えるなんて、まったく想像がつかない。
「さぁ、実際にやってみよう。木片を握って、頭の中で、普段使っているコップをイメージするんだ」

 よし、とにかくまずは実践か。
 先ほど先生がやったのを真似て、手に持った木片を右手にのせる。
 目を瞑って、コップの形を、頭の中にイメージ。
 コップ、コップ、コップ……。

 ――と、いつも使っているはずのものなのに、いざこうやって頭の中にイメージを作り出そうとすると、明確な映像をなかなか描けない。
 浮かんでは消え、浮かんでは消えといった感じ。細部に意識を集中すると、全体がぼやけてしまう。

 できるだけ、余計なことは考えないようにしよう。
 少し離れた位置で、机に置かれた一つのコップをイメージ……。

 すると、体の中で流れているものが、僕の右手に集まっていくような感覚が生じる。びりびりと、少しばかりしびれるような感覚だ。
 驚き目を開けてリンカーを見ると、青色が少し濃くなっている気がした。
「コップのイメージが頭の中で描けたら、そのイメージを木片に流し込むようにするんだ」
 ライン先生の言葉が聞こえる。
 なるほど、頭の中で描いたコップのイメージを、リンカーを通じて、実際の木片に流し込むということか。
 頭と、右手と、木片を、一本の線で結ぶような感じかな。
 そんなことを考えていると、ますます、リンカーの色は濃さを強くしていき、紫色に変わった。
 体の中をびりびりと何かが弾けるような感覚がはしる。
 初めての感覚ではあるけれども、手ごたえを感じた。
 ここだ!
「いっけぇ!!」
 描いたコップの形を、木片に叩きつけるイメージをする。
 木片の形はおもむろに変化し始めて、やがて中が空洞の塊になった。

「これ、コップ……なのか?」
 僕が普段使っているコップは、取っ手がついた奴だったのだけど、できあがったのは、ごつごつと角ばった物体だった。まぁ、コップといえなくはないと思うけれども、少し不細工過ぎて恥ずかしい……。
 そう思って遠慮がちに周りを見渡すと、しかし、まだほとんどの子たちは、木片の形が変化すらしていなかった。
 近くに立っていたルーシーは、目立つ真紅の髪を揺らしている。
 目を瞑ってうんうんと唸り声をあげながら右手を上下に振っているが、悲しいことに木片はそのままの形を維持していた。
 隣のエルスを見れば、リンカーの色はやや黒みがかってきてはいるが、木片の形を変えるには至っていない。

「お、ウィル、早いな。最初が結構難しくて、みんな苦労するもんなんだが」
 先生が近くにやってきて、僕の初めての作品を手に取った。
「うんうん、立派なコップじゃないか! まずはおめでとう!」
 先生が大きな声でいうと、「おぉすごい!」「もうできたんだ!」などと声が飛んできた。まだあまり知らない人たちから注目されるのは、ちょっと恥ずかしいな……。できあがったのもこんな形だし。
 とはいえ、初めて作品をつくることができたのは、素直に嬉しかった。

「作品を完成させるには、より固く、より長く、より強く、より鋭く……と、作る人のイメージ力が重要だ。そして、一度イメージしたものは固定化して、余計なことを考えないこと。それがコツだよ。
 さ、みんなもう一度やってみよう」

 イメージを固定化する、か。確かにさっきは、一度イメージができたあとに、しびれるような感覚でイメージがぶれてしまった。
 もう一度コップの形を頭の中に描いたけれど、まだあやふやなままイメージをぶつけちゃった気がするな。
 よし、もう一度やってみるか。
「はい、それじゃあウィルはこれ」
 そう思って、初めての作品にもう一度力を込めようとすると、ライン先生は別の木片を手渡してきた。

「あれ? 先生、これは?」僕は首をかしげて先生を見上げる。先生は口元に笑みを浮かべた。
「もう一度きれいに作り直そうって考えたんだな。感心感心。だけど、それはまだ無理だな」
「どうしてですか?」
「純粋な要素のものよりも、一度『世界の要素』に干渉を加えたものの方が、変化に必要な力が大きいんだ」
 先生は僕の肩をぽんぽんと叩いて、「素質はあると思うから頑張るんだぞ」といって、他の子たちの方へ歩いて行った。



第三話 要素変換とは

 あっという間に半月が過ぎた。
 多くはエルスと一緒に過ごすことが多かったけれど、他に友達もできた。
 初日に出会ったルーシーやシルファはもちろん、テレシア衛兵団の父親に憧れて入学したギルバード。
 プレシア村出身ではないものの、僕らと同じ孤児であったというグリッジ。
 この二人も、僕と同じ、授業の他に仕事の手伝いも行う『オルタ』だったから、一緒にいることも多くなった。
 初日からこれまでは、午前も午後も訓練が中心だったけれど、いよいよ、明日からは、実際の「バスター」の仕事に同行することになる。
 僕ら四人は、これまでの復習をするため、マドラサの敷地内にある書庫にやってきた。

 マドラサには、教室のある建物とは別のところに、書庫がある。
 文字を書き残すための素材自体が貴重なため、本自体もとても高価なものだ。
 プレシア村にいたときはついぞ見ることは無かったし、このテレシアの町においても、マドラサの書庫以外に本を読むことができる場所は少ない。
 そのため、書庫は、マドラサに属さない一般の住民にも開放されている。書架のすぐそばには、いくつかの机が並べられていて、そこで本を読むことができるようにもなっている。

 僕は、授業の復習のため、『リンカーとエレクトル』と題された本をめくっていた。

(リンカーは、エレクトルとの橋渡しを行う。エレクトルとは世界の要素のことである。リンカーを適切に使うには、世界について知る必要がある。その一助となるのが、基本四素の構成である。万物は、要素から成り立っている。多くの物質は、火、水、土、風の要素が表象したものだ。さらに要素には、四つの性質がある。乾気、湿気、熱気、冷気。火は乾気と熱気の性質をもつ。土は乾気と冷気をもつ。水は湿気と冷気をもつ。風は湿気と熱気をもつ。エレクトルはそれらすべての要素や性質の根源である。
 人間の想像力を具現化するのがリンカーの役割だ。剣は、鉄で作ることができる。鉄とは、固い物質、展性があり光沢がある。そういった人々のイメージが固定化したものが要素である。イメージの仕方はそれぞれだが、現在は、ある程度理論化されている。その理論のことを『系』という……)

 文字を追うのに少し疲れて、顔を上げる。
 正面に座っていたギルバードも、おもむろに顔をあげて、肩をまわした。
「ウィル、エルス、この前のテストどうだった?」
 本を読むのに飽きたのか、彼はそう話しかけてきた。
 茶髪でやや吊り上った目。活発そうな印象。僕と年は同じだけど、背は頭一つ分も大きくて、体つきも筋肉がついてがっしりしている。
「ウィルは全問正解、満点」
 エルスが即座に応える。
「はー、やっぱりすごいな」
「……ウィルは、妙に勘が鋭い」
「妙に、は、余計だってエルス。というか、エルスだって満点じゃないか」

 マドラサでは、リンカーの使い方だけではなくて、体力づくりや剣術、読み書き計算の授業もあって、本当にあっという間だ。
 数ある授業の中でも、とりわけリンカーの授業は面白い。実技と座学は半々で、同じクラスの子たちは、実技の方が好きみたいだけど、僕は座学も好きだな。僕たちの世界が、どんなふうに成り立っているのか知ることができるのって、楽しいことだと思う。
 そしてそれが、今読んでいる本に書いているとおり、リンカーを上手く使うためにも役立つわけだ。

「二人ともほんとすごいんだなぁ」
 ギルバードの隣に座るグリッジが、肘を机にのせたまま呟いた。
 少しけだるげな雰囲気がエルスと似ている。
 鼻筋がシュッと伸びた端正な顔つきの男の子だ。
「ウィルは普段どうやって勉強してるんだい?」
 グリッジは、こちらに笑顔を向ける。雰囲気は似てるけど、こういった表情が豊かなところが、エルスと違うところだな。
「うーん、夜寝る前に今日やったことを思い返すようにしてるとか、……それぐらいかな?」
 授業がないときは、テレシアの町の方に遊びにいったりしてるから、これといって特別なことはしてないと思う。
「へー、寝る前に?」
 ギルバードの目に疑問が浮かぶと、「睡眠は記憶を定着させてくれるらしい」と、エルスが補足してくれた。
「そっか。エルスも成績良いもんな。俺は座学はあんまりだなぁ。体術とか、木とか土とかでババッと作品をつくる方が楽しいな」
 ババッというところで、両手を大きくバンザイするように挙げたギルバードの姿が面白くて、僕たちは思わず笑ってしまう。
 そして、そんな僕たちをみてギルバードも大きく笑い、――他の本を読む人たちの視線が気になって、僕たちは書庫を出た。

「明日からいよいよ仕事に同行するわけだからね。ライン先生、しっかり基礎が分かってないとついてけなくなるぞって言ってたから、不安だな」
 グリッジが歩きながらいう。
「大丈夫だって、俺、座学よく分からないけど、ちゃんとリンクできるようになったしな」
 ギルバードは顎を突き出して言う。
「あはは、ギルバードは、剣術とか体術得意だもんね! この前も先生に褒められてたし」
「おうよ! 俺、父さんと同じくテレシアの衛兵を目指してるからな。これくらいは当然よ」
 そう胸をはって答えるギルバードに、「その後の筆記テストで補習になってたけどね」といったら、肘で小突かれた。





 次の日の午前中、訓練場に集合した僕たちの前に立つライン先生の横には、一人の女の子が立っていた。
「上級クラスの、カエラと言います。今日は午後から、オルタの初めての仕事になるということで、お手伝いにきました」
 そういって女の子はおじぎをした。
 長いまつげと柔らかな眼差し。緩やかな曲線を描く眉からは優しい印象が感じられる。
 同時に凛とした佇まいで、所々の動作に優雅さが感じられる。高い位置でアップにした後ろ髪と、長く伸ばした揉み上げが礼をしたときに揺れていた。
「カエラはバスターの仕事の中でも、『デバッグ』が得意で、町での仕事も、この歳で数多くこなしている。今日も午後は同行してもらうから、顔合わせも兼ねてきてもらったわけだ」
 ライン先生が簡単に説明をする。
「それじゃあ、カエラよろしく」
「はい。では皆さん、早速ですが、『要素変換』というのがどういった系なのか、知っていますか?」
 カエラ先輩は、手を、お腹の下あたりで合わせたまま小首を傾げる。すぐさま、普段あまり積極的でない男の子たちの「はいはい!」という元気な声が響く。
 そして僕は、それを見たルーシーを始めとした女の子たちの、少し冷ややかな視線が気になった……。

 カエラ先輩は、一番前に立つ男の子に回答をお願いした。
「はい、『要素変換』は、世界の要素を変化させてバグを倒す系のことです」
「正解です。といいたいところですが、ちょっぴし、足りないところがあるので、説明しますね」

 流麗な鈴の音のような声は、僕たちの心に透き通るように浸透した。

 カエラ先輩がいうには、要素変換とは――。
 万物は様々な要素で構築されている。
 逆に言えば、それらの要素は変化する。
 堅い物質も、柔らかい物質に変えられることもある。固体が液体になることもある。
 それらは、万物の要素、エレクトルが形を変えて表象しているからだ。

 例えば、家を建てた後、何らかの影響で、エレクトルが変化をしてしまう。家の土台だったりすると、家はあっという間に崩落してしまう。
 バグ、とは、元々は、そうした普遍的だと思われていた物体が、意図せず変化して、悪い影響を起こすことをいっていたのだという。
 それが、家畜としていた動物にも発生して、人を襲うようになったことから、バグと、狂った獣とは同義にとらえられるようになったのだ。

「リンカーによって形質変換させた物体は、それだけで変化しにくいものとなります。けれども、エレクトルはどこにでもありますから、バグが発生する可能性がなくなったわけではありません。バグが発生する前に、もしくは発生しそうな状態を見極め防ぐことを、要素変換の中でも、『デバッグ』と呼ぶわけです。この町での、多くの仕事の一つですね」

 結構長い説明だったけれども、クラスのみんなも、飽きずに聞き入っていた。
 ライン先生の教え方が下手というわけではないけど、皆がこれほど静かに聞き入っているというのは珍しい。
 先生が、このこともねらってカエラ先輩を呼んだとすれば、策士だな。全然、ちょっぴりなんかじゃなかったし。

「では、せっかく訓練場にいますので、要素変換の少し応用編を実演したいと思います」
 そういってカエラ先輩は僕たちを見渡すと、ギルバードの方をみた。
「ライン先生、あの子に手伝ってもらってよいでしょうか?」
「ああ、分かった。ギルバード、ちょっと前に出てこい」
 何故自分が呼ばれたのか分からないといった顔をしたギルバードは前に出ていって、一、二メートルくらい離れた位置でカエラ先輩と向き合うように立った。
「ギルバードくん、それじゃあこの棒で、合図したら、思いっきり私を叩いてください」
「えぇっ?」
 どよめきが起こる。距離はほんのわずか。いくら体術が優れていたとしても、避けられるとは限らない。それも相手は細身の女の子だ。
「い、いいんですね?」
 いくら先輩とはいえ、こんな少女を棒切れでぶつなんて、さすがにギルバードもたじろいでいる。
「もちろん、これでも上級クラスですから、大丈夫ですよ」
 カエラ先輩は、片目をつぶり微笑む。

 ――しかしそのすぐ後に、柔和な眼差しが鋭く光った。
『不義の無類には超然たる壁を。ファイアウォール』
 短い言葉を発した先輩の正面には、虹色に光る幾何学な模様が描かれた半透明の壁が作り出される。
「ギルバードくん、どうぞ」
「い、いきますよ!」
 ギルバードは、思い切り棒を振り落とした。
 だが棒は、カエラ先輩にぶつかる直前、その半透明の壁に当たり、煙を一瞬あげたようにして消え去った。
「おお!」
 自然と拍手が起こる。
 棒を振るった本人は、額の汗を腕で拭った。豪放なギルバードも、さすがに万が一を考えて緊張したのだろう。

「今のは、ファイアウォールという、物理的な攻撃を防ぐことができる要素変換の一つです。私たちの周りに存在する空気中に存在するエレクトルをリンカーによって凝縮することで、一時的に壁を作り出すというわけです」

 すごいな、リンカーって、そんなことまでできるんだ。
 なるほど、形質変換は、同じ属性、要素のものの、形や重さを変化させるものだった。要素変換は、ある要素の性質自体を変化させるってわけだろうか。
「先輩、質問があります」
 僕が勝手に納得しようとしていると、珍しくエルスが手を挙げた
「はいどうぞ。えっと……」言いよどむ先輩にライン先生はエルスの名前を教えてあげて、今度から質問するときは自分の名前を言ってからにするようにとお達しした。
「――エルスといいます。
 先輩は、空気中のエレクトルを凝縮させると言ってましたが、空気は僕たちが直接触れられないと思います。どうやって力を加えるのでしょうか?」

 なるほど、言われてみれば……。
 空気は僕たちの周りに存在しているのだから、何もしていなくても触れているような状態だとは思う。ということは逆に、自分が接している空気自体も壁にしちゃって、窒息したりとか、あるんじゃないだろうか。

「その点がとても難しいところです。風や空気は目に見えませんからね。見えないものに力を加えるということで、躓いてしまう人が多いんです」
 カエラ先輩はにっこり微笑んで答えた。
「でも、この世界には、見えなくても存在しているものがたくさんあります。
 例えば、心とか。
 感情や気持ちといってものは目に見えませんが、皆さんも、それが存在することを疑うことはないでしょう?」

 心、か。確かに、目に見えないけれども、自分で自分のことを考えているってのは、まぎれもなくそこにある感覚だと思う。

「そして、誰かの心に何か伝えたいと思ったら、言葉を使うと思います。
 先ほど、ファイアウォールを作りだす前にも私は言葉を発していました。事象変換を行う際には、それに適切な言葉というのがあって、それを発することによってリンカーの力をスムーズに力を伝達することができるのです」
「というわけだ。これからますます覚えることが増えていくからな。覚悟しておけよ」
 これまで黙って見守っていたライン先生は豪快に笑った。
 ギルバードがうんざりした表情をして肩をおとしたのには、さすがの僕も同意だった。


第四話 オルタとしての初仕事

 テレシアの町は人でにぎわっている。
 大きな中央通は、石が敷き詰められ歩きやすく、その左右には、大小様々な店が立ち並ぶ。多くは木造の平屋だけれど、石造りの背の高い建物もあり、雑多な印象だ。
 中央通の先には、丘の上に立つ、白い壁と尖がった塔が三本立つテレシアの執政館が見える。

 オルタとしての仕事、デバッグは、意外と単純な作業であった。
 確かに、要素変換は奥深い。
 例えば、『パスワード』という要素変換の系は、『パスワード文字』という普段使うのとは全く異なる言葉を覚える必要がある。
 パスワードとは、ファイアウォールのような壁を、もっと広域に張り巡らせたり、長期的に維持できたりする。外部からの侵入を防いだり、見えなくすることもできるため、結界と呼ばれることもある。
 強力なパスワードを展開するには、できるだけ無意味な文字列のイメージが必要だという。けれど、人はどうしても、言葉から関連するものを思い浮かべてしまうため、普段使っている言語では、効果が小さくなってしまうということだ。
 更にそのパスワード文字の中でも、より効果を強める関連性や法則があるようで、自分なりの工夫や、研究が必要だという。カエラ先輩は上級クラスで、特に『パスワード』を中心に学んでいるそうだ。学んでいるというより、もはや研究しているといった方が近いのかもしれない。

 けれども、デバッグ自体は、そんな複雑なことはいらない。建造物や、食品などの加工場に向かい、形質変換をかける。それだけだ。注意するのは、元の形や重さを変えないようにすること。
 これが難しいことかと思いきや、対象に手をあてて、よく見ながらリンカーに力を入れるだけでよい。よほど、初日にコップを作ったことの方が大変なくらいだった。
 初めての仕事の日は、緊張はしたものの、作業の簡単さにやや気が抜けてしまった。とはいえ、これだけで、バグが発生する可能性はぐんと下がるのだそうだ。理由はよく分からないが、形質変換にはエレクトルの動きを抑制する力が加わっているのかもしれない。

 では、楽な作業かというと、そうではない。
 この作業、結構時間がかかるのだ。何せ、確認する物は町中にある。一メートル四方の物体にかかる時間は数秒程度だけれども、非常に多くの依頼が各所から出されるのだ。
 小さいものは小さいもので、それぞれの「モノ」として認識する必要がある。認識力が高い上級者は、ある空間全体に対してデバッグができるみたいだけど、多分僕たちがそんなことしたら、細部がいろいろと綯交ぜになってしまうことだろう。

「それでは、この書類にサインをお願いします」
「ありがとな、坊主たち! また頼むぞ」
 雑貨屋の店主の大きな声聞き、僕たちは頭をさげる。
 中央通からはずれた町の一角にあるこの店では、他の町との交易をした品などが並んでいる。異国の陶芸品とか、珍しいものが仕入れられることもあり、老若男女に人気のあるところだ。
 それゆえに、仕入れ先の物品にバグが潜んでいないか、逐一確認する必要があり、度々訪れている場所だった。
 初めのうちは、先生や上級クラスの先輩の誰かが同行していたが、慣れてくると、僕たちだけで現場に向かうことも増えてきた。
 もっとも、エレクトルの動きが曖昧になったり、バグを起こす可能性がある部分を見分けるというのは、先輩たちでなければ不十分だ。なので、基本的に僕たちは、淡々と対象物に形質変換を施していって、最終的に確認してもらう、という繰り返しというわけだ。

 今日は、僕とグリッジ、ルーシーとシルファの四人で、仕事にあたっていた。
 一応、僕がグループのまとめ役ということになっている。まぁ、まとめ役といっても、現地での分担をしたり、依頼者の人と会話して、仕事が完了したらその旨を書類にサインしてもらうというだけではあるのだけど。



 一件目の仕事を終え、二件目の現場に向かう。場所は、新しい家を造っている建築現場である。郊外にあるため、途中の道には民家がまばらに建っているぐらいだ。閑静な感じは少しプレシア村に似ている気がする。
 石が敷かれた中央通とは違い、踏み固められた赤土が道となっていて、グリッジ、僕、シルファ、ルーシーと、横に並んで歩いていた。

「いやぁ、でもこの仕事、慣れてくると肩がこるなぁ。ねぇシルファ?」
 道の端を歩くルーシーが、胸をそらしながらいった。
 話しをふられたシルファは、少し驚いたように顔をあげ、僕と、ルーシーの顔を交互に見た。
「……えっと、私は結構楽しいよ?」
「ふーん、まぁ、そういうもんかな~」
 ルーシーは、何か思わせぶりな目つきをシルファに送った。シルファはというと、銀髪を左右に揺らし、珍しく抗議の表情を返していた。何が言いたいんだろうか?
「まぁ、楽しいか楽しくないかはともかくとして、大事な仕事ではあるんだから、頑張らなきゃね。――なぁグリッジ?」
 つい、リーダー面した感じで言ってしまったのが自分で恥ずかしくなって、グリッジに話しをふってしまう。

「ん、あれは何?」
 しかし、グリッジよりも先に声を発したのは、ルーシーだった。

 ルーシーが指さす方を見れば、道のわきに、一匹のネコがいた。
 ネコとは、四足歩行で、耳は三角でぴょんと上に突き出した感じの家畜だ。細い足とふわふわした体毛。愛くるしい見た目から、愛玩動物とされることが多い。
 そんなわけで、普通は飼い主が近くにいるはずなんだけど、ここからは見えない。

「もしかして、迷子かな?」
 ルーシーは、怯えさせないようにか、ゆっくりと近づいていく。

 直感。
 ぞわっと、体中の毛が逆立つような悪寒を感じた。
 頭もぎゅっと締め付けられている気がする。
 危険……。
 危険……。
 危険。
 僕の頭が警鐘をならす。
 しかし、何がだ? 辺りを見回しても、異常は見られない。
 と、すれば、まさか……?!

「ルーシー、ダメだ!」

 ネコの愛らしい両眼が、飛び出した。
 いや、飛び出したなどではなく、眼球が、幾重にも連なってルーシー目がけて射出されたのだ。

 ――間に合うかっ?

 咄嗟に、僕はルーシーに覆いかぶさって、地面に倒れこむ。
 凄まじい風が背中をかすめていく。
 間一髪、避けることができた。
 考えるまでもない、次の行動は。
 腰の短剣に手をかけながら立ち上がる。
 ネコの飛び出した眼球は、とどまることを知らない。
 透明な液体をまきちらしながら、どこまでもどこまでも伸びていく。
 方向は定まらない。
 暴れ狂う二本の巨大なツタだ。
 もはや、目としての機能はなしていないようだ。
 でたらめに暴れまわる長く伸びた眼球をかいくぐり、距離を詰める。
 短剣をネコの眉間目がけて突き刺す。
 返り血が飛ぶ。
 ネコは小さく鳴き、その場に倒れる。
 これで、生物としての命は潰えた。
 だがまだ終わりではない。
 これは、エレクトルの暴走、バグだ。
 リンカーに力を込める。
 突き立てた短剣を通じて、ネコだったものへ形質変換をかける。
 イメージは、元の愛くるしいネコの姿。

「戻れぇッ!!!」

 数秒のうち、暴れ狂う目が連なったツタは、動きを完全に停止した。


 ――何とか、倒すことができた。
 振り向くと、ルーシーは、ぺたんと地面に座り込み、立ち上がれないでいる。
 その横にはシルファがすがりつき、「よかった、よかった……」と、繰り返している。泣いているようにも見える。
 グリッジは、茫然と、怒りとも、驚きともいえない複雑な表情のまま突っ立てっていた。



 しばらくして、別の場所で作業にあたっていたカエラ先輩たちと合流した。グリッジにはそのまま、先生たちへの連絡をお願いした。

 今日の仕事の予定は完全に狂ってしまったな。――いやそれどころではないか。
 僕の手には、未だ短剣を突き刺したときのぬるりとした感覚が残っている。初めてバグを倒すことができたとはいえ、達成感や高揚感なんてものは全くなかった。
 今はまだ何も考える気になれなかった。

「無限ループ、ですね」
 カエラ先輩は、念のため、飛び出した眼球の連続体に対しても、形質変換をほどこしていく。
 基本的に、形質変換をかけるときは、対象に触れる必要がある。びちゃびちゃとぬめりを出したその物体は、気持ち悪いとしか思えない。
 けれども、カエラ先輩は、いつもの柔和な表情を崩さず、平然と処置をしていく。
 こんなときに不謹慎だとは思うけれど、正直、かっこいいと思った。女の子……女性に対してかっこいいというのは、おかしいのかもしれないけど。

「無限……、ループ?」
 ルーシーが尋ねる。
「はい。バグの一つの起こり方です。動物の体内では、常に活動源となるエネルギーを作り出しています。それは、意識せずとも適切に、必要なだけ作られているのが普通ですが、その作り出す工程に、終わりがなくなってしまう。どこまでも、どこまでも、エネルギーを生成し続ける。結果、体の一部が変異して、暴走することもある、というわけです」
 言い終えたころには、無限ループしたというネコの眼球は、もとの大きさに戻り、本来の体の中におさまっていた。

「お手柄だね、ウィルくん。怪我はない?」
「いえ、僕は……」
 
 全然、何も、と言い終わらないうち、先輩は自分の腰につけた鞄に手を伸ばした。
 絹の布を取り出したと思うと、艶やかな長い髪が僕に触れるほどに近づく。先ほどではないけれど、鼓動が速くなるのが分かる。
 何をするのかと思っていると、先輩は、そっと僕の顔についた返り血を拭ってくれた。
 突然のことで、僕は直立不動のまま。
 自分の服だって汚れてしまっているというのに、先に僕の心配をしてくれているのだ。

 ――そうか。
 まずはバグの処置。次に仲間の介抱。その次に自分……、と、彼女の中で、優先順位がはっきりしているということなのだ。
 こうやって間近で並ぶと、身長は僕より小さい。
 けれど不意に、この少し小さな、優しげに微笑み、時に鋭い表情を見せる先輩に、強い憧憬を感じた。それはプレシア村の旅人以来ついぞなかった感覚であった。

「あ、ありがとうございます」
 お礼を言って一歩下がった僕は、顔を横に向ける。
 ルーシーとシルファも、落ち着いたみたいだ。もう立ち上がって、こちらを見ている。
 ん、何だか、目つきがさっきより強張っているような気もするけれど……。

 カエラ先輩はそんな僕たちをみて、ふふ、と少し笑い、僕から離れた。けれど、すぐに真剣な表情をみせる。
「このネコが、いつからバグの兆候があったのか。いえ、むしろ、一体どこからやってきたのか。詳細に調べる必要がありますね。首輪がないことから、飼いネコでもなさそうです」
「それって、どういう……?」
 通り抜けていく風に、少し寒気を感じた。
「何者かが、意図的に、運び込んだ可能性もある、ということです」


第五話 リンカーの鉱山見学

 町の中にバグが現れてから、三か月あまりが過ぎた。
 結論からいうと、詳しいことは何もわからなかった。
 ネコの飼い主は、結局すぐに見つかった。僕らが直接聞いた話ではないけれど、どうやら、数日前に首輪が外れていなくなっていたらしい。
 飼い主には、病気で倒れていて、見つけたときは既に亡くなっていた、ということで説明した。このことは、先生たちと僕たちの、ごく一部しか知らない。
 何だか嘘をついているみたいで気が引けるけれども、いたずらに不安を広める必要もないだろうということだ。

 それもそうだろうと思う。自分の可愛がっていたネコが、バグになってしまったなんて知った飼い主の心痛は計り知れない。
 ただ、それとは別に調査は必要だ。病気の原因を調べてみる必要があるとして、ネコの遺体はマドラサで引き取ることとなった。



 とにかく、今日は、リンカーの素材となる、緑柱石と瑠璃石が産出されるスタノヴォイ鉱山に見学に向かっている。
 見学は、オルタの生徒も、ダイレクトの生徒も関係なく全員が参加する。
 ただエルスは、今日に限って体調を崩し、マドラサの宿舎で休むことになった。熱もあるようで心配だが、カエラ先輩も様子を見てくれるということで、少し安心だ。

 鉱山は、マドラサから歩くと半日以上かかる場所のため、着いたころには、すっかり夜になっていた。
 鉱山の入り口のそばには、数人が横になれる大きさの掘っ立て小屋が、いくつか立っている。普段は鉱夫が、そこで準備や休憩したりするそうだが、見学がある数日間は休みになっているということだ。
 僕たちは、その小屋で一夜を過ごすこととなる。

 小屋に入り、応急処置用の包帯や、緊急時の携帯食料など詰めた腰の鞄をはずす。粗雑な小屋で、いくつかの毛布と布団が収納できる棚がついているが、机や椅子などはない。採掘の道具などは、また別の所にしまわれているのだろう。本当に、休憩するためだけの場所といった感じだ。
 一応、床は板張りになっていて、その上に布団と毛布をしく。
 やはり平地に比べると気温が低い。マドラサの方では、まだ一枚を羽織る程度で十分だったが、手足が冷たくなっていくのを感じる。

 皆すぐに、毛布にくるまって横になった。
 ずっと歩き続けだったことから、さすがに疲れて、眠気もすぐにやってきた。
 既に近くから寝息が聞こえ始めている。
 僕も横になり、天井を見上げる。初めてマドラサの宿舎に寝たときも思ったけれど、見知らぬ天井というのは、不安というか、何やら落ち着かないような気持ちになるな……。

「エルスも、これたらよかったのになぁ」
 目を瞑りしばらく経つと、隣でギルバードの声が聞こえた。
「そうだね。エルスも、あれでいて、楽しみにしていたみたいだけど」
「え、そうなのか?」
「相変わらず言動には出さないけどね。長く一緒にいると、何となく分かるんだよ」
「そっか、二人は幼なじみだもんな」
 ふと目を開ける。暗さにも慣れてきたのか、星の明かりが窓から差し込んで、淡い光を放っているのが分かった。
「なぁ、ウィルは、どうしてマドラサに入ろうと思ったんだ?」
「――どうしたんだ、急に?」
 眠れないのだろうか。こうやって違う場所で寝るというのは珍しいから、はしゃいでいるのかもしれない。
「俺はさ、前も言ったけど、テレシアの衛兵団に入りたいんだ」
 ギルバードは、僕の問いに応えず話しを続けた。
「うん、それは前に聞いた」
「親父の仕事を何となく知って、面白そうだなって思ったのが初めだったんだけどな」
「うん」
「好きな子がいたんだよ」
「ふぇ!?」
 話しの展開に驚き体を起こしてギルバードを見る。
 暗がりで良く見えないが、毛布にくるまり目を閉じたままだ。

「でも、たぶん、死んじまった」

 息をのんだ。
 静寂と、暗闇がどこまでも続いている。星の明かりが、暗い小屋をおぼろげに照らすのみ。

 ギルバードは続きをつながない。一瞬、寝てしまったのかとも思ったが、やがて、少し吊り上った目が開かれた。
 事情は、よく分からない。ただきっと、それがギルバードの理由なんだろう。
「僕は……」
 次はお前の番だぜ、と言われた気がして、口を開く。
 育った孤児院を大きくして、もっとたくさんの子たちの世話をしたい。それは確かに、僕の思いだ。
 けれども、マドラサに入った理由、それは、果たして、何なんだろう。
 今考えると、孤児院に残って手伝いを続けるという道もあった。でも僕は、プレシア村を飛び出した。エルスもつれて。
 僕たちを送り出してくれた時のクレアさんの、「気を付けてね」といった時の表情が思い出される。寂しそうな、それでいて、嬉しそうな。

 ――ああ、僕は、やっぱり。
「僕は、リンカーが使いたかっただけかもしれない。世界のいろんなことを知りたかっただけかもしれない。僕には、ギルバードみたいな、理由なんてないよ」
 何だか僕は、自分がとても矮小に思えた。誰かのため、何かじゃない。ただ、自分の思いのまま、向う見ずにやってきただけだったのかもしれない。

「いいんじゃないかな」
 ギルバードと反対の方から声が聞こえた。
「自分のやりたいこと、欲求がなければ、何もできないものさ」
「――グリッジ、起きてたのか」
「話し声が聞こえてね。
 でも本当に、理由のあるなしなんかじゃなくて、自分がどうしたいか、それが大事だと、思うな」
 そういうものだろうか。
 確かにあの日、エルスに言った言葉は、彼の気持ちなんてほとんど考えていなかった。それでもエルスは、僕と一緒に来てくれた。あのとき何もしなければ、こうしていることもなかったのではないか。だから、あれこれ考えたとしても、何も行動できなければ、何も始まらない。

 ――だけど僕は、これから、どうしたいのだろうか。
 あと半年もすれば、リンカーの認定試験がある。
 合格すれば、晴れて「バスター」を名乗ることもできる。カエラ先輩のように、上級クラスを目指して、デバッグの仕事をつづけながら更にリンカーの研究をすることもできる。もしくは、テレシアの町を出て、各地でバグに困っている人たちを助けることもできる。
 もちろん、初めにエルスに語ったように、プレシア村に戻って、クレアさんたちと孤児院を運営することだってできる。

 でも、僕は、本当は一体何をすればいいんだろう。何が本当にしたいことなんだろうか……。
 夜の思考はぐるぐるとまわりつづける。
 僕はいつの間にか眠りについていた。




 翌朝、僕たちは、リンカーを縛ってある紐をほどき、鉱山の入り口前に集合した。
 何故鉱山に入る前にリンカーを外さなければいけないかというと、何でも、リンカーの力が弱まってしまうかららしい。
 原石の強い力に、リンカーの力が吸い取られてしまうということだろうか。

「みんな揃ったな。中は暗いから、足元に気を付けて、ゆっくり歩くんだぞ。ギルバード、走ったりするなよ」
「な……、大丈夫ですって先生」
 頭をかくギルバードに、女の子たちはクスクスと笑った。最近気付いたけれど、ギルバードは結構女の子に人気がある。もともと体格もよいし、顔つきも男らしいと、男の僕でも思う。それでいて性格も、さっぱりしていて表裏がない。
 正直、羨ましいなと素直に思っていたけれど、昨日の夜の話しを聞いてからだと、彼の笑顔も、何だか少し違ってみえる気がした。

 鉱山に足を踏み入れると、すぐに外の光は届かなくなった。
 徐々に下へと傾斜する地面。階段というにはあまりにも粗雑で、滑り止めになるかどうかぐらいの申し訳程度に、へりが作られていた。
 十メートルぐらい下がったあたりだろうか。まっすぐに伸びた、広い空間が現れた。天井も高く、手を伸ばして飛び跳ねても届きそうもない。幅も、横に手を広げても、五人くらいはゆうに大丈夫そうだ。
 その空間は、薄暗いけれども、左右に一定の間隔で配置されたランプによって照らされていた。
 先生がいうには、特殊なガラスによって、自然界のエレクトルを半ば自動的に供給しているとのことだ。ときおり確認や修理は必要だけれども、半永久に明かりを灯しつづけることができるらしい。
 そんな素晴らしい作品なら、一般の家でも応用すればよいんじゃないですか? と質問したら、この鉱山は特別にエレクトルの力が強いからできるのであって、普通の場所ではダメだそうだ。
 リンカーの力を奪ってしまうような、やはり特別な場所なんだと思う。



「うわ、きれいだな」
 採掘場の最前線に辿り着くと、僕たちを待っていたのは、これまで見たことのないような絶景だった。
 薄暗くても分かるきれいな緑と青の鉱石が織りなすのは、まるで抽象的な絵画を見ているようだ。
 揺らめく深淵な紺碧は、世界の果てにあるという海を想起させる。
 光る石というのは、どれも人の心を惹きつけるものだろうけど、ここの鉱石は、俗物的なモノとは切り離された、何か神聖な感覚すらうける。
 僕たち人間がここから生まれたかのような、厳めしく、壮大かつ昂然たる印象だった。

「エルスの奴、本当に今日はこれなくて残念だったなぁ」
 ギルバードも、いたく感動しているようで、興奮している。
「意外だなぁ、ギルバードは、こういうの、興味なさそうと思ってたけど」
「ばかいえ、ウィル。俺たちのリンカーの元になる材料なんだぞ。興味があるに決まってらぁ。何事も上手くやるには、材料や道具を大切しなきゃいけないんだぞ」
「そりゃあごもっとも。そういえばこの前、訓練場に模擬剣を置きっぱなしにした誰かがいたっけなぁ」
 といったら、肘で小突かれた。





 ひとしきり、この鉱山が発見された契機とか、どのようにして鉱石を切り出しているのかとか、リンカー自体をつくる工程だとかの説明を受け、僕たちは踵を返した。
 帰りすがらは、「きれいだったね」とか「ここで働くのもいいな」とか、そんな声が聞こえていた。

 鉱山から出る。ようやく、ランプの光ではない、外の光を浴びることができた。行きに比べると帰りはやたら早く感じるものだ。
 少しの開放感から背伸びをしようとした……、そのとき僕は、異様な雰囲気を感じた。

 ――静かすぎる。
 周りにいた鳥や動物たちの鳴き声も聞こえない。
 ただ、風が草木を揺らす音だけ。

「妙だな」
 ライン先生も同じ印象を受けたようだ。
 他の子たちは、異変に気付いているのと、いないのとで、だいたい半々のようである。

 近くにいたシルファが僕の服の裾を掴む。
「ウィルくん、何だか……」
 彼女も何か感じているようだ。
 大丈夫、安心して、と言おうとしたが、言葉が出ずに、深く頷くしかできなかった。

 ギルバード、グリッジ、ルーシーの様子を確認しようと、辺りを見回した。彼らも、異変に気付いてそうだ。けれど、それが何かまでは分からないようだ。
 さっきまで友人達と笑っていたはずのギルバードと視線が合う。訓練中でもあまり見ない、真剣な目つきだ。
 唾を呑み込んだ音が、やたら大きく聞こえた。


 ――そのとき、森の茂みが揺れた。


 黒い影が忽然と姿を現す。
 すばやく動く影は、あっという間に鉱山の出口を囲んだ。
 四足歩行、だが頭も首もない。黒みがかった体躯は、剥き出しになった無数の骨に覆われている。
 数は、僕たちのクラスと同じ十体ほど。

「まさか、バグ?! 何故ここに?」
 ライン先生は叫び、腰の剣を引き抜く。
 僕たちも、護身用の短剣などは男女問わず身に着けている。
 ライン先生だって一緒だ。
 しかし、今は、リンカーを身に着けていない。

「みんな! 早く鉱山の中にもどッ――」

 瞬間。
 鈍い音。
 黒い生物の背中から突き出した骨が、矢のように放たれた。
「きゃあああ!」
「わああ!!!」
 黒い雨が降るように、剥き出しの骨が降りかかる。おおよそ、生物とは思えない。

 一瞬にしてこの場は、戦々恐々の地獄になった。
 悲鳴をあげ、次々と生徒たちが倒れる。男の子も、女の子も、みんな。
 僕の前に立っていた男の子が倒れた。目に骨矢が突き刺さっている。

 逃げなければ――どこへ?
 戦わないと――何と?
 さびた鉄のような血のにおいで、何も考えられない。
 頭の中で理解が追いつかない。
 呆然と、惨状を見ているしかできない。体が全く動かない。

 うずくまって泣いている男の子の背中に矢が突き刺さった。泣きながら転げまわる。
「やめろ!!」
 男の子の前に飛び出したライン先生は、剣で骨矢を叩き落とす。すごい見切りだが、見れば、既に腕や足に矢が突き刺さり、鮮血が流れ出ている。
 先生は、今まさに骨矢を放とうとしていた敵の一体に目がけ、持っていた剣を投擲した。命中し、そいつは動きを止める。
 だが、敵はまだ大勢残っている。

 立っているのは、もう数人だった。ライン先生の後ろに入っていたルーシーと、自らも剣をふるいガードしたギルバードの無事は確認できて、ほっとする。
 が、
「――シルファは?」
 さっきまで隣にいたはずなのに、姿が見えない。

「し、シルファああーー!!」
 ルーシーの悲痛な声、その視線の先には、わき腹を押さえてひざを着くシルファの姿があった。
 すぐに駆け寄り肩を抱く。
 いつもの白く綺麗な肌は、より一層に色を失い血の気を感じさせない。
「ウィル……、くん、痛い……」
 僕を呼ぶものの、視界に映っていないのか、伸ばされた手は虚空を掴む。

 ――嫌だ。

 顔を上げると、黒い敵の体からは、新たな骨が突き出し始めている。
 無限ループ。カエラ先輩の言葉が頭に響く。

 ――こんなところで。

 おそらく、再びあの骨の矢が放たれるだろう。

 ――まだ、何もなせていないのに。

 暴虐の矢が放たれ、僕たちを襲う。

 ――嫌だ嫌だ嫌だ。

 右手に、体中を流れるものが集中する感覚。

 ――まだ、死にたくない!!

 瞬間、びりびりと、しびれるような感覚。

 ――まさか。これは!?



「ファイアウォール!!」

 叫ぶ。
 虹色の光が僕らの前に出現。
 矢は、半透明な幾何学模様にぶつかって、バラバラと下に落ちる。

 よく見えていないだろう、シルファの瞳が大きく見開かれる。
 ギルバード、ライン先生だって、みんなそうだ。
 僕自身もよく分からない。
 リンカーは身につけていない。
 けれども、――使えた。……使える!

「ライン先生! 援護します! 何故か分かりませんが、使えるみたいです!」
 そういって、腰に差す短剣を先生に渡す。
 先生は、一瞬驚いた表情を見せるも、力強く頷いた。まず何を優先すべきか、判断力があるのも流石だ。

「ウィル、そのまま壁を崩すな! 他のみんなはウィルの後ろへ!」
 先生は皆に指示すると同時に、短剣をもって黒いバグ目がけて突進した。

 数十歩の距離はあっという間に縮まり、先生はバグたちと肉薄する。
 バグの体が両断される。一体、二体……。次々と。
 その間、僕らに向けて矢が放たれることがあったが、僕の展開したファイアウォールによりすべて防ぐ。
 いつの間にかギルバードも、自らの剣をふるい敵に切りかかっていた。



 ――まもなく、再び鉱山は静寂を取り戻すこととなった。



第六話 調査開始

 マドラサが始まって以来の大事件に、しばらく授業や訓練は中止となることが決められた。
 ライン先生の活躍もあって、何とかバグを倒すことができた僕たちではあったが、何人かの生徒は亡くなってしまった。重傷となり、まだ治療中の生徒もいる。
 シルファも、何とか一命を取り留めたものの傷は重く、テレシアの診療所で手当てを受けている。ルーシーは、付きっ切りで看病をしている。

 鉱山での事件は、テレシアの町中でも大混乱を引き起こした。
 傷だらけで戻った僕たちは、手当てを受けると同時に、ライン先生の責任が問われることになった。

 先生は、マドラサの中央組織に召集され、責任を追及されるらしい。その後、専門の調査団が派遣され、原因を追及するということだ。僕たちの通うマドラサ以外にも、マドラサがあったなんて、今さら初めて知った。
 ――いや、そんなことはどうでもいい。
 先生は何も悪くないのに、みんな先生のせいにしようとする動きに僕は、本当にささくれ立っている。
 亡くなった子たちの親の気持ちは、尋常じゃないと思う。誰かに強く当たらなければ、何か理由がなければ納得できないのかもしれない。あまりにも突然で、ただの不運な事故として納得するのは難しいのかもしれない。
 でも、だからといって、先生一人のせいにして、何の意味があるっていうんだ。そんなの、子どものいじめと何が違うんだ。
 訓練もオルタの仕事もない僕は、宿舎の中で悶々と考えていた。



 ある早朝、僕はマドラサの宿舎から抜け出した。
 勝手なことは承知だけれども、一人で、もう一度、鉱山に行ってみることにした。
 何か、先生が悪くないという証拠が見つかるかもしれない。
 誰にも相談しなかったのは、反対されることが分かっているからだ。マドラサ内でも、バグの残骸の回収等の最低限の処置はしたものの、後は中央の組織からの調査を待つという方針をとっている。
 鉱山の周辺は、もともとバグが外部から侵入できないように、パスワードの結界がはられている。そして、その一部の結界が破られていたという。その結界を破ってバグを侵入させたのが、ライン先生だというのだ。
 ――馬鹿らしい。
 先生は、体中に傷を負って、それでも、僕たちを守ろうとしてくれた。バグにとどめをさしてくれたのも先生だ。先生が犯人だなんて、そんなの、あるわけないじゃないか!

 腰のベルトにつけた鞄には、数日分の簡単な食料と水。何か見つけるまで、帰る気はなかった。



 マドラサを出て、テレシアの中央通を抜け、終着点にたどり着く。石が敷き詰められているのはここまでで、この先は、ある程度の間隔ごとに立てられた石塚によって、方角を知ることになる。結構な距離ではあるが、一度いったこともあるところだ、きっと大丈夫だろう。
 土に足を踏み出したとき、ようやく僕は、後ろにある人の気配に気付いた。

「誰だ!?」

「本当に、全然気付かなかったんだね、ウィル」
 振り向くとそこには、見知った、少しけだるげな雰囲気の銀髪の少年と、黒髪の柔和な瞳の女性。
「エルス? ……と、カエラ先輩? な、なんで?」
 驚く僕を見て、カエラ先輩は口元に笑みを浮かべる。
「ウィルくんの様子がおかしいって、数日前に相談にきてくれたんだよ」



 話を聞けば、あの事件以来、エルスは僕の様子を気にかけていたらしい。
 なんとなく、僕が何か企んでいることは感づいた。そこで、熱を出して休んでいたとき看病してくれたカエラ先輩に相談したようだ。
「……あの感じのウィルは、きっと直接聞いても教えてくれないと思ったから」
 ということだ。
 水臭いじゃないか、とか、友達なのに言ってくれないなんて、とか、エルスはそんなこと言わなかった。僕のことを分かったうえで、影ながら見守ってくれていたのだ。
 何も言わなかった僕の事を、そこまで考えてくれていたとは、こそばゆい感じがする……。けれど、その気持ちと行動は、素直に嬉しくもあった。
 そうか……、最近いらいらしていて意識していなかったけれども、カエラ先輩に看病してもらうとは、結構羨ましい――じゃなくて。

 僕が気配に全く気付かなかったのは、カエラ先輩のパスワードで、エルスたちの周りに限定的な結界を発生させていたという。鉱山の方角へ向かおうとするのを見て、何をしようとしているのか確信をもったため、声をかけたのだそうだ。
「ライン先生には昔からお世話になってきました。あの方が、故意に問題を起こすとは思えません」
 カエラ先輩も、強い決意の色を瞳に浮かべている。もともと、僕が勝手にやろうとしたこと。ダメだなんて言えるはずもない。
「分かりました。僕もカエラ先輩がいてくれると心強いです。よろしくお願いします」
 そうして、僕たちは三人で鉱山に向かった。



第七話 調査とカエラ先輩(?)

 スタノヴォイ鉱山の入り口に着いた。早朝に出発したことと、三人だけの移動であったこともあり、日がまだ昇っているうちに着くことができた。
 人の気配はない。詳細な調査は保留と決まったことと、鉱山の開発も当面停止とされたためだ。
 入り口周辺は、バグの残骸など既に片付けられているが、まだ生々しい血痕が残っていたりと、凄惨な光景が思い起こされる。
 不意に、目に骨が突き刺さった生徒の苦悶の表情が浮かんだ。思わず吐き気をもよおし口元をおさえる。
「ウィル、大丈夫?」
 心配したエルスが僕に駆け寄り、背中に手をあててくれた。
「ごめん……、大丈夫。しっかりしなきゃな」
 顔をぴしゃりと叩き、気合を入れなおした。



 ――さて、どこから調べようか。
 まずは、バグが現れた茂み付近だろう。
 鬱蒼とした木々の中には、踏みつけられた跡がまだ残っていた。五本の細長い爪跡がいくつも残されている。あの黒いバグのものだろう。
 けれど、足跡を辿っていくにつれ、石や草木がごちゃまぜになって、それがバグによってのものなのか、他の動物のものであるのか、判別がつかなくなっていく。
「これでは、バグがどこから発生したのか分からないね……」
 エルスの言うとおり、この場所に手がかりはなかった。

 僕は、額に手を当ててしばらく考えてみる。
「――次は、鉱山周辺の、パスワード結界が破られていたという箇所を調べてみようか」
 結界が破られていたということは、あくまでも伝え聞いただけだ。なので、それがどこかは分からない。
 それよりも、本当に結界が破られていたかも分からない。
「カエラ先輩、バグが動物に対して発生することは、それほど多くないんですよね?」
「そうですね。まだ詳細な研究があるわけではないですが、動物がバグになることは極めて稀だといわれています」
 先日のネコのバグのとき、カエラ先輩は故意に持ち込まれたことを疑った。最初は、僕たち、オルタの仕事であるデバッグの精度を信じたいという気持ちからなのだと思った。
 けれど、そもそもバグが、生き物に起こることは滅多にないのだという。
 というのは、たいていは外的な被害を出す前に、その生き物自体が自壊してしまうからだ。確かに、心臓など重要な臓器にバグが発生したら、それがたとえ小さなものでも、生きていくのは難しいだろう。
「だから今回も、パスワード結界の一部が壊されて、外部からバグが侵入した、といわれてる」
 エルスの言葉に僕は頷く。
「そのとおり。けれど、今回発生した事件自体が、前例のないものだろ? できるだけ、先入観はもたないほうがいい」
 僕はカエラ先輩の方を向く。
「なので、どうにかして、結界が破られたかどうか、破られたとしたら、その場所を特定することはできないでしょうか?」
 可能性は二つある。
 一つは、今の大半の意見である、バグが外部から侵入したという場合。
 この場合は、一体どのようにして結界が破られたのかということをはっきりさせることによって、先生の潔白が分かるだろう。
 二つは、バグがパスワード結界内部で発生したという場合。
 この場合は、このこと自体が分かれば、ライン先生が関係ないことも明白だ。
 どちらか調べるにしても、まずは、現在の結界の展開状況を確認する必要がある。

 僕の話す方針について、エルスも先輩も、黙って聞いてくれていた。
 エルスはいつもどおりの表情だが、カエラ先輩は、もともと大きめの瞳が、さらに見開かれているようだった。
「……先輩?」
 思ったよりも沈黙が長かったため、再びカエラ先輩に呼びかける。
「……あ、ごめん、ウィルくん。なるほど。先入観……、か」
 カエラ先輩は、口元に手をやって頷いていた。

「……ごめんなさい」
 次の瞬間、謝られた。
 僕の頭に疑問符が浮かぶ。今度は、返す言葉がなく僕が沈黙してしまう。
「ウィルくんが、そこまで考えていたなんて、全然思いませんでした。
 年下だからとか、そんなことで子ども扱いされたくありませんでしたし、自分もしたくもないと思ってました。……けれども、私も、そんな風に見ていたのかもしれない、と。
 ――だから、ごめんなさい」
 アップにした先輩の長い黒髪が、頭を下げたときに揺れた。
「え、いや、そんな、全然、気にしないですよ、というか、リンカーの使い方だって、知識だって、実際カエラ先輩には全然及ばないですし……」
 実際年下なんだし、子ども扱いされたって全然気にならない。けれど、カエラ先輩はそんな風に言われて、嫌な思いをしたことが、あったということなのだろうか。
 しどろもどろになりながら、僕は一歩後ずさる。

 そんな僕を見て、カエラ先輩は目を瞑って微笑み、もう一度頷いた。
「では、一つ先輩からのお願いです。
 その『先輩』というのをやめてください。私たちは、これから一緒に事件の真相を明らかにする仲間なのですから、マドラサの中での先輩後輩なんてありません。これからは、『カエラ』って呼んでください」
「え、いや、それは……」
「先輩のいうこと、聞いてくれないんですか?」
「え、いや、今、先輩も後輩もないって……」
「なら、呼び捨てでいいですよね?」
 う……。カエラ先輩は、満面の笑みを浮かべている。
 これはもう、何をいってもダメだろう。
「分かりましたよ、次からは、そうします……。
 それで、調べる方法は、あるんですか? カエラせん……カエラさん」
「はい、それについては大丈夫だと。
 ただ、『さん』も、いらないですからね。もちろん、エルスくんもだよ」
 カエラせん……カエラは、一度片目を瞑り微笑む。
 エルスも小さく頷いた。

「――ウィル、カエラ。もう暗くなってきたから、とにかく今日は小屋で休むことにしよう?」
 そんな提案したエルスの顔は、何となく嬉しそうに見える。
 いつの間にか日は傾き、燃えるような赤が木々を照らしていた。
「そうですね、今日はひとまず小屋に戻りましょう。パスワード結界についての説明も、そこで少しさせて頂きます」
 カエラの言葉に、僕も頷いた。


第八話 リンカーの瞬間移動

 朝日が差し込み始めるやいなや、僕たちは小屋を出た。鉱山はひんやりとしていて、朝もやが立ち込めている。

 昨夜、僕とエルスは、カエラのパスワード結界についての説明を聞いた。
 パスワードによる結界は、外部から内部を一切覆い隠してしまうものから、キーという符号をもった者だけが通過できるものなど、複数あるという。スタノヴォイ鉱山に張り巡らされているのは、リンカー自体をキーとして登録しているようだ。
 だから、見学に向かった僕たちは、中に入るのに特別なことをする必要はなかったし、鉱山周辺の警備もそれほど厳しいものではなかったのだろう。
「リンカーをはずした状態で周辺を探れば、透明な壁にぶつかるはず、ということですね」
「ただ、広い範囲で展開されている結界において、破られた場所を探すのはきりがないのでは?」
 僕の言葉に重ねて、エルスが聞く。
「はい。なので、これから、パスワードの更新状況を把握する系を使用します」
「更新状況?」

 僕たちは、結界の中心地点と考えられる場所に移動した。なんとなく想像はできたけれども、その場所は、鉱山の入り口のすぐそばであった。
 パスワード結界は強力だけれども、長い期間そのままにすると、効力が徐々に弱まってくるのだそうだ。そこで、想起したパスワード文字を更新する作業が必要になる。その際に、どの部分の更新がどの時点なのかということを、大よそ把握する系があるということだ。

 それには、結界の濃度を把握するらしい。結界は半球体の範囲で展開されるため、その中心地点で更新濃度を確認すると、弱まっている方向が分かるということだ。
「結界が貼り直されていれば、おそらく一箇所だけ濃度が高いはずですし、復旧が済んでいないとすれば、それはすぐに分かります」
「分かりました、お願いします」
 ということは、可能性は三つ考えられる。
 一つは、更新濃度がすべて均一の場合。この場合、パスワード結界は破られてなどいないということになる。即ち、結界内部でバグが発生したということになる。これであれば、ライン先生の疑いもすぐに晴れるだろう。だが恐らく、可能性は低いと思う。
 二つは、更新濃度がなくなっている部分がある場合。これは、結界が破壊されていることを示すため、バグが外部から侵入したことは間違いないだろう。
 三つは、更新濃度の一部が高くなっている場合。これは、一度破壊された結界を、既に更新されたことを示す。恐らく、マドラサ側の現状の説明が正しければ、三つ目の状況のはずである。

「いきますね」
 カエラの身体は、翡翠の淡い霧をまとう。
 しばらくして、リンカーの色が紫に変わった。



 鉱山から三十分ほど離れた場所が、パスワード結界の限界地点だった。
 この場所の一部地点の、パスワード更新濃度が高くなっているということであった。結果的に、三つ目の状況であるということだ。

「この場所が、一度破壊されたのですね」
「そして、その後に復旧された、ということか」
 その場所は、岩が浸食してできたのか、小さな洞穴のようになっている。木々に挟まれた、小さな空間だった。
 カエラがいう更新濃度が高いという場所については、少し黒ずんだ青い色を纏っているように見える。おそらく、バグの残骸を回収した際に、破られた結界の修復も行ったということだろう。やはり外部からバグが侵入したというのは間違いなさそうだ。
 そうすると、どうやってバグがパスワードを破って侵入したのかが問題だ。ただ、そうであるならなお更、ライン先生の責任なんて考えられないと思う。そんなことマドラサの他の先生達も分かっているはずなのに、ライン先生を助けようとしない。そのことに僕は再び腹立たしくなってきた。

「ウィル、あれは?」
 憮然としていると、エルスが洞穴の奥の方を指さしている。
 指先を見ると、ぼうっと光が立ち込めていた。岩に挟まれた小さな空間。
「なんだろう?」
 光の立ち込めているところに近づこうとした。そのとき、
「ウィル! リンカーが……!」
 エルスが突如叫んだ。驚き自分のリンカーを見ると、特に何もしていないのに、色が紫に変わろうとしていた。
 僕の近くに寄ってきたエルスとカエラのリンカーも、色が変化し始めている。

「カエラ、これは?」
「分かりません……。ただ、この場所は何か、強い力に満ちているようです」
 鉱山の中に入るときは、リンカーの力が吸い取られてしまうから、外さないといけないということだった。この場所も、似たようなところなのだろうか。
 いや、……それにしてはむしろ、リンカーの方に力が漲ってくるような感じがする。
 右手のリンカーに左手を添える。その流れ込んでくる粒子のようなイメージを確認しようと、何となく、力を込めてみる。
 薄く光りだした霧が立ちのぼり、僕たちを包み込んだ。


第九話 後悔と決意

「――こ、ここは?!」
 僕たちを包んだ霧が薄くなると、太い幹の背の高い木の下に、僕たち三人は立っていた。
「これは……、マドラサの訓練場?」
 エルスが言うとおり、見まごうことなく、建物があるのと逆側の訓練場の端であった。
「どういうことだ?」
「いったい、何が起こったのでしょう……」
 僕たちを包んでいた霧はやがて小さくなり、木の節に縮まり収まった。
「リンカーにこんな使い方があるなんて、知りませんでした」
 驚きを隠せないような声でいう。
 カエラも知らないとは、相当な大発見なんじゃないだろうか。
「このこともあって、マドラサでも、詳細な調査を保留にしているのかもしれない」
 エルスが呟いたことの意味が、少し間をおいて分かると、ぞわっと背筋が凍るような感じがした。

 状況を整理してみよう。
 あの日、見学を終え、鉱山から出ると、黒い骨に覆われたバグに襲われる。
 バグを倒すことはできたが、ライン先生が責任を負わされ捕らえられる。
 パスワード結界は張り巡らされているが、一部の更新濃度が高かった。
 更新濃度が高い場所のそばには、マドラサの訓練場に移動できる場所があった。
 そこから考えられることは、マドラサの敷地内に入ることができ、リンカーが使える人間であれば、いつでも結界を破壊し、バグを侵入させることができただろうということ。



 ……考えてみることが多い。
 日もまた傾き始めている。
 一度、宿舎に戻ろうかと考え始めたとき、エルスがふと顔を上げた。
「そういえば、いろいろあって忘れてたけど、ウィルたちがバグに襲われたとき、リンカーは身につけていなかったんだよね?」
「そうだよ。ちょうど、僕らが鉱山から出たときに、バグに襲われたんだ」
 エルスは、僕の目を見たまま軽く頷いた。
 ……ああ、そうか。確かに、偶然にしては出来すぎている。やはり、マドラサに関与している人間、それに、僕たち初級クラスが見学に行く日を知っていた人物が怪しいと考えるべきだ。
「やはり、マドラサ内部に犯人がいるということか」
 僕が聞くと、エルスは頷く。
「うん、そう思う。そうすると、狙いは何か、ということになるけれど、ライン先生か、僕たち自身だと思う。捕まえるような目的だったら、バグをそのまま解き放ったりしないと思うから。今、その犯人の目的がどこまで達成されているかは分からないけど……」
「バグの扱いを熟知していて、ライン先生と対立しているような人物……ですか」
 誰か思い当たる人物がいるのだろうか。カエラは視線を宙に泳がせた。少し顔色が悪くなったようにみえる。

「それと、もう一つ、ウィル……多分、みんな言いたくないと思うけれど……」
 エルスは、言いづらそうに言葉を途切れさせながら言った。
「そもそも、リンカーもなしに、みんなは、バグをどうやって倒したんだい?」
「それは……、ライン先生の活躍で、なんとか」
「でも、先生だって、リンカーを身につけていなかった。今回のバグは複数いて、しかも遠距離からの攻撃ができる種類だったと聞いてる。そんな相手に、どうやって戦ったんだ?」
 エルスがどこから聞いたかは分からない。
 あの時の戦闘のことは、あの場にいたみんな、誰も、多くを語ろうとしなかった。
 それは僕も同じだった。黒い矢の雨を受け、次々と倒れていくみんな。頭が真っ白になって、何もできなかった自分。それに対して、突然の状況にも、咄嗟に剣を抜いて戦ったライン先生やギルバードたち。
 僕は心苦しくなって、俯く。
 思い出したくない。考えたくない……。
 けれど……。

「何故だか分からないけど、あのとき、僕は、ファイアウォールを使えたんだ」
「リンカーなしに?! そ、そうだったのですか?」
 カエラは驚いて僕を見る。
 あのとき、偶然、ファイアウォールを使うことができた。それによってバグの攻撃を防ぎ、助かることができた。
 でも、もっと早くにそれが使えたら、みんな助かったかもしれない。ライン先生も、捕らわれるなんてこと、なかったかもしれない。
「僕が……もっと、上手くやっていたら、……みんな」
 強く、強く、拳を握りしめる。
 でも、心の奥底からは次々と濁流のごとく感情が溢れてくる。後悔……、この気持ちは抑えられない。
「ウィル……」
「ウィルくん……」
「助けることができたのに! それなのに、僕は、あのとき、何もできなくて……。何も考えられなくて! シルファにも怪我をさせて、『痛い』って、苦しい思いをさせて! 僕は……!!」
 堪えようとしていた涙が、こぼれた。
 こんな、泣いたって、何も変わらないのに。誰も、戻ってこないのに。

 ――ああ、そうだ。僕が、腹が立っていたのは、自分に対してであったんだ。何も知らないでマドラサを口撃する亡くなった子の親たちや、ライン先生を助けようとしないマドラサの人たちにじゃない。
 不甲斐なかった、自分が許せなかったんだ……。

「ウィルくんは悪くないよ……」
 握った拳が、柔らかい手で包み込まれる。
「ウィル、ごめんね……」
 肩を落としエルスも呟く。
 なんでエルスが謝るんだ。……いや分かる。僕に言いたくないことを、思い出したくないことを、思い出させてしまったことを謝っているんだ。
 でも違う。もっと最初から、僕自身で向き合わなければいけなかったことだ。

「いや、ごめん。エルス、カエラ。もう、大丈夫」
 服の袖で涙をぬぐった。ホント、かっこ悪くて、恥ずかしいな。
 でも、ぐじぐじと言ってても仕方がない。今は、できることを精一杯やらなければ。
 僕の顔をみて、大丈夫だと思ってくれたのか、エルスとカエラは、深く頷いてくれた。



第十話 エコーの授業と色

 マドラサでは、ようやく今日、訓練とオルタの仕事が再開されることになった。
 今、ライン先生は、テレシア衛兵団に身柄を拘束されている状態だ。あと数日もすれば、どこの町かも分からないけれど、中央の組織というところに送られることになる。それまでに、何とかしなければいけない。
 実は、カエラのおかげで犯人の目星はついている。けれど、未だ、決定打になるものがなかった。

 上級クラスのカエラも知らなかった、遠くに移動する系のことは、まだ誰にも言っていない。マドラサの先生達も、どこまで知っているのか分からない。
 僕が、リンカーなしに要素変換を使うことができたことも同じだ。まぁこのことは、あの場にいた人たちは知っているだろうから、広まるのも時間の問題かもしれないけれど。ただ、あの後リンカーを外して試してみたが、上手くはいかなかった。極限の状況だから使えたということなのかもしれない。



 宿舎を出て、薄暗い廊下を抜けて教室に向かっていると、久しぶりにルーシーの姿が見えた。
「ウィルくん、エルスくん、おはよう」
 僕たちを見つけると、赤い髪の少女は笑った。しかし、出会った頃の快活な印象はなく、目の下は少し黒っぽくなり、疲れが十分にとれていないことが見て取れた。
「ルーシー、久しぶり。その……シルファの容態は?」
「うん、順調に回復してるよ。でも、やっぱり、傷は残っちゃうみたいで……」
「そっか……」
 あのときは気付いてなかったけれど、シルファは、わき腹だけでなく、右頬にも傷を負っていたらしい。わき腹の傷ほどは酷くなかったみたいだけど、結構深い傷で、跡が残ってしまう可能性があるということだった。
 一度、エルスたちと町の診療所の方へ見舞いに行ったけれど、見ないで欲しいと、会うことはできなかったのだ。
「ウィル」
 エルスは、僕を見て首を横にふった。
 ああ、分かってる。今は落ち込んでる場合じゃあない。



 訓練場に移動した僕たちの前に立つのは、これまで上級クラスを担当していたダリス先生だ。
「本来、君らの相手をしている暇はないのだが、どこかの愚か者のせいで仕方がない。せいぜい、怪我はしないように気をつけてくれよ」
 ダリス先生は、うんざりした顔をして吐き捨てるように言った。
 ギルバードなんかが飛び掛っていくのではと思ったが、静かなものだった。――いや、見れば、拳が固く握られ震えている。
 ダリスの言う、「愚か者」というのが誰のことかは明白だ。
 僕だって本当に腹立たしい言い方だと思う。ただ、今目立つのはよくない。

 ダリスは優秀なバグの研究者だとカエラから聞いている。ただ、自分の研究を常に優先していて、ライン先生と対立することが多かったらしい。
 彼であれば、秘密裏にバグを確保し、あの場に送りことも可能であったと思う。動機も、ライン先生の排除だとすれば、辻褄も合う。そのせいで、僕たちの授業も受け持つことになり、研究の時間が少なくなって苛々しているとすれば、少々間抜けな気もするが、それだって演技の可能性もある。
 ただ、今のところ証拠がない。下手に動くわけにはいかないため、しばらく様子をみることにしている。彼自身はそれほど戦闘力があるわけではないというが、僕たちが敵う相手かも分からない。そもそも、戦いになってしまうような方針は下策だと思う。カエラも、上級クラスのため、ダリスと接触することは多いようで、別の方面から調べてみるとのことだ。



 今日は、『エコー』という要素変換の実践であった。
 エコーとは、風の要素を圧縮し、矢のように解き放つ、攻撃系の要素変換だ。エコーは慣れてくると、多くの要素変換に必要な詠唱が不要になるため、戦闘における基礎になる系である。ライン先生の最後の座学であって、実技が今日まで延期になっていたというわけだ。

 ダリスは、エコーの使い方、考え方を、「一度座学でやったろうから、大丈夫だな」と簡単に説明すると、早速僕たちを一列に並べ、実践するように指示をした。
「できるようになった者は、確認するから、言いにくるように」
 彼自身は、その後すぐに訓練場に転がる石から椅子を作り出し、それに腰掛け本を読み始めた。本当に、まともに教えようとする気がないのだろう。

 とにかく、戦闘の基礎になる系ということだ。しっかりと、ここで使えるようになっておくべきだろう。先生がよくないからといって、できなくて困るのは結局自分なのだ。
 ライン先生から習ったことを思い出す。右手を突き出し意識を集中。イメージするのは、吹きすさぶ突風。目標まで一直線に突き刺すように……。



 しばらくすると、ほとんどの生徒は、エコーを使えるようになっていた。
 飛距離は様々だけれど、訓練場の端から中間まで届かせている人もいる。長い詠唱を組み合わせれば、もっと遠くにも放てるということだけれども、無詠唱の場合は、数十メートル届けば十分なのだそうだ。
 それにしても、エコーは、使う人によって放つ風の色が違って見える。
 エルスは、明るめの灰色だったし、ギルバードをみれば、やや茶がかかった赤色だった。
「髪の色に関係するんだろうか……」
「髪?」
 僕が呟くと、隣のエルスが反応してくれた。
「ああ、いや、たいしたことじゃないんだけど。エコーの色って、みんな様々じゃないか。それって、髪の色が関係してるのかなって」
「え……、ウィル、何を言ってるの?」
 エルスは、彼に珍しくあっけに取られたように、口をあけたままにしている。
「ん、どうしたんだよ、エルス。何か変なことでもいったか?」
 エルスは、僕の言葉を聞くなり、焦ったような、怒っているような顔をして、僕の口に手を当てた。
「ウィル、それって! もしかしたら……」



第十一話 決戦

 星々が訓練場をわずかに照らしている。
 宵も深まったこの時間。夜の冷気はいっそう厳しい。咽び泣くように吹く風が、周囲に生えた木々の葉を揺らしていた。
 僕とエルスと、カエラ先輩は、一人の男の前に対峙している。

「どうして、こんな時間に?」
 優しげな、いつもの表情と声色。
「君が、事件に関与していることは、もう分かってる」
 けだるそうな雰囲気。
 端正な顔つきが星の光によって浮かび上がる。

「なんのこと? ウィル、何をいっているの?」
 色が、同じだった。
 鉱山の、あの洞穴付近に残されていたリンカーの残り香と、ダリス先生の授業のときに使った、グリッジの要素変換が、全く同じ色だった。
 カエラの手引きで、ダリス先生が管理していた、バグの残骸を置いてある場所に行って確認もした。やはり、同じ色をしていた。
 グリッジが、何らかの関与をしていることは疑う余地がない。

 そんな僕の説明に、グリッジは肩をすくめた。
「ウィル、その何だか分からない色なんてだけで、僕を疑うのかい?」

「構造解析、と呼ばれています」
 話しをつむいだのはカエラだ。
「リンカーの力は、私たちのイメージを伝えることで具現化させています。そのイメージには、必ず、その人自身の心が反映されています。人がみんな個性をもっているように、リンカーに伝えるイメージ力も、一つとして、同じものはありません。
 その識別をするのが、構造解析と呼ばれています。たぐい稀な力で、使える人も少ないと聞きますが、ウィルくんにはその力があるようです」
 凛とした声が、闇夜に透き通っていく。
 しばしの沈黙。
 けれど、正直僕は、否定してほしかった。
 本気でグリッジが犯人だと断定するならば、寝こみを襲って捕えるとか、他の先生たちに協力してもらうとか、方法は他にもあった。けれど、彼自身も、誰かに操られていただけかもしれない。だからせめて、そうであるなら、友達として、正直に事情を話して欲しかった。

 でも、彼は。
「そうか。では、三人で来たのは、間違いだったね」

 異形へと姿を変えた。
 端正な顔つきはそのまま、しかし、眼孔はすべて血のような赤に染まる。
 前腕が、内から暴発するように膨れ上がり、自重で支えきれないほど肥大化した。五指の先には鋭利な爪。

「ウィルくん! 避けて!!」

 カエラの言葉にはっとなって、僕はがむしゃらに横に飛ぶ。
 グリッジの巨大化した両腕が、鉄鎚のように振り下ろされる。
 僕がいた場所の地面には大穴があいていた。
 赤い眼光が僕を捉え、追撃をしようと狂腕が襲う。
 轟音が迫るが、鋭い風を切る音と同時に腕は止められ、グリッジは身体全体を翻した。
 エルスとカエラが同時にエコーを放って、グリッジの体勢を崩したのだ。
 助かった……けれど、二人の後ろには、黒い影。
「ファイアウォールッ!」
 エルスたちの背後を襲った骨矢を、半透明の壁で防ぐ。
 いつの間にか、バグ化した獣が三体現れている。鉱山に現れたのと同じ種類だ。
 グリッジに向き合うエルスとカエラ。僕たちの背後から現れた三体のバグ。一気に、前後で包囲される状況になってしまった。
 
 ――甘かった。
 何故みんな、誰しも、無邪気に、信じ込んでいたのだろう。
 バグが、物や、動物にしか発生しないものだと。
 人間は、特別なんだと、どこか、慢心があったのだろうか。
 今に至るまで、グリッジが犯人だったとしても、最悪、バグ化した動物たちをけしかけたぐらいにしか思っていなかった。
 それがまさか、バグ自体を操ることができたなんて。
 いやそれ以上に、グリッジ自身が、こんな、バグだったなんて……!

「人間の、意図しないものをバグというのなら……」
 黒いバグは再び骨矢を放つ。一斉にではなく、三体が僅かに時間をずらしながら、交互に発射している。黒いバグが放つ骨矢は、一度放ってから矢を番える時間がある。その時間差をできるだけ無くそうとしているのだ。ただの獣にできる芸当には思えない。
 ファイアウォールで防ぐことはできるが、逆に、攻撃に転じることもできない。
「――ファイアウォール!」
 僕の背後でもカエラの詠唱が聞こえ、瞬間、金属を打ち据えるような轟音が響く。おそらく、グリッジの巨腕が振るわれているのだろう。カエラたちとは背中を付き合わせるぐらいの距離なはずなのに、状況を確認する暇さえ見いだせない。
「思い通りにならない人生というのも、また、バグのようなものだよなぁ……」
 攻撃の手を緩めないまま、グリッジは一人ごちるように言う。
「何でなんだよ! グリッジ!!」
 エルスの悲痛なまでの叫びが聞こえる。
 僕の方に向き直ったエルスは、僕のファイアウォールの範囲外に飛び出し、黒いバグ目がけてエコーを放った。一体を仕留める。グリッジの攻撃をカエラに任せた素早い判断だ。
 間髪、波状攻撃に綻びが生じ、僕もファイアウォールを閉じ、エコーを放つ。絶妙なタイミングでエルスの二発目のエコーが着弾し、二体目、三体目のバグも沈黙する。
「何で、だって?」
 再びグリッジに向き直ると、彼は距離をおいたまま少し項垂れ、地面に視線を向けた。
「シルファが好きになった。告白した。そしたら、好きな人がいるから、ダメだと言われた。ありがとう、嬉しい、だと? 同情なんてしやがって。薄々気が付いてたさ。だがな、それでも、俺の方に向いて欲しかった。そしたら、いくらでも、楽しい思いをさせてやったのに。それを、こんな、無下にしやがって」
 赤く妖しげに光る眼光が、再び僕たちを捉えた。

「いなくなればいい。いなくなればいい。全員、いなくなっちまえばぁぁあああああああああああ!!!」

 グリッジの巨大化した両腕のうち左が、見る見るうちに小さくなっていく……と同時に、右腕が、その分のすべての重量を得たかのように膨張していく。聳え立つ壁のようになったそれは、しなる鞭のように後ろに引き絞られた。
「――そんな、理由で?」
 すべてを薙ぎ払うように振るわれる。
 地面を削りながら、僕たちの右側面を襲う。
 ファイアウォールを展開するも、そのあまりの衝撃に僕たちは散り散りに吹き飛ばされた。
 血と砂の味がする。
 自分が、地面に倒れているのが分かった。そして、すぐに立ち上がらなければ、永遠に立ち上がることはできないだろうとも思った。
 けれど、身体が動かなかった。あの時のように、突然のことで頭が真っ白になったわけではない。今すべきことは分かっている。もう容赦なんてしない。
 どうにか、身体を仰向けにすることができた。だが、右腕が全く動かず、立ち上がることができない。折れたのか、それとも腕ごと吹き飛ばされたのか。だが今はそれよりも。
 少しだけ首を上げ、視線を前に向ける。

 グリッジの通常の大きさに戻っていた左腕が、肩からごっそりと切り落とされていた。
「グリッジ……、本当に、お前なのか?」
「ギルバード! 貴様ぁぁあああ!」
 再び鈍重な右腕で、背後に現れたギルバードを叩きのめそうとする。しかし、肉薄したギルバードの動きを止めることはできない。
 ギルバードは、長剣を振り払い、グリッジの首を弾き飛ばした。
 そのまま僕は、意識を失った。



エピローグ

 テレシアの診療所の窓からは、今日もせわしなく働く人たちの姿が見える。僕は病室のベッドに腰掛け、診療所での最後の診察を待っているところだ。
 身体のあちこちに擦過傷を負い、右腕は骨折したものの、それほど大きな怪我はなかった。エルスやカエラも、もちろん無傷ではないが無事だということだ。

 あの日倒したグリッジの死体は、右腕を肥大化させたバグの状態で残っていた。そのため、それをマドラサの人たちにも見てもらい、ようやく真犯人がグリッジであることを信じてもらえた。
 ライン先生も、何とか責任も疑いも晴れて、近日中に戻ってくることができるらしい。
 すべて、望んだ、解決になったはずだ。
 けれど、何だか、気分は全く晴れなかった。骨折して未だ不自由な右腕のように、僕の気持ちもどこか折れてしまったような、そんな気持ちだった。

「入るぞ」
 ドアが開けられた。
「ライン先生……」
 入ってきたのは、ライン先生と、ルーシーだった。
「ウィル、色々と聞かせてもらったよ。本来なら、『危ない真似をして』と叱るべきだが……」
 ライン先生は、深く頭を下げた。
「ありがとう、助かった。鉱山のことも考えれば、二度も助けられたことになる」
「……そんな、先生、やめてください」
 僕はいたたまれなくなり、床を見つめる。
「隣、いいか?」
 言い終わらないまま、ライン先生は横に腰掛けると、僕の背中を軽く叩いた。
「まさか、あの時の子に助けられるとはな。因果って言葉を考えてしまったよ」
「え……あのときって、まさか」
 驚き隣のライン先生を見ると、先生は口角をあげて頷いた。
「プレシア村から二人、ってことで、もしやと思ってたんだがな」
 まさか、あの、エルスと出会った日に現れた旅人が、ライン先生だって?
「な、先生! 分かってたら、なんで言ってくれなかったんですか。僕は、あのときの旅人に憧れて、ここまできたってのに」
「あっはは。こっちは分かってて、向こうは知らないなんて、悔しいだろうよ?」
 いつもの精悍な顔つきを崩して、ライン先生は豪快に笑った。
 その反対に、入り口のそばに立つルーシーは、いつもの元気がないようだ。

「悩んだっていいが、後悔は何も生まない。少なくても、お前に感謝している奴もいる。なぁ、ルーシー、シルファ?」
 先生は立ち上がりながらそういって、ルーシーの背中をぽんと押してから部屋の外へ出て行った。
「え、シルファ?」
 もう一度扉の方を見てみると、その陰に、長い銀髪が見える。
「ほら、シルファ、おいで。大丈夫だから」
「うん……分かった」
 ルーシーに手を引かれて入ってきたとき、出会った時のように、銀雪が舞ったように思えた。やはり、彼女の髪は綺麗だなと思う。
 けれど、今の彼女の頬には、酷いやけどのような痕が残っていた。
 胸が詰まり、手が震える。
「ご、ごめ――」
「違うの! ウィルくん、やめて!」
 シルファの細い、けれど力強い声が響いた。
「謝るのは私の方だよ。助けてもらって、お見舞いにもきてもらったのに、追い返したりして……ホント、ごめんなさい」
「シルファ……」
「ウィルくん。――あのとき、いえなかったから」
 シルファは、顔を真っ赤にしながら
「ありがとう」
 と、言ってくれた。
 他にも、傷が残って醜いかもしれないけど、嫌いにならないでとか、色々と言ってくれた。シルファがこんなに自分から話しているのを見るのは、初めてかもしれない。
「――それでね、診療所のハルトさんって、マドラサの出身でね――」
 そして、いつも以上に饒舌なシルファを見ていて、気付いた。
 自分だって辛い思いをした……いや、今もしているというのに、僕のことを励ましてくれているんだ。
 それなのにいつまでも、自分だけが落ち込んでいたら卑怯じゃないか。

「――リンカーの力を、治療にも使え――」
「ありがとう、シルファ。ルーシーも、ホント、ありがとう」




 ひと月ほど過ぎて、右腕も動かせるようになった。それまでは訓練には参加できず、オルタの仕事もできなかったから、ほとんどは座学を中心やっていた。
 明日からは、訓練にも、仕事にも復帰しようと思っている。リンカーの認定試験も、あと三か月程度だ。訓練で遅れを取った分、頑張らないといけない。

 夜の書架は、人が少なく、落ち着いて勉強することができる。もう遅い時間のため、残っているのは僕だけだ。そろそろ宿舎に戻ろうかと本を閉じ、立ち上がろうとすると、ギルバードの姿が見えた。
「少しいいか?」との問いに頷くと、ギルバードは僕の隣に座った。

「明日から、訓練に復帰するんだってな」
「うん、だいぶ良くなったからね。まだ剣術なんかは難しいかもだけど」
 ギルバードは、「よかったな」と軽く頷いてくれた。僕たちは、お互い、正面を向いたまま話しを続ける。
「鉱山に見学に行ったとき、夜、一緒に話しただろ」
「うん」
「あいつ、どんな気持ちだったんだろうな」
 誰の話かは、言わなくても分かる。
「……分からないよ。バグが最初からだったのか。あのときからだったのかも、まだ分かってない」
 ギルバードは肘を机にのせ頭をもたげると、大きなため息をついた。
「お前たち三人が戦ったあの夜、あいつが外に出ていくのも分かってたんだ」
「うん」
「お前たちが戦っている間も、ずっと見てたんだ」
「……うん」
「信じられなくてな。ただの訓練なんじゃないか、なんて、馬鹿なことだって思ったほどだよ」
 ギルバードは、押し殺したように笑った。
「倒れたお前を、あいつが叩き潰そうとしたとき、本気なんだって、ようやく認められた。認められたら、何てことはない、自然と体は動いてたよ」
「ギルバード……」
 本当に、ギルバードには、嫌なことをさせてしまった。ギルバードは友達も多かったけれど、それでも、宿舎の部屋も同じグリッジが、一番仲が良かったように見えていた。そんな友達を手にかけるなんて、どんな心境か想像すらできない。
「……ごめん。だけど、本当に助かった。ありがとう」
 僕は立ち上がり、ギルバードに向かって頭を下げた。嫌な想像だけど、例えばエルスがあんな風になったとして、僕は、ギルバードのようにできるだろうか。そのときになってみないと分からない、けれど、そんなこと、考えただけでも気分が悪くなってしまう。

「がはッ」
 不意に腹に衝撃がはしる。腹筋に力を入れていたため、さほどではなかったが、思わず声がでてしまった。
「気にすんな、って言っても、お前じゃ絶対気にしてしまうからな。これで御相子ってことにしておけよ」
 拳を前に突き出したまま、ギルバードは笑った。
「というより、俺も、聞いて欲しかったんだ。こっちこそありがとな、ウィル!」
 ――ああ、そうだ。失ったものばかりじゃあない。
 差し出された手を握り返す。
「どういたしまして。これからもよろしく、ギルバード」



 鉱山での夜に悩んだことについて、僕はまだ答えを出せないでいる。自分がこれから何をするか、何ができるかも分からない。
 けれど、エルスと、マドラサで出会った仲間と一緒なら、この先も何だってできる気がする。
 子どもっぽい考えだとは思うけれど、ただ、一つだけ信じられるようになった。
 仲間との思い出や絆は、これから先もずっと忘れることなく続いていくもの、ということだ。
 それが、楽しいものであれ、たとえ辛いものであれ、いつだって僕たちを繋ぐリンカーなんだ。



<了>

後書き

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作者 遠藤 敬之
投稿日:2016/01/03 20:31:22
更新日:2016/01/03 20:34:57
『ウィルとリンカーの繋ぐ世界』の著作権は、すべて作者 遠藤 敬之様に属します。
HP『創作は力なり(ロンバルディア大公国)

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