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作品ID:580

こちらの作品は、「お気軽感想希望」で、ジャンルは「一般小説」です。

文字数約9284文字 読了時間約5分 原稿用紙約12枚


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灰縞 凪 ■遠藤 敬之 ■まっしぶ ■白銀 ■ふしじろ もひと 


小説の属性:一般小説 / 未選択 / お気軽感想希望 / 初級者 / 年齢制限なし /

潮騒と

作品紹介

うつ病の月の青白い光。
散り散りに浮かぶ、対人恐怖症の星々。

ぼくは、そこにまるで世界から取り残されたようにして立っていた。

一面の干からびた砂と、
フジツボと一緒に無理心中したテトラポット。

孤独でいることに慣れることは、とても悲しいことなんだと、
そう教えてくれたひとを彼方から探して。

そのとき、

ぼくは、ぼくの「影」と出会った。



 そこは一面の砂だった。
 一切の温もりを感じさせない月明りに照らされて、静寂に満ちた世界があたり一面を包む。そこに、ぼくはボロ布のような布切れ一枚を纏って、たった一人きりで立っていた。
 嫌いな自分の体を、今まで隠して生きてきたのに、こんなに嫌な気分にさせられることはない。どうしてこんなに生き辛いんだ。この体は。
 ……受け入れてくれる存在なんて、いないところからここに来たんだ。ぼくに、失って困るようなものはもうここに来る前、どこかにまとめて置いて来たんだろう。
 植物など死に絶えた大地に、暖色系の色合いの砂と、ちらほらと見える人工物のテトラポット。流れ着いたのだろう大小様々な何かが、うず高く詰まれたゴミの山がそびえ立っている。
 常識を逸脱した光景に、ぼくは目を奪われた。理解すると同時に、疑問符が無数に浮かび上がる。
 疑問に思っても、口には出さない。無論、出す必要がないからだ。誰一人として人の姿が見えない。周りに、乱雑に投げ捨てられた後のような、テトラポットの姿が見える。波が作り上げた波紋の跡が、申し訳なさそうに掠れて揺れた。
 ほんのりとわずかな、潮の香りが鼻腔をくすぐる。乾いた風が、ふわりと頬をなでた。     
 もしや、かつて此処は海だったのだろうか。暗く深い深海の夜空で、星が弱々しく淡い光を放つ。唯一の光源は、あの鬱屈とした青白い月光と、自分を恥じるように瞬く星々だけだ。
 薄暗く乾ききったあたりを見渡す。          
 生物が全くいない。その生きていた痕跡さえも、ほとんど確認できない。唯一の証としては、干からびた一フジツボが、テトラポットにへばりついてミイラ化しているだけだ。さらさらとして、きめ細かい砂塵が地表を薄く覆う。すくっても、指の隙間からするすると落ちていく。
 あたりまえのように空腹感も寒さも、恐怖も自分の中になかった。この世界に来るときに、邪魔なものは捨て去ってしまったのだろう。それとも、すでにぼくは死んでしまい此処は、死後の世界なのだろう。そんなこと、どうでもいいかと思い、すぐに思考を中断した。それはいつもの悪い癖だが、何を考えても無駄なのは状況的に明らかだった。
 意味も無く空を仰ぐと、生気を感じさせない月と星が気だるげに光を落し、地面を照らしていた。
 欠伸をしているように、見るからにやる気がなさそうで、全てを捨てきった表情をしていた。自殺願望でもかかえているんじゃないか? 
 うつ病の月に照らされて出来る影は、薄く不出来で存在を感じにくい。実に不安定で、虚弱そうで、所々未完成品のようにも見える。あの月に、作られた影は、ぼくの知る誰かによく似ていた。影が誰か、自分以外に見えることはないのだ、ぼくは何を考えているんだろう。   
 でも、その影は、毎日ぼくと一緒にいた気がしたのだが、なぜだろう。思い出そうとすれば、思い出そうとするほど脳内に靄がかかる様に曖昧になる。起き抜けに、夢の出来事を思い出すようなそんな徒労を覚える作業だ。
 ぼくは、思い出す事を諦めて、近くのテトラポットに腰掛けた。無限に広がる大地を眺め始める。だが、地面が心なしかゆるく湾曲しているように見えた。  
 一体どれだけ小さく、怠惰に溢れ、乾ききっているだろうか。この星の小ささが、そのまま自分の度量の狭さを意味するようでなんだか無性に腹立たしい。
 眺めていて、こうまで気がめいる風景などそうは無い。気を紛らわすために、近くに転がる流木を手にとった。
 突然、背後に気配を感じた。慌てて後ろの方に向き直る。
 
 そこには、「ぼく」が立っていた。
 
 それは黒く、少しだけ向こう側が透き通って見え、人間の温もりをわずかに感じさせる不思議な材質でできていた。まるでぼくの胸のうちを表しているように、その眼は深い灯火が宿っている。ぼくがコールタールみたいなどす黒いペンキを頭からかぶれば、きっとこんな感じだろう。鏡を見ているような錯覚を覚えるほど、瓜二つだ。その「影」の格好だけ見れば、面倒で切っていなかったぼさぼさに伸びたこの髪までもそっくりだ。今のみすぼらしい姿を見せ付けられているような気がして、不愉快でたまらない気持ちにさせられる。
 「影」は、手を延ばせば届きそうなほど近くに立っている。あろうことかその影は、ぼくの足元と繋がっているわけでは無く、独立して動いていた。そいつがそこに存在する代わりに、ぼくからはぼくの影を取り上げられていた。矮小でも、この世界を照らす、月の光を反射しない。僕は、そこに存在を映せない。
 何事にも無関心を貫いて来たぼくが驚くほどだ。実際にはありえない現象なのだから。
 この星全体の、呼吸の代わりに溜息をついて過ごしているような雰囲気に、ぼくは少し慣れすぎてしまっていたのかもしれない。この居場所をあいつに奪われるわけには行かない。元の世界では、学校の誰からも避けられ、嫌われ、虐められていた。
 邪魔だ。どこかへ行って欲しい。この場所に、ぼく以外にいらない。一人でいたさっきまでの方が、よっぽど気が楽になれた。ぼくはあからさまな嫌悪感を、無意識に表情に出していた。
 手にしたままだった流木をほうり投げ、もう一度テトラポットに座りなおした。代わり映えの無い景色を見ることを再開する。
「……ねえ」
 しばらくたってから、やがて影の方が折れた。風鳴りの音すらしない世界に、響く小さな声。唇がかすかに動いた。自身の声よりも、透き通った声だった。何かを問いかけているようだったが、完全にぼくの意識の外だ。
 実際はしっかりと聞いているのが、ぼくらしいといえばそうかもしれないけれど。
 ぼくは精神的に疲れきっていたのかもしれない。影が問いかけてくるなんてあまりにも現実離れしていた。順応性が高いとかその話などではない。
「ねえってば。聞こえてないの?」
 少し静かにしてほしい。自分以外に誰もいなかった世界で、やっと一人になれたんだ。無視してしまおうか? どうせ自分の影だ。傷つくも何も無いだろう。
 ぼくの決断は早かった。
 問いかけられた声を、ぼくは黙殺した。
 ぼくは、自分が何かと接するのが面倒で、苦手で、恐ろしくて、何よりも嫌いな性分であることを知っていた。無視を決め込むことは当然の選択と言える。無視すれば、誰も自らぼくの居場所へは立ち入らない。相手にすれば、話してしまう。話しかけられてしまう。
 だから、誰も立ち入らせない。誰も踏み込ませない。そのための場所だ。ひとりになれば、誰かに神経を使う必要なんて無い。ぼくは縮こまるような体育座りで、膝を抱えなおした。
「なんだよ、人がせっかく話しかけてやってるってのにさあ! そういう態度が気に食わないって人がいるからあんな目に遭うんだぞ! いいかい、ぼくだって君の一部としてそれなりに生きてきたけど、本当は不満ばかり感じているんだよ? だいたい、そもそも君が、――」
 影は、その間ぼくが自分を相手にしないことへの不平不満を喚き散らしていた。
 ひとしきり愚痴った後、嗚咽が聞こえた。無視がそんなに耐え切れないの? ぼくは顔をしかめた。ただ単に、ぼくは静かにして欲しい。それだけだったのに。
 無視は存在の否定だと、机をバンバン叩きながら、人に初めて怒っているときの姿を見せて言ったやつがいた。僕こそがその時の被害者だったのだけど、加害者共はそいつの言葉に目を伏せ、弁解の言葉を口々に言い、そいつに許しを請うた。そいつは言った。
 許しを貰う、相手が違うでしょ、と。
 首を竦ませるようにして後ろを見やると、影の目じりに涙のような雫が見えた。弱すぎだ。心がもろ過ぎる。まるでガラスを超えて、発泡スチロールみたいな強度だ。このままだとぼくに、面倒事が降り注ぐのが目に見えている。
 無視をするということは、いつかぼくにしたやつらと同じことをしていることになる。今さらそのことに気が付くと、僕は、相手にするふうを装って、軽く受け流してやることに決めた。「涙腺」という名前の、爆弾が起爆する前に。

「よかった、ようやくこっちの話を聞いてくれるんだね。安心したよ。このまま無視されるんだったら、いっそ君を殺してぼくが君に成り代わってやろうとまで思ったんだから」
「……へえ」
 ぼくは影の、「対話」と言うよりも、独白や演説に近い言い分を右から左へ聞き流していた。退屈な数学の授業を聞き流すのとよく似ていた。その時ぼくは、どうでもいい事ばかりを思考していた。ぼくのなかに、こいつという存在を入り込ませないために。
 自分がなぜ、そうまでしてあいつを排除したがっているのか、自己分析が苦手なぼくにはよく分からない。でもきっと、この感覚こそがきっと、同族嫌悪なのだろう。
 それにしても、どうして影はこんなに感情が豊かなんだ。ぼくと同じ容姿の癖に、そんなに饒舌に人のことを語るなよ。知った風な口聞くなよ。何でぼくよりぼくのことを知っているんだよ。
 心当たりは無かった。何も知らなかった。影に意志がある事も、たかが自分の影相手に、ぼくが嫉妬する理由も。
 ぼく自身、こんな自分に一番驚いていた。
 「小さな親切、大きなお世話」という言葉、これはまさしくそれだった。望んでもいない対話を押し付けられて、静かな空間が欲しいのに目の前でギャーギャー喚かれて。……ぼくはイライラしていた。けれど、こんな感情は自分にとって懐かしいものだった。散々殴られて、けなされて、心を折られるような真似をされてばかりだったぼくは、そういったことにも全部慣れきってしまっていた。怒りを抱くことさえも、やつらに剥奪されていた。
 この砂浜に飛ばされる以前、ぼくがいじめられ始めるよりももっと前、ぼくに話しかけてくる人間が一人だけいた。その人の一喝のおかげか、ぼくへのいじめはなくなった。けれど、その功績をだしにぼくをゆすることもせず、ただぼくの生活にゆっくりと混じっていった。それはぼくと同じ学校のクラスメイトだった。
「影のぼく」よりも、もっと五月蠅くて底抜けに明るいひと。
 主観的に見れば、彼女は全てが変哲でしかない、どこにもいない、きっとあそこには不可欠な要石みたいなものだった。
 名前はどうしたことか、よく覚えていない。欠落したように、そこだけ欠けていた。ここに来る途中に置いて来たぼくの荷物の中に入っていたらしい。
 それは、とても大切にしていたものかもしれない。どうしてか、忘れてしまったことをひどく後悔して、そのことに怯えている自分がいた。その人との、繋がりが断たれてしまうのではないかと、不安にすら思う。その人が、ぼくの肉親ではないことだけは確かだが。
 短くて、その人らしい、柔らかな母音ばかりの発音だった。そこまで覚えているのに、しっかりとした名前が出てこないことがもどかしい。
 そいつが何度も話しかけてくるので、一蹴してやった。そうしたら、次の日にはまた、何でもないような笑顔で話しかけてくるようなやつだった。馴れ馴れしく、まるでぼくの友人にでもなったつもりで話しかけてくる。これは、同じ嫌悪でも、今までで始めて感じた種類の嫌悪だった。
 そいつは、クラスでの人望が厚く、文武両道、熱血気質、頼れるリーダー格、お人よし、クラスの中心人物、などと総合的に見ても呆れるほどの「持つ者」だった。それほどその人の符号を持っているのに、やはり名は浮かんでは来なかった。顔立ちも、整っていたような気がするが、顔のパーツがぼやけていてすりガラス越しに対面している気分になる。
 そいつは学級委員長も積極的に立候補し、二年連続で任命されている。生徒会の経験もあったかもしれない。
 それ故に、ぼくは彼女が苦手だった。

 ぼくにとって、そのひとは未だかつてない脅威だった。ぼくの、ぼくのためだけの何も無い平穏。誰からも話しかける事なき静かな日々。
 なぜ? なぜ、誰とも話そうとすらしないぼくに、話しかけようとするんだろう? 
 ろくに返事すら出来ずにいるぼくと、なぜそんなに快活な笑みで傍にいられる? 
 いつもそのひとは、なんの脈絡も無く、馴れ馴れしい態度で話しかけてくる。正直なところ、ぼくはそのひとの性格や容姿を、認めていない訳ではなかった。
 ただ、話しかけてくる度、彼女の周囲の取巻きが、まるで粗大ゴミや虫けらでも見るような目でぼくを見つめてくるのだ。
 まるで、ぼくがそこに存在するのがおかしいとでも言いたげな眼差しで、ぼく如きがそのひとと話すことがおこがましいとした目つきだった。とてもぼくには耐え忍ぶことなんてできなかった。
 人は花しか見つめない。足元の土くれなどには、目もくれない。可憐な花と無様な土には、強固な城壁のような垣根があることを理解しなければならない。
 だって、そうだろ? 絶対に揺るがない不変の事実だ。まるで、朝の次に必ず夜がくるように。
 彼女は、いつだってぼくのような、除け者を「友人」呼ばわりした上に、無邪気な笑顔を浮かべて近づいてくる。とにかく、そのひとはぼくにとってひどく邪魔だった。目の前に体育座りでしょげこんでいる、この「影」も、そのひとと同等かそれ以上に邪魔だった。
 それ以前に、話し相手になれといっても、こちらには会話をする必要が微塵も無いのだ。ぼくは会話の主導権を全て、丸投げした。つまり「答えるだけ」でいいのだ。たとえ、質問の答えとして不適切であっても。それ以前に、答えでなくとも。
「影」が、呆れたようにため息をつく。
 そして、小さく頷いた。
 これで相手の了承を得た。
 問答無用。最初から答える気などあるわけが無い。
 ぼくは延々と質問攻めに遭った。数百の出された質問全てを、ことごとくパスをする。質問攻めの間、ぼくの体感時間はゆうに四時間を越えていた。打ち切りの提案を出すのも面倒だったので、相手の心が自分からへし折れるのを待った。
 どんな質問も切り捨てる。そもそも選択肢は、もとよりぼくの中では「パス」以外ありえないはずだった。
「……君の、すきな人は?」
一瞬だけ、言葉に詰まった。
なぜか、即答できなかった。そんな人間、いない。自分自身以外に、心を許す気など毛頭無かった。
「ぃ、いないっ」
 影はなぜか嬉しそうに微笑む。その笑顔があまりに様になっていて少しだけ泣きたくなった。人前で笑った事なんて、一度も無いのに。
「……やっと答えてくれたね。ぼくの質問に。じゃあ、きらいな人は?」
 影が、問う。
 馴れ馴れしく、そして無邪気な笑みで。とても自分の顔とは、思えないほどの満面の笑みだ。その顔で笑わないでくれよ。また、自分の事が嫌になるだろ。 
「君とぼく」
 次は、詰まらずに口から出てきた。自己嫌悪もここまでくると、自分が何なのか分からなくなってきた。
「……きみは自分に素直になりきれてないだけなんだ。今の君にとっての影は、紛れも無く君自身である事に変わりはないんだよ? 心を許せる『誰か』なんて簡単に作れるかも知れない」
 ぼくの中で、何かが弾けた。
「お前に、ぼくの何が分かる! ただの影の癖に、いい気になんなよ! 何だって言うんだ! 分かってたんだよ……周囲の眼に耐えながら、ういと話すのなんて、最初ッからぼくには無理だったんだ!」


「……うい?」
 先ほど放った言葉を、その一部を、もう一度反芻するように呟く。

 うい、……卯衣(うい)。
 それは、ぼくを救ったひとの名前。

 全てを取り戻すように、記憶が晴れていく。
 ぼやけていた容姿も、声も、卯衣と共有した記憶の全てを。

「……君には、まだ、彼女がよほど強く残っているんだね。ぼくを救ったのが、彼女なら、君はぼくとの対話でそれを思い出したことになる」
「……」
「ね? ちょっとは役に立ったでしょ?」
 ……そんなこと頭では、頭では分かっている。
 でもぼくの心が、それを許さなかった。
 影がしようとしていたことを、素直に受け取れないぼく自身に嫌気が差す。
 それよりもぼくが誰かを怒鳴った事が信じられなかった。
 クリスマスの夜だった。周囲に自分を好いている人間が山ほど居るのに、兎衣は愚直にもぼくを誘った。挙句の果てに、クリスマスプレゼントまで渡してくる始末だ。お返しを彼女に渡さなければならなくなり、困り果てたのを覚えている。中身は文庫本だった。クリスマスプレゼントに、文庫本という異質なセンスに、肝を抜かれたのを覚えている。
 それでも兎衣を、最後まで嫌う事ができなかった。眩しすぎるあの面影も、色褪せた思い出と一緒にぼやけて、それでも消えることなく僕の中に残り続けている。
「大丈夫さ。その人のことを、嫌いにならなければ必ずはなせる。仲良くなれるよ」
「……口ではどうとだって言える。とっとと失せてくれ。もう何も話したくなんて無い。邪魔だ……二度とぼくの前に現れるな!」
 ハッとしたように、影が目を見開く。
 深くうなだれて、見るからに悲しそうな目を向けた。道に迷った犬のような目だった。そのまま二、三歩後ずさる。まるで親友に裏切られたかのような、悲しみを隠せないでいる。そして影の目から、涙のしずくが零れ落ちた。それをきっかけに、「影」が指先からボロボロと壊れていく。
 涙の色は空気に触れた瞬間、くすんだ黒になった。まるで墨汁の様だ。     
 ……そんな事はどうだっていい。このまま消えてくれれば、うるさい奴がいなくなって清々する。影の輪郭が、淡くなりはじめた。おかげで、もともと不鮮明だったのがさらに曖昧になる。
 黒く、半透明に透き通った欠片を撒き散らし、影が崩れていく。ボロボロになった体で声を漏らす。
「ごめん。もう、耐え切れないよ。消えちゃいそうだ。……すぎた願いかも知れないけれど、最後に一つだけ」
 ぼくのすぐ前で、ひときわ黒い闇となり「影」が四散していく。その身体が糸屑のようにほどけ、明ける事の無い真夜中の、空に溶ける。その一瞬、脳内に声が響いた。  
「……じゃあね、アキノ。ぼくは、先に行って待っているよ」  
 そう一声かけると、影は跡形も無く掻き消えた。また代わり映えの無い気だるげな風景に、またひとり、取り残される。
 望んで独りになったのだ。八つ当たりなんかじゃない。それに、成り行きなんかでもない。
 かったるそうなうつ病の月も、無数に散らばる対人恐怖症の星粒も、無言でたたずむテトラポットも。

 空が、拓ける。青い月が、真っ白く燃え上がり、陽の熱を帯び始める。

 願いを燃やして、新しい朝日が、ぼくの体を優しく包み込んでいく。光が弾け、拡散する。
 視界が眩い光に包まれ、思わず瞳を閉じた。視野が白く塗り潰され、何も見えなくなる。何も聞こえなくなる。何も感じなくなる。
 そのまま意識までも、徐々に削られて無くなっていく。朧に霞む意識の中、一人の友人の顔が脳裏をかすめた。
 卯衣のことを、最後まで嫌いになれなかった。
頬に、一筋の涙が零れ落ちる。腑に落ちないが、その唇が小さく言葉を紡ぎだした。
「……ありがとう。ぼくの影。おかげで少しだけ、楽になった気がする。……怒鳴って悪かった」
 そう言って、ぼくは少しだけ笑った。その笑顔につられて、ぼくの影も一緒に微笑んだような気がした。
 あの太陽と同じくらい明るい、ただ一人笑いかけてくれた彼女の笑顔を思い出しながら。
 影のあの時の一言。

――彼女と笑いあえる日をまっているから

 どこかで、潮騒が聞こえる。
 視界が白く塗りつぶされていく。
 ぼくは、誰かに呼ばれている?
 
 世界に水が満ちていく……。


「……のっ! ……きのっ! …っ! 秋乃!」
 少しずつ意識が覚醒する。ぼやけていた声も、徐々に鮮明に聞こえるようになってきた。どこかで聞いた事があるような……。誰か、とても会いたかった人の声だ。
 その地味に美声な声が、ぼくの名を呼ぶ。とても近くから。そう、手を延ばせば届きそうなところからだった。ゆっくりと像を結び、視点が合う。しっかりと見据える。
 そこには、ぼくの友人の顔があった。

 白い天井。白い壁。白いベッド。クリーム色のカーテン、真紅の輸血パック。
 時折、鮮明な色が混じる、こぢんまりとした個室。ぼくは、そこに寝かされていた。
 それよりも、今までぼくになにかあったのかもしれない。
「影」は、きちんと傍にいる。電灯に照らされて、浮かび上がった。
 彼女に少しおどけた様に話しかけてみる。
「おはよう……兎衣」
「おはよう、じゃないよ! どれだけ心配したと思ってんの!」
 その言葉に偽りが無いと知り、うれしかった。だって、目尻が赤かったから。
 こんな自分のために泣いてくれる人がいる。その事実だけでも嬉しかった。これでやっと自分から話しかけることが出来た。彼女はそれに気が付いていないようだった。
 それからだった。奇妙な体験をしている間にぼくは意識不明の重体だった事を、彼女の口から聞かされた。その原因の交通事故に遭った時、病院に連絡したのは兎衣だった。ぼくの第一発見者ということになる。
 どうしてそんな奇跡が起きたのかはよく分からない。だが、分かっている事はぼくが信号無視の車両に轢かれ、それを兎衣に助けてもらったということらしい。 
 らしいというのは轢かれたときの衝撃で当時の記憶が欠如してしまっているからだ。
 あのときの夢で見た、眩いばかりの太陽の正体は、もしかしたら兎衣だったのかもしれない。
 あれから、彼女と二度目の春を過ごす。
 今まで何をやっていたのかと思うほど、今では簡単に兎衣と話すようになった。
 隣にいる彼女の横顔を盗み見る。
 少しだけ不本意だが、今の自分と隣の「彼女」を好きになれた。 もしかしたら。
 もしかしたら、こんなぼくでも、彼女を好きなる資格があるのかもしれない。卯衣を好きになっても、彼女なら本当のぼくを受け入れてくれるのかもしれない。彼女を、ぼくは愛せるのかもしれない。

 風に舞う淡いピンクの花弁が頬をなでる。
 新たな期待を胸に、桜並木の道を並んで歩き出す。
 ぼくら、二人の影が、寄り添って歩いていく。

後書き

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作者 灰縞 凪
投稿日:2016/07/24 21:14:30
更新日:2016/09/14 17:58:46
『潮騒と』の著作権は、すべて作者 未設定様に属します。
HP『未設定

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