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作品ID:594

こちらの作品は、「批評希望」で、ジャンルは「一般小説」です。

文字数約19148文字 読了時間約10分 原稿用紙約24枚


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遠藤 敬之 ■a10 ワーディルト 


こちらの作品には、暴力的・グロテスクおよび性的な表現・内容が含まれています。18歳未満の方、また苦手な方はお戻り下さい。

小説の属性:一般小説 / 未選択 / 批評希望 / 初級者 / R-15&18 /

作品紹介

人はあるきっかけで、鬼になる。無縁だと思われていた言葉が、
美智の心の奥底で芽生え始めていた。


初投稿者です。何卒宜しくお願い致します。


プロローグ

人は鬼になる。もちろん最初は誰も気づきはしないけど。

 ヒロ。貴方は私に、そっと言った
「すべての出会いには意味があるんだよ」
 
「美智が嫌になったら、いつでもサヨナラしていいから」
「僕は去るものは追わないからね」花冷えの少し肌寒い季節だった。二人は抱き合い、 私は温かかった。この温かさを未来永劫に覚えていたかった。



 美智は駅へ向かう際に、通り過ぎる鉄工所が嫌だった。いつも、いつも、耳を劈くような音を出しているから。そして何より、工員の一人が舐め回すように、身体を見る眼差しに嫌悪感を持っていた。
 仕事納めの今日、美智の職場では半日かけて、全員で大掃除を行う。
「この間久しぶりに四方さん来られて、手相を見てもらいました」
「私がエラー出しちゃって、来てもらった時ね」美智の三年先輩と同期の里美との窓を拭きながらの雑談。
「でも、あの人の手相占い結構当たるよね?」
「ですよね。デモ手を握りたいだけかも、しれませんよね」と 二人は笑い合う。
 去年職場では、新しい『会計ソフト』を導入した。美智と担当エンジニアの彼、 四方博文との関係は来年の春で一年になる。二人の関係は誰も知らない。美智は、特に話題には、入らずに締めくくりの『正月飾り』を行なっていた。


 大晦日の夜。
「美智。おせち料理って作ったの? 」
「簡単に小芋とか ごまめとかね。ヒロ。明日食べよ」そう言い合いながら、博文と美智は二人、電車に乗り込んでいた。混雑する車内でさえも、博文は、スマホ画面を見るのを、止めなかった。美智はそれが嫌で堪らなかった。誰かと文字を交わしているのか、笑いながらスマホを持つ指が動く。
「美智。寒いね」
「ヒロ。すごい人だね」取り留めない言葉しか発せずにいた。
「今私と居るのに他の人と連絡しないで」と本心を言えば離れていくかもしれない。それが怖かったから。ゴーンと響き渡る除夜の鐘を聞きながら、二人は帰途につく。そして、いつもの様に美智は、訪ねてしまう。
「ヒロ。私の事好き?」と。博文は優しい表情で、 華奢な美智を慈しみ、抱き寄せながら囁く「好きだよ」 美智の胸まである黒髪は、白い裸体を際立たせていた。激しく絡まり合った後にアロマオイルで調合された、ラベンダーの香りの部屋の中で、博文の温かさを感じながら、美智は眠りに就くのだった。


 年が明けて、お正月気分も抜けかけた頃。上司から一人の女性を紹介される。
「こちら派遣の大森 鈴香さん。 色々と教えてあげてね」
「よろしくお願い致します」
「片岡さんにいろいろ聞いてね。大森さん」上司は美智に託した。鈴香は可愛らしくお辞儀をし、軽く挨拶を済ますと美智の隣の机に来た。美智の前の机の里美が躊躇いもせずに、鈴香の歳を確認する。二十三歳。肉付きがあり、妙に色気がある鈴香を見て、美智は良い印象を覚えなかった。鈴香は人懐っこい性格で、交友関係が多いのを幸いして、瞬く間に職場に溶け込んでいった。

 幾日が経ち「四方さん、お久しぶりですね」里美が挨拶する。美智は顔をあげた。職場で見る博文を久しぶりだったからか、胸の鼓動が高鳴った。
「お久しぶりです。 吉野さん」博文は軽く挨拶いた後、鈴香を見て驚いていた。
「アレ? 鈴香ちゃん、 ここに派遣されたの?」
「はい。まだ勤務歴三週間です。又、ご飯行きましょうね」と挨拶を交わす二人。
「え? 大森さんとお知り合い?」驚いた里美が問うた。
「はい。私の彼氏のお友達なんです。仲良くして頂いて……」
「ええ? 大森さんの彼って何歳?」鈴香の周りにいつの間にか小さな輪が出来ていた。その様子を覗う美智は、自分が惨めに思えてきた。
『あんなに笑っているヒロ、久し振りに見た気がする』言いようのない寂しさが、込み上げて来るのを感じていた。その後。家路を急ぐ美智は、今日も耳を劈くような音を出し、鉄を切断している工場を横切る。いつもの様に、油まみれの工員の蛇の様な眼差しに合うと美智は、異物が込み上げて来るのを感じる。特にこんなうら寂しい日は、嫌悪感が増していくのだった。

 『大森さんて可愛いね』入浴後、スマホで博文と文字を交わす美智。『そうだね、ツレも凄く大事にしている』美智はその人物を知らなかった。『でも俺は十歳も離れてるから、異性を感じないけどね。もういい? おやすみなさい』文字で見たら冷たく感じる。『おやすみなさい』そう返し既読を確認すると、何故か安心して眠りにつけるのだった。


 博文との始まりは『手相占い』だった。
「片岡さんの手相見るの初めてですね」気さくな笑顔と共に、慣れた手付きで美智の手を取る。すると博文は急に黙りこんだ。ブラウスの袖口から見え隠れする、美智の細い手首に、何本も残っていた線を見て推測をしたからだ。『リストカット』職場で知っている人者はいない。美智は命を断とうとは、思ってはいなかった。気付いたら手首に何本も紅い線を作っていた。制服は長袖のブラウスだから、良く見ないと気が付かない、半月前の傷……。その後直ぐに博文から美智へ、連絡を入れていた。『片岡さん。もしよければ……』話を聞くよとの内容だった。美智は過去、既婚者と付き合っていたことがある。モチロンその事実を知ったのは、深い関係になってからの事だった。
 『又、裏切られたら……』と思いながらも、逢う回数が頻繁になるに連れて、優しく接してくれる博文に惹かれていった。そして、「二度とそんな事はさせないよ」との言葉を博文は美智へと贈っていたから。尚更だった。



花冷え


 休日美智は、博文の部屋にて、いつもの様にスマホの画面をながめながら、楽しそうに指先を動かしていた。外は冷たい雨が窓ガラスを這わしていった。
「ヒロの誕生日、ここに行かない? 」 
「里美が彼氏と行って、美味しかったらしいよ」博文は興味を美智に移し「里美さんって吉野さんの事? どこ」と言い、後ろから抱きよせて雑誌に目をやる。美智は博文の身体から薫る『ジャスミン』の香りが心地よかった。アロマオイルを組み合わせて作る、美智の手作りトワレだったから。
「ここね、イタリアンだって。ヒロ好きだよね」
「うん。お洒落な店だね」そういいながら、美智の髪の毛をかき寄せる。
「美智は本当に肌も綺麗だよね」首筋に 唇を這わすと、博文の指先は、美智の裸体を顕にさせようと、動かしていくのが、解った。
「まだ明るいよ」
「美智が欲しいよ」博文の唇が音を立てて、美智の首筋に薄赤い印を残すと、「ヒロ愛しているよ」と美智は耳元で囁く。博文は、美智を愛おしく抱き寄せ、犬の様に鼻を舐める。博文がキスをする前に必ず行う、『特定の人物しか知らない癖』だ。
「美智。綺麗だよ」二人は重なりあい、溶け合うのを余所に、雨は窓を静かに這わしていた。このひと時は、美智にとってかけがえのないモノだった。
「彼氏がね、中々言ってくれないの。付き合ってもう一年だよ」美智の前の席にて、里美が昼休みに、お弁当のポテトを口に持っていきながらの言葉だった。
「えっ? 何?」
「プロポーズ。来年三十路だよ私達」美智は考えたことなんて無かった。博文と関わりを持って一年になる。
『結婚。考えた事なかった。ヒロと共に新しい家庭を作る 。きっと子供が産まれて、ヒロに似たら優しく、人望がある子になるだろう』そう美智が、考えにフケていると、里美の軽快な言葉が飛び込んで来た。
「美智の彼は? 居るんだよね彼」
「ん。一応ね。でも難しそ」
「そっかー。彼氏幾つ?」
「三歳上かな」その言葉に、里美は、目を輝かせて発した。
「なら、絶対に考えてるよ。美智との将来」里美の言葉が、胸を高鳴らせた美智は、この時期になるとデスクに誰かが飾っている、小さな男雛と女雛を見て「そうかな」と言って少し微笑みながら会話を終えた。
「里美さん。この前、里美さんと行ったパンケーキの店、雑誌に載ってましたよ」職場の先輩達と共に、ランチから帰ってきた鈴香が、スマホ画面を見せながら里美の横にて、話し込んで来た。気さくな里美と馬が会うのか、何回か二人で御飯に行っているのを、美智は里美から聞いていた。
「あっ。本当だ。あれ? 鈴香ちゃん。ランチ行って来たの? 前、お金無いって言ってなかった?」
「木原さんが、奢るから、行きましょって言って下さったんです。本当にお世話ばっかりになってます」鈴香が申し訳なさそうに話した後に、里美と楽しそうにスマホの画面を見ていた。美智はそんな二人を見て、胸の奥の方で、何処か言いようの無い黒い感情が芽生えてくるのを感じた。まるで、美智が居ないように話し混んでいたからだった。美智は、その感情を振り切るように、お弁当のハンバーグを頬張った。


 梅の花が、チラホラと顔を覗かせる季節。今夜は、博文の誕生日だった。美智は、里美お薦めの場所を予約していた。
『結婚。少し匂わせてみようかな ……でも』美智は、そんな事を考えながら、残業にならない様に早々と業務を熟していった。
「美智……いつも仕事早いけど……今日何だか凄いよ」里美が舌を巻く程だった。
「うん。今日は急いでいるの」
「もしかして、デート?  彼氏の話、聞かせてよね。あまり、話してくれないからなあ。美智」里美の言葉に、美智は微笑みだけで返す。仕事を終わらせて、化粧を直し、里美の「楽しんでね」の言葉を受けて会社を後にする。

 駅に向かう途中、美智の携帯が反応した。
『ヒロ』の文字を確認する。すると、『ゴメン、今日行けなくなった。お店のキャンセルお願い』と無機質な文字が並んでいた。すぐ様コールを入れるが、反応がなく、『え? どうしたの? 仕事?』と返すが返信は無かった。その夜、美智は部屋の中で、携帯を狂ったように確認し、画面ばかりを眺めながら朝を迎えていた。その所為で翌日の美智は体調が思わしくなかった。


 職場の昼食時の事。外食組以外は皆、自分のデスクにて食していた。鈴香は、美智の隣でコンビニのおにぎりを頬張りながら周りに話しかける。
「昨日行ったイタリアン、美味しかったですよ」
「鈴香ちゃん、本当に色々なお店行くよね。お金無いって言いながら」美智の前のデスクの里美が言う。
「金欠ですよ。色々と助けてくださる方々が居るんです」と、鈴香は発した後に、美智は「大森さん。彼氏と行ったの?」と、お愛想程度の一言だった。
「はい。彼氏と友達と 楽しかったです」少し間を置き、思い出した様に付け足した。
「あっ! 昨日は四方さんも、おられましたよ。お誕生日だったそうです。皆で祝ってあげたら、凄く喜んでられていました」屈託のない笑顔で、悪振れる事なく言って退けた。
「そうなんだ。四方さん昨日だったんだ。みんなと、ホントに仲がいいんだね」里美が挨拶程度に、言葉を返した。そして、視線を美智へと移すと里美は驚いた。
「美智。どうしたの。 顔色悪いよ!」
「ごめんね里美。ちょっと、席外す」美智は鈴香の話しを、耳に入れると朝からの不調が酷くなり、異物が出そうになっていた。化粧室で嘔吐をしていたら、涙が溢れ出しやがて嗚咽していった。『誕生日。私と過ごすより、あの娘と過ごしたかったんだ。酷い』美智の中に以前に芽生えたドス黒い感情が広がっていく。

 外に出ると鈴香が心配そうに「片岡さん大丈夫ですか?」と、こちらの様子を伺っていた。美智はその顔を直視出来ずにいた。鈴香に対する、嫌悪感が身体の中で覆い尽くしていたから。美智はそんな自分が、情けなく、涙が容赦なく流れ出るのを感じた。
「美智。休憩室行く? 早退させてもらう?」里美が、美智の色の無い顔色と涙を見て、上司に掛け合っていた。それを受けて上司が、美智に声を掛けた。
「片岡さん。今日は帰って下さい。明日は出てこれない様だったら電話して下さい」
「はい。すいません……」か細い言葉と共に、美智は、帰途に着く用意をすると、鈴香が「お大事にして下さい。片岡さん」と、言葉を掛ける。美智は聞こえてない振りをして、帰途に付いた。その、声でさえも嫌悪感を増していったから。いつもよりも早い時間なのかもしれない、帰宅途中に通る鉄鋼所は、静かだった。いつもの工員も、見受けない。それだけが救いだった。


 日曜日。美智は部屋で博文の誕生日の夜の事は、何も聞けずにいた。博文は、美智の想いを余所にまるで何も無かったように、謝罪もしなかった。今も、スマホ画面を眺めて楽しそうにしている。
「ヒロ。もう、止めて」美智は独り言の様に呟いた。
「どうしたの」博文は、スマホを持つ手を緩めて美智に尋ねる。「スマホ見るの止めてよ。私といるの、そんなに嫌」博文は、変貌した美智に驚きを隠せなかった。
「どうしたの美智?」美智は下を向いたまま、何も言わなかった。博文は抱き寄せ、キスをしようとしたが、頑なに拒まむ。博文は大きな溜息と共に「どうして美智は、いつも そんななの! 言いたい事があったら、はっきり言いなよ!」
その言葉に、美智は情けなくなり、涙を流すと。
「もう帰る」と、言い放ち、そのまま美智の部屋を後にした。
 それは、誰から見ても『よくある恋人通しの痴話喧嘩』だった。『少し言い合いをしただけ、すぐに元に戻る』出来事。しかし、美智はその夜博文へ、言葉を送ってしまう。『もう、別れよう。しんどいよ』と。博文からはなんの返信も無かった。

 幾日か経ち。桜の花びらが舞い散る季節となった。美智は、意を決して『もう一度きちんと話をしたい。逢えないかな』と、博文に送ってみた。しかし、既読を確認するも返信はなかった。
「そう言えばソフトのメンテ担当 、四方さんから変わりましたね。この前、後人の方と挨拶に来られてました」美智の机の前で、里美は最近エラーを出さなくなった『会計ソフト』に数字を入力していきながら、隣のデスクの先輩と、世間話しをしていた。
「そうか、もう手相見てもらえないの寂しいね」美智は、耳を疑った。「え? いつ来られたの? 知らなかった」
「美智の公休日だったかな?」目線を合わせて里美が教えた。それは、美智が『逢いたい』と連絡した二日後だった。美智の職場は、土曜日は業務がある。その代わりに、一日平日に公休日があるシステムだった。

『知らなかった。担当変わったんだね』帰宅後に美智は、博文へ文字を送ってみたが、今度は既読さえなかった。何度も文字を送っても、電話を鳴らしても、読みもされず、冷たいコールが鳴り響くだけだった。美智の連絡先を削除したのであろうが、美智は『依存症』の様にスマホを片時も離せずにいた。心の片隅では『また、あえる』と信じていたから。寂し過ぎて気が狂いそうだった。会社帰りに、博文の部屋まで足を延ばしてみる。そこには美智の知らない名前の表札があった。勿論、大好きなジャスミンの香りも漂っては来ない。美智は、心の中で何かが崩れていくのを感じた。
『もう、二度と逢えない』のを悟り、魂は何処かへ彷徨い、身体の中に何も無い様に感じていた。立っていられるのが不思議な位だった。
 今日は週末だから……どこかの場所の桜の樹の下で賑わっている事だろう。何処をどう歩いたのか分からずに、気が付くと『桜の樹の下に死体が埋まっている』そう思わずにはいられない位の、夜の桜が妖しく聳えていた。満開なのに肌寒い。
『今日で一年になる筈だったのにね』もう涙さえ出なかった。

 いつもは嫌悪感を抱いている、鉄工所を横切るとシャッターが締まっているのを確認する。何故か寂しさを募らせた。美智は鉄工所の静寂な空間で再び悟った。
『ヒロは、私から別れを告げるのを、待っていたんだ。酷すぎる』いつの間にか美智の眼から雫が溢れだし、白い頬に伝わり地面へと落ちていった。いつしかその雫は、顔一面に多い尽くしていた。
 暫くすると、工場へと向かって来る人影があった。シャッター横の『従業員出入り口』から、工員が大きなビニール袋を提げて中へ入ろうとしていた。
「誰だ!」大きな声を上げた工員は、目を見張った。華奢な肩が、声を出して小刻みに震えているのを視認したから。工員は動揺を隠せない面持ちで、美智を眺め続けた。
「何を……して……いる」かろうじて出た、その言葉で美智は顔を上げると、毎朝出会う蛇の眼差しをした工員と目が合った。
 気が付くと、美智は工場敷地内の二階、事務所の横にある、六畳一間の狭い空間ににて、布団の上に横たわり、涙の跡を残す。表情は人形の様に何も無かった。工員が言葉を発す。
「お、お前、名前は? 毎日ここを、通っていた。よな 」ぎこち無い言葉と共に、美智の上に覆いかぶさる工員。美智の唇を奪った後に、舌と指先は身体の上を、無造作に動く。名前は誠と言っていたのを、美智は微かに憶えていた。誠の抑揚する息使いと、部屋に染み付いているであろう、油の匂いを嗅ぐと、異物が上がりそうになるのを感じながら、身を投げ出していた。虚無の中、身体だけは反応している。
 事が終わると、誠の身体が、力尽きた様に項垂れていた。美智はその下で、窓の隙間から忍び込んでくる、少し冷たい風を頬に受けると、再度、涙が流れた。存在が感じられたら誰とでも良かった。もう何も美智の身体の中には、残されていなかったから。


 誠は美智を初めて見た瞬間に『天女が舞い降りた』と思った。儚く清楚で、この世の者とは思えなかった。誠は美智が駅へ向かう時間に合わせて、毎日、毎日、工場内から見つめていた。
 今晩、銭湯から帰ってくると、毎度見つめていた『天女』が。誠の眼差しを受け、不快そうに通りすぎていた『天女』が。身体を震わせて、今、目の前で泣いてる。誠は少し肩を触れてみた。長い時間、外にいたのであろう、冷えきっていた。美智自身が消えて失くなりそうに思え、気が付いたら抱きしめていた。
『儚げな天女をここに留まらせたい』その思いが、誠の身体を中を駆け巡り、抑える事が出来ずにいた。



名月

「最近、朝夕涼しくなったね」美智は里美に気を使って話しかける。もう日中以外は、冷房がいらない季節に差し掛かっていた。窓の外は早々と、月が顔を出そうとしていた。
「美智ごめんね、失敗してしまった」
「大丈夫だよ。気にしないで」里美は明るく人懐こい性質だが、人に気を使いすぎる時がある。
「私の所為で残業になって」落ち込む里美に対し
「私も先月、里美に残業させたよ。お互い様」美智が笑顔で返す。
「あれは営業が悪いんだよ! 美智は悪くないよ」正義感も強い里美は、心地よい感がある。美智と里美は、営業売り上げの経理をしている。一つでも計算が違えば、大事になるので、上司へ上げる際に二重チェックする。数字が合わない場合は、残業になってしまう。
 二人はひたすら、伝票の束とにらめっこしていた。そこへ鈴香が、申し訳なさそうに頭を下げ、
「すいません。里美さん 。片岡さん。お先に失礼します」と挨拶をする。帰り際、鈴香が美智の後ろを通り過ぎた刹那に、ジャスミンの香りが仄ほのかにした。
『美智が作ったヒロの香り』美智は瞬時にそう感じた。常時着用しているであろう、薄手の上着に付く残り香が、昨日の鈴香の行動を物語っている。そしてそれは、昨晩限りでは無い事も推測された。美智は心臓の鼓動が早まるのを感じた。そして『憎悪』という感情がドクドクと音をたてて、身体の中で拡がって行くのを、抑えこむのに必死だった。心臓が潰れそうになり、苦しくなる。
「鈴香ちゃんラーメン今度ね。ごめんね」里美が言う。暫くし、鈴香の姿が無くなってから里美が小声で発した。
「最近の子ってドライだよね」と発す。美智が「ん?」といった顔を向けると。
「あの娘、昨日の公休日。彼氏以外の男友達と二人だけで、ディズニーに行ったんだって。凄く楽しかったって、言われて。言葉無くした。なんか、最近の二十代って、やる事、分からないね 」そう言い終えると、里美は再び伝票に目を通していた。美智は、「最近の子は誰とでも出来るんだよ」と返す。その相手が誰なのかは確信すると、『憎悪』という感情を抑えるのは、不可能に近かった。
「どうしたの? 美智。終わったら、飲みに行こうよ。奢らせていただきます」ペコっと頭を下げながら明るい声を出す里美を見ると、救われた気がした。
「そうだね。行こうか。でも、奢らないでいいよ」美智は強ばっていたであろう顔が、少し綻んでいった。



 翌日の土曜の夜。窓の外から、大きな月の光が挿し込む。美智は鉄工所の二階にいた。土曜日の夜を二人で過ごす。もう、何度目の夜になるだろう……。
「お前は最高だよ。美智」白い裸体に貪り付きながら、誠は囁いていた。幾度と無く聴く、その言葉と、既に慣れた手と指先は、美智の身体を突き動かしていく。その指先は美智をまるで、違った生き物にするかの様に、時には激しく、時にはゆっくりと蠢いていくのだった。
「誠……イカせて」美智は初めて誠にねだった。誠の指と舌で、美智は激しく仰け反り、上になり、変貌していく……月光を浴びながら、自らの存在を確認していった。まるで娼婦の様に淫らで、妖艶な美しさを月光は際立たせていた。
「美智。美智」誠は思わず、何度も名前を呼び、自らの上で乱れている、美智の妖艶さを感じて、絶頂に達していた。誠の上で果てた美智を確認すると、愛おしく、誠は強く強く抱きしめた。月光を浴びる『妖女』に魂を吸い取られていくのを、留める事なんて出来なかった。

 誠の身体は美智の身体の感触を、鮮明に覚えているのを、幸せに感じていた。幾度となく身体を合わせる度に、愛おしさは増していくのだった。
「誠 最近、女が出来たらしいな」
「あっ。はい。一応」
「お盛んなのはいいが 、ちゃんと紹介しろよ 」誠が今月分の家賃を支払い時の会話。社長はいいと言うが、誠の気が収まらないので、雀の涙程度の家賃を収めていた。
「お前も早くこの部屋から卒業しろよ」社長の温情ある言葉を聴き。誠は頭をさげて事務所から出て行った。
 誠は常に、社長に頭が上がらない。三年前。ここに来た時はいわゆる、身ひとつ状態だった。どこへ行っても断られた『刑務所にいた』というだけで、差別を受けた。誠は覚悟はしていたけれど、応えた。何回目の面接だろう。社長が誠の眼差しを見た後、
「工場内はお前の様な訳在りのヤツばかりだ。ただし給料安いぞ」と言いいながら雇ってくれた。社長が昔、二階を住いにしていたスペースまで提供してくれた。

「夜の工場内の管理をしてくれ。風呂はシャワーだけだぞ。浸かりたかったら銭湯にいけ」と言いながら。誠は、今は未熟だけど社長に恩返しをしたい。いつもそう思いながら仕事をしてきた。
「誠は律儀だよな、俺も昔住まわして貰ってたけどな、家賃なんて。まぁ、女は連れ込んでなかったが」と、五年上の仕事仲間が少し厭味を含めて話した。誠はその言葉に特に反応せずに、仕事に戻った。二つ上の美智を紹介したら、社長は祝福してくれる筈だ。しかし誠にはそれは出来なかった。誠は美智と何度も身体を合わせていても、心は遠い場所にあるのを理解していたから。




冬の訪れ

 朝礼で大森 鈴香が挨拶をする。
「一年間お世話になりました。今年で契約終了です」傍にいる上司が続けて話す。
「本当は、契約更新して頂きかったのですが、ご婚約されたとの事で」結婚準備の為、きりの良い今年中に終了。という形をとったと話していた。
「鈴香ちゃんがいなくなると寂しくなるね」口々に男性職員が、輪を作り言い合っていた。

「後、一ヶ月と少しあります。 最後まで宜しくお願いします」美智の職場は、派遣でもひと月前に公表する。業務の引き継ぎ等があるからだ。美智は、鈴香と、後一ヶ月で顔を見ないで済むと思うと何故かホッとしていた。里美がいの一番に美智の前のデスクから鈴香に問うた。
「鈴香ちゃん。相手って前話してた彼氏?」その言葉で、鈴香は業務を中断させ、敢えて里美の問いには、答えずに発した。
「婚約者。実は皆さんご存知の方なんです。以前来られていた、四方 博文さんって覚えておられます?」
「え! 鈴香ちゃん、四方さんって、あのエンジニアの四方さん?」里美はかなり驚いたらしく、大きな声を上げてしまっていた。美智は予測していたものの、身体中が心臓では無いかと思う程、鼓動が激しくなっていくのが解る。昏倒せずに、座っていられるのが奇跡的だった。胸が苦しくなり、息をするのがやっとだった。そして、鈴香は、美智のそんな様子を、気に止める事なく続けた。
「皆さん。良かったら、是非、二次会来てください。来年の春ですが」その言葉を受けて、上司が釘を指した。
「大森さん。今は業務中だから、お昼休みにでもお話して下さいね」鈴香は、すいません。と言う表情をし、業務を開始した。美智は、漸く息が出来る様な感じがした。

 昼食時に鈴香の周りに、三名ほどの小さな輪が出来ていた。
「片岡さんもお邪魔する?」先輩が少し離れていた美智にも声をかけた。
「どこにですか?」輪の中心にいた鈴香が、照れ臭そうに「そんなに広くないですが、良ければどうぞ」と言いながら、簡単な手作り地図を美智にも渡す。二人で一緒に住んでいるとの事。
「有難う。あまり沢山でお邪魔しても悪いしね。又、機会があれば伺います」顔が強張っているのを感じた。
「へえー新居ってこの沿線なんだ。よく見つかったね」里美が地図を見て、感想を言う。
「あっ。私の方が、彼の部屋に移り住んでいるんです。子供が出来る迄は、ここでって」そこは、美智の住む最寄りの駅より二駅離れていた。もちろん美智は、初めて見る住所だった。そして幸福な娘は、二次会の案内状を手渡す。
「宜しくお願いします。お返事は、私に手渡して頂いても良いですし、この住所に返信して頂いても大丈夫です」と言いながら。


 誠は美智が時折、涙を流しているのは判っていた。細い肩がさらに細くなっているのを、誠は寝たふりをして見守る事しか出来なかった。そしていつしか、ある想いが芽生え始めた。
『お前の望みなら 何でも叶えてやる』と。しかし今の誠には、美智の涙に濡れた頬を、拭ってやる事さえも出来ずにいた。
「はい。簡単なものしか出来ないけど」美智がテーブルの上に親子丼と味噌汁を置く。誠は何も言わずに食す。
「うまい」美智は時々簡単な手料理を作り、一緒に食す。そして、かなりの腕前なのは、誠は理解していた。
「毎日、食べられたらいいな」誠はぼそっと呟いた。美智は、後片付けをしていたので、耳には入っていなかったが、誠は、美智の後ろ姿を見て、心が穏やかになっていった。そして、誠はいつも無骨な事しか言えないが、勇気を出して誘ってみた。
「明日 出掛けないか? 一緒に」美智が誠の事を『惚れていない』事は百も承知。何かワケがあって、誠と一緒にいるのも理解していた。でも 逢うたびに、歯止め無く『心が欲しい』と願ってしまっていた。美智は、片付けを終え、その言葉が耳に入ると美智の動きが少し止まった。
「帰るね。着替えがいるね。同じ服で人前を歩きたくないから」と優しく笑顔で発した。


 次の日二人は、穏やかな陽射しを浴びていた。いつも浴びている月光よりも、随分温かい。美智は心地良い薫りがしている。以前に、アロマオイルを組み合わせて香水を作る。と言っていたのを、誠は思い返していた。美智のもち肌に、青色のセーターはよく映える。スカートにブーツ姿は、今の季節ならではの装いだった。ウラ暖かい日曜日のスカイツリーは、家族連れが多い。
「展望台どうする?」
「任せる」
 誠は美智が、この世のものとは思えない位に、輝いているのを感じていた。誠は何度も身体を合わせているのに、今の美智は、手を繋ぐ事さえも、ままならないくらいに、眩しかった。二人は、混雑する展望台を諦めて、 ツリーの周りを堪能する。
「ここからの眺めの方が良かったね」美智は何も話さない、誠に向かって声を掛けるが、誠は、「ああ」としか返さない。暫くするとカップルから、写真を撮る様に要求され、美智は笑顔で粉していた。
「良かったら撮りましょうか?」カップルの男性が気を使ってくれる。美智は少し微笑んで 「すいません」の言葉と共に、スマホを男性に渡していた。そして美智から、手を繋ぎツリーを背に横に並ぶ二人。誠には信じられない心情だった。
『二人で並び写真を撮る』いつ果てても良いとさえ思った。
 
 美智は不思議な感覚だった。以前の美智なら考えられない。あの蛇の様な眼差しで、見つめられていた、『工員』と並んで手を繋ぎ、写真を撮っている。今はアロマの香りもしない、油まみれの仕事着でさえも、嫌な感情は持ち併せてはいなかった。美智は、まるで中学生の初デートみたいに、緊張している誠が面白かった「折角だしお土産買う?」
「あっ! ああ」その言葉を聞いて、何故か笑ってしまう美智がいた。
「なんだ?」怪訝そうな顔で聞いてきた。
「そんなに緊張しなくっても大丈夫よ」少し誠の口角が上がる。美智に初めて見せる顔だった。

 混雑する土産屋で美智は、お決まりのキーホルダーを二つ持って、レジに向かおうとしている。
「俺が払う」美智からもぎ取り、レジに向かう誠の姿を見守る美智の心は、どこか穏やかだった。

 しかし次の瞬間に美智は胸が苦しくなった。『ヒロの香りのジャスミン』が鼻についたから。美智は博文本人のモノではないと承知していた。しかし未だ、博文に対して『思慕の念を抱く』自分と、対なる『私怨を抱く』自分とが入り乱れてしまい、美智は過呼吸に類似した症状になった。心の中で叫んでいた。
『苦しい。誰といても、何処にいても思い出す。記憶を、私だけが覚えている、あの人の記憶を、全て消しさってしまいたい』そして今迄、美智の中で成りを潜めていた感情が出現し、再び身体全体を満たしていく。『貴方を許さない』と。会計を済ませた誠が、しゃがみ込む美智に気付いた。
「美智! どうした!」多くの眼差しの中でさえ、誠は気にも留めない様子で美智を抱きしめ続けていた。


 翌日の事。美智は驚く。携帯の伝言にメッセージランプが点滅みていたから。それを確認をすると、誠の無骨な声だった。そして短い言葉で『部屋に来い』と入っていた。おそらく、昨日の事が心配だったのだろうと、美智は安易に想像が出来た。仕事の帰宅途中、一昨日と同じ様にシャッター横の『従業員出入り口』から入ろうとしたら、その前で誠が包み紙を持って待っていた。「今日、誕生日だろ」
「えっ? どうして」知っていたのだろう。そして、いつの間に……誠は何も答えなかった。
 それは、お互いが初めて身体を合わせた日。美智が持っていた資格者証に、生年月日が記載されていたのを見つけていた。誠は美智の好みが、何かが解らない。要らないと言うかも知れない。それでも美智と言う名の天女に、何かをプレゼントしたかった。誠が売場の女性に見立てて買った品だった。
「帰れ。これを渡したかっただけだ」誠はいつもの様に、俯きながら無骨に言う。暫くして見上げると、既に包み紙の中からスカーフを取出し、首元に巻いている天女が少し微笑んでいた。誠は美智の、物寂しげな表情を見ると、急に欲しくなり、いつの間にか抱きしめていた。
「今日は、私の部屋に来る?」美智は胸元で消え入るような声で囁いた。『例え俺を見てくれなくても構わない。愛している』誠は、そう心の中で叫びながら、 美智の部屋へと向かっていくのだった。


「美智 最近なんか 変わったね。色っぽくなった」
「そう? 自分ではあまり変わってないけど」
「変わったよ。美智、元々綺麗だけど、さらに艶っぽくなったというか」昼食時の他愛も無い、美智と里美の雑談だった。いつもの様に自分のデスクにて、食している。今日は珍しくお弁当の鈴香が割り入ってくる。
「片岡さんって彼氏いるのですか?」美智は少し微笑んで、やり過ごした。
「美智はあまり、自分の事言わないもんね」里美が笑いながら言う。暫くすると「吉野さんコレ説明して」と上司からの呼び出しが来た。里美は「何かやらかしたみたい」といいながら、お弁当箱を片付けて、離れていった。

「片岡さん綺麗だから、男性が欲ておかないでしょうね」そう言いながら、スマホをいじる鈴香。それを、冷ややかな目で見ながら、 言葉を交わす。
「結婚準備 進んでいるの?」鈴香はスマホを持ちながら答える。「それが中々細かい事が、大変でして。式は未だ先なんですけどね」
「でも知らなかった。四方さんとはいつから?」美智は鈴香の口から、聞き出そうとしていた。しかし彼女はそれには応じずに、「凄く不思議なんです。初めて見た時から、運命的な何かを感じたんです。 彼も私と同じモノを、感じていたみたいでした」と幸せそうに話していた。
「そう」美智は、話しを終わらせようとしたが、帰ってきた里美が興味本位に続けた。
「鈴ちゃん。以前に四方さんの事、彼氏の友達って言ってなかった?」
「そうだったのですが、私覚めるの早くって。ちょうどその時に彼も彼女と別れたらしく」
「へぇそおなんだ」里美はもう興味ないらしく、化粧直しをしているが、幸せな鈴香は話し終わらなかった。
「きっと最初から、一緒になるの決まっていたんだろうね。って言ってくれて」美智は一連の会話を聞き、形相が変わらない様に、必死で取り繕っていた。
『この娘ほど『無知』と言う『罪』に気付かない人物はいない』微かに繋がっていた『理性』と言う名の糸が、切れていくのを感じた瞬間だった。それを機に、美智の身体の半数を支配していた『憎悪』という感情が『殺意』という感情へと変わっていった。

 帰途につく美智は、誠の居る鉄工所での様子を、ひっそりと見入っていた。もう、鉄を切断する音も不快な感覚は持ち合わせては、いなかった。



悪夢

 その夜私は飛び起きた。ヒロと鈴香が夢の中で、私を嘲笑っていたから。狡猾に舌を出し蔑む二人。もう限界だった。殺意、と 私怨、と云う感情が、私の身体の中全体を支配していく。止める事なんて出来なかった。



イルミネーションの片隅で

 街はクリスマス気分で賑わっている。今日は祝日で、工場内は社長と誠だけだった。事務処理後、社長は階段を降りながら、「誠、ベッピンが来たぞ」と、嬉しそうに下で清掃をしていた、誠に声をかける。社長は美智と以前に数回顔を合わせて、挨拶を交わしていた。
「じゃあ悪いが、上がる前にシートを被せといて」と言いながら、美智と軽く挨拶を交わして、前に駐車していた車と共に工場を後にした。美智は挨拶の後、夕食の食材を片手にやってきた。いつもの休前日の日課だった。
「お前? 明日は?」誠は、外の物品に雨が掛からないように、ビニールシートを掛けに行く途中だった。夜からは雨の予報だったから。
「明日。公休日。それって、何枚もあるんだ」美智は続けてビニールシートを、食い入るようにみつめて言った。誠は美智の瞳に狂気を感じて背筋に寒さを感じてしまう。
「え? ああこれか? あるけど?」
「そう」美智は静かにそう言い終えると、先に二階に上がった。
 誠は食後のシャワーの後に、美智が虚空を見ながら、壁に持たれている姿を見て、何か違和感を感じ胸騒ぎがした。
「誠。私の言う事聞いてくれる?」美智は虚空を眺めて、呟く様に発した。誠は瞬時に悟った。美智は『何かをする気』だと。
「明日、私にこの場所を貸して欲しいの。社長さんに内緒で」そして、ある物も用意して欲しいと。
「美智。そんな物何に使うんだ」誠は険しい顔付きで問うたが、美智はその問いには応えずに、笑みを浮かべた。
「明日は早く終わるんだよね」
「えっ? ああ。午前中に終わる」誠は戸惑いながら、応えた。美智は以前 、誠がぼそっと発した言葉を記憶していた『クリスマスイブは、半日になる』と。若い世帯持ちが殆どのこの職場での、社長の少し粋な計らい。だという事も併せて憶えていた。社長に、断りもなく使用させるなんて、誠には考えもつかない事だった。
『明日何をする気だ』誠はそう訪ねたかったが、恐ろしく感じ、訪ねられなかった。
「美智、風呂入ったのか?」この一言が、精一杯だった。美智は、妖しく微笑んで頷いた。
「うん。ここ来る前にね。一度部屋に帰ったの」何処か決意を持つ美智の顔は、妖しく美しく、どんな言葉でさえも受付ない雰囲気を醸し出していた。
 誠は美智の言う通りに行動するしか無い。他の道は、許されてはいない。そう思わずには、居られなかった。
「誠 来て。しよ」誠は傍にいる美智に、魂をもぎ取られ操られていく。この美しくも儚げな天女に。『望むなら、命さえもお前にくれてやる』誠はそう心に誓いながら、布団の上に押し倒すのだった。

 美智は、横に眠っている誠を見て、口づけをしていた。
「誠だけを愛せたら良かったね」
「そうしたら 幸せに慣れただろうに」独り言を言う美智に対し、誠はスヤスヤと寝息を立てていた。美智自身も、気がついていた『誠を愛し始めている』事を。でも気づくのは遅すぎた。誠が目を覚ます。
「ん。美智?」
「寒いね」
「そうか?」誠は凄く愛おしそうに、美智の頭を撫でる。
「明日誠は、私の部屋にいてくれる?」と美智は再び唇を重ねた。誠は哀しい表情を見せ「美智。俺はお前を……助けたい。 一緒にいてやる……」
「俺を……独りに……するな」と手を繋ぎながら話した。美智はこの世のものとは思えない位に、慈愛に満ちた顔で、
「誠は幸せにならなきゃいけない」と抱きしめた。誠は、美智の温もりの中で再び眠りに就いた。
「私だけの問題だから」美智は、誠の寝顔を見ながら、決意を顕にしていた。
『人の感情は時間と共に消え去る場合と、増幅される場合とがある』『殺意』と『私怨』いう感情に支配されている美智は、例え『愛』に気づき始めたとしても、決して消し去ることは出来なかった。


 身が引き締まる程の寒いイブの夜だった。
「鈴香ちゃん。いよいよ今日で終わりだね」
「大森さん。寂しくなるね」
「片岡さんも公休日なのに、有難うございます」花束を持った鈴香は涙目になっていった。午後五時半。終業時間に合わせて美智はやってきた。そして、そっと鈴香に近寄り「大森さん聞いていい?」と問うた。鈴香はなんですか?と云う顔を美智に向けた。美智は妖しく笑い発す。
「博文ってまだ、鼻を舐める癖あるの?」鈴香は凄く驚いた表情を見せた。そして美智は続ける。
「今日掃除したら、博文の私物が沢山出てきたの。捨てられないから、持って帰って欲しい。ごめんね。持ってきたら良かったね」と。

 職場から美智の部屋へは三駅。鈴香の住まいとの中間に位置していた。電車の中で、鈴香が先に話しをしてきた。
「知りませんでした。博文さん何も言わないから」
「昔の事だから。それよりご足労かけたね。こんな日に、早く帰りたいよね」鈴香はかぶりを振り、
「大丈夫です。帰り道ですから」と笑顔で発した。美智は最後までこの子は苦手だった。自分が 『無知』という罪を犯している事も知らずに、日々を暮らしている。美智という存在を消し去って、未来永劫、博文と共に暮らす。 美智はその未来を奪うために、鈴香と共にいる。
「だからこの間、来られなかったのですね。我が家に」鈴香は済まなさそうに言った。美智は思わず、ふっと笑った


 工場の近くまで来ると、美智は目を見張った。誠が前に佇んでいたからだ。誠は美智の異様な様子を垣間見て、悟った。そして、なんの躊躇いもなく鈴香を襲った。
「だ、誰!」鈴香は後ろから、羽交い締めにされ、シャッターの下りている、工場内に引きずられる。従業員出入り口を通る際に花束が床に落ちた。美智は瞬時に悟った。『誠は、私の手助けをする気』なのだと。
『誠。いけない! 貴方は手を汚さないで』美智は心で叫びながら、誠をスタンガンで気絶させる。そして、階段の傍で床に倒れこんだ誠に、上着をかけた。美智はゆっくりと入り口を閉め、花束を取り誠の下へと鞄の中から刃物を取り出し、美智は鈴香と云う『的』に近づいた。
「か、片岡さん」誠の傍で、恐怖で地面に倒れ込み怯えて見つめている。『的』。その髪の毛を鷲掴みし身体を引きずる。美智は鬼になっていた。
「や、やめて」『的』は叫び声を上げるが、遮断されている外の世界には、決して届きはしない。美しい鬼はシートが轢いてある、所定の位置まで引きずり、恐怖でおののいている『的』に妖しい笑顔で囁いた。
「あなたの首 博文にプレゼントするね」と。

 恐怖で腰が引け、立ち上がれなくなった『的』を見た鬼は、再び髪を掴み顔を押し上げる。泪で濡れている疎ましい顔に、刃物で憎しみを込めて斜めの線をいれた。斜めの線から紅い液体が噴出し、顔面の激痛に耐えられないで あろう『的』の大きな悲鳴が、静寂な工場内に響き渡る。必死で逃げようと、身体を起こそうとするが、無駄な行動だった。鬼は殺意という感情と共に、『的』の腕を掴み、身体を引き寄せ、渾身の力で、豊満な胸元を刺していく。今まで必死で叫び声と共に、抵抗していた『的』は、紅い液体を吹き出し、紅色に染まっていきながら倒れこんだ。

「まだ少し息が有る」鬼は呟きながら、もう一度刃物を振りかざし、身体全体を支配していた憎悪を注ぎ込むかのように、刃物を胸に刺し込んだ。引き抜くと液体は、留まる事を知らないかの様に吹き出していき。遂に工場内は静寂になり、『的』は動かなくなった。鬼は、動かなくなった。『的』を何度も、何度も、狂った様に刺し続けた。今迄の苦しみを注ぎ込むかのように。『物体』と、化したソレを鬼は、黙って見つめた後に、誠が用意してくれた、電気チェンソーを掲げながら『物体』の首に近づいていく。身体全体を覆いつくしていた、私怨という感情を纒った鬼は、肉と骨を裂く音を、工場中に響き渡らせている。言いようのない異臭も気にならなかった。紅い液体や、肉片がビニールシートの上に飛び散り、鬼にも降りかかる。それを気にも停めない様子で、取り憑かれたように『解体作業』を続けていた。

『解体作業』の一連を終え 倒れていた誠を見入る。まだ気がつかない。紅く染まった鬼は、美智と云う人間に戻っていった。
『良かった何も見ていない』美智は安堵した。今迄はめていた手袋を、肉の塊が入っている、ゴミの袋に投げ入れる。そして、紅い刃のチェーンソーをシートで包み、工場のゴミ置き場の中に入れていった。何も無かったかのように、工場の中は静まり返っていた。
 紅く染まった美智が、誠にかけてやっていた上着を取り、立ち去ろうとした刹那に、足首を掴まれた。
「み 美 、智。逝くな。俺も……一緒に ……愛し、ている」絞り出す様な声で、美智に愛を告げる誠。美智はまだ起き上がれない、誠の頭を撫でながら聖女の様に囁いた。
「誠の愛にもっと早くに、気づいたら良かった 。最期に空っぽの私を愛してくれて 、人間にしてくれてありがとね」その言葉の後に美智は、頬を温かい物が伝わってくのを、感じていた。
「愛しかけてたよ ……」そして何か言葉を発し工場を跡にする。首元に携えていたスカーフが、風に靡いていた。誠は再び、気が遠くなるのを感じていた。


  街はイルミネーションで輝いている。所々にクリスマスソングが響き渡るのを聞きながら、美智は博文から言われた言葉を、思い出していた。
『全ての出会いには、意味があるんだよ』
「教えて欲しい」
「二人の出会いは、なんの意味があったの? 私を殺人鬼にする為に出会ったの?」美智は、左手の鈴香の頭が入った袋が、やけに重たく感じ自然に涙が出た。
 全てを終わらす為に博文の部屋へと向う。美智の中で博文を許す選択枠など、無かった。
『どんな言葉でも良かったから、最後にきちんと話をして欲しかった。存在を無視をするのは、最大の罪』博文の罪を裁く為に……そして、人の未来を奪ってしまった、美智自身の処刑を執行する為に、イルミネーションの片隅にある、部屋のインターホンを鳴らす。


 翌日の正午過ぎ。誠はニュースの報道にて、美智が死亡した事を知った。刺された男は意識不明の重体。傍に身元不明の、分断された頭があった事も併せて報じられていた。その背中には、ゴミ収集車の音が鳴り響いていた。
『美智。一緒に逝きたかった』最後の夜を思い出す。
『誠は幸せにならなきゃ』との美智の言葉を。
「お前を失って 、美智どうして幸せになれる?」誠は誰もいない空間で、叫びながら、壁に頭をぶつけ嗚咽していた。
『美智を救う事が出来なかった自分自身』を呪い続けながら。



エピローグ

 七年の月日が経った。
「ねえママ。どおしておうちに、クリスマスツリー飾らないの?」少女が質問する。傍にいた女性は頭を撫でながら話した。
「ごめんね、みゆちゃん」
「昔パパが大好きだった人が、死んじゃった日なの。 だからね、飾らないの」その言葉を聞き、不思議そうに訪ねてきた。
「でも、サンタさんは来るんだよね!」
「あっ!パパが帰ってきた」嬉しそうに はしゃぐ、少女を抱き抱えながら「美幸。ママ。ただいま」と言う誠がいた。女性は今日がどの様な日なのかを、理解し言葉をかけた。
「パパお帰りなさい。今日行ってきたの? お墓」誠は小さく頷く。
「ママ早くご飯にしようよ。お腹空いた!」傍で待ちきれないように少女が強請る。誠は椅子に座り、傍にいる少女を見つめると。家の中の温かさが身に沁みていた。気がつくと頬に伝うモノがあった。
『美智。俺は幸せだよ』古ぼけたスカイツリーのキーホルダーを、見つめながら心の中で呟く。そして誠は、美智の最期の言葉を思い返していた。
「生まれ変わったら、私から誠を愛するね」と




後書き

未設定


作者 kadotomo
投稿日:2016/11/26 22:28:16
更新日:2016/11/27 23:29:58
『罪』の著作権は、すべて作者 kadotomo様に属します。
HP『

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作品ID:594
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