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作品ID:8

こちらの作品は、「批評希望」で、ジャンルは「一般小説」です。

文字数約22339文字 読了時間約12分 原稿用紙約28枚


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小説の属性:一般小説 / 未選択 / 批評希望 / 初級者 / 年齢制限なし /

新次元

作品紹介

 2008年の中頃に書いた短編です。


 そこには、暗い空があった。

 恐ろしいほど真っ赤な空に、暗闇の亀裂がいくつも走っている。

 空は歪み、今にも崩れて落ちてきそうな危うさを持っていた。

 大地に蠢くのは、異形の軍勢だ。真っ二つに別たれた異形の生命たちが、互いの勢力を葬るために戦っている。

 鎧のような外骨格と、身体に備えられた武器を用いて。

 果たして、どちらが優勢なのか。

 お互いに判ってはいない。ただ、ひたすらに屠り合う。

 咆哮。

 破砕音。

 そして、断末魔。

 悲鳴と怒号が交錯し、生々しい破壊音が響き渡る。

 戦場には、小さな扉があった。

 正確には、亀裂だ。

 空に走る漆黒の裂け目とは違う。

 神々しさを感じさせるに十分なまばゆい光が、亀裂の向こうから差し込んでいる。

 一方にとって、それは希望で。

 しかしもう一方は、その希望を善しとせず。

 そこに近付こうとする者と、させまいとする二つの勢力があった。

 門を破壊しようと攻撃を繰り出す者。身を挺して光溢れる亀裂を守る者。激しい争いの中、それでもなお門へと向かう者。亀裂に向かう者たちを食い止めようと抗う者。

 軍勢のせめぎ合いは、いつ終わるのか判らないほどに混迷を極めていた。

 両者共に、後が無いことに気付いている。

 だから、互いに退かなかった。

 一方は、この絶望の中から希望を手にするために。

 もう一方は、絶望を受け入れ、希望を求めて暴走する者たちを止めるために。

 亀裂が、大きくなった。

 何体かの異形が、亀裂の中へと飛び込んだ。

 誰かが、一人の仲間の肩を掴んだ。

 振り向いた彼に、怒号にも似た訴えを叩き付ける。

 まともに声も聞こえない戦場で、彼は思いを託された。

 視線が曇る。仲間たちは、必至の形相で戦いながら、思いの限り叫んでいた。

 思いを託してきた者たちを見つめて、彼は仲間に背を向ける。

 彼の背後で、雄叫びが上がる。

 亀裂へと、彼は真っ直ぐに走った。

 ただひたすらに両手の武器を振るいながら道を切り開き、門へ。

 その背中は、彼の仲間たちが守っていた。

 目の前で多くの仲間が身を挺して、敵を排除していく。

 倒れていく仲間たちに目もくれず、振り返ることもせず、門へ。

 敵が希望と呼んだ、その先へ。

 光の中へ。

 彼は、身を投じた。



 ***



 夕焼けに染まった空を見上げながら、すぐそこの自動販売機で買った缶の紅茶を口にした。甘さが口の中に広がって、すぐに通り過ぎていく。

「あー……」

 溜め息だけが漏れる。

 浅葱優斗(あさぎゆうと)は、疲れた表情でもう一度深く息を吐いた。

 標準よりはやや高い身長に、身体付き。特に手入れをしているわけでもない適当にしている黒髪に、それなりに整った顔立ち。二枚目かと言われるとそうでもなく、別段不細工というわけでもない。やや細目ではあるが、言われなければ気付かない。

 友人たちは、顔もスタイルも成績も並よりは上、と皆口を揃える。

 大学に入って数ヶ月、一人暮らしにも慣れてきた頃である。

「何でこんなことに……」

 渋い顔で缶を見つめる。僅かに力が込められた缶が、ぺこんと間抜けな音を立てて数ミリへこんだ。

「ったく……」

 優斗は苦い表情で視線を逸らし、勢いよく紅茶を煽った。

「――っ! げほっ!」

 勢いが強過ぎた。一気に流れ込んだ紅茶が気管に入り、優斗はむせた。

 暫くむせた後、涙目になりながら、開いている手の甲で口を拭った。むせた拍子に溢れた紅茶が顎を伝う。

「んのやろう……」

 濡れた手を返して、今度は掌で下から掬い上げるように拭う。

「……はぁ」

 冷静になって、優斗はまた溜め息をついた。

 優斗の機嫌が悪いのには、もちろん理由がある。

 大学でできた友人たちに半ばからかわれる形で、いわゆるデートを仕組まれたのだ。

 相手は、水原という同じ大学一年の女学生だった。

 確かに、優斗は友人たちとの会話の中で彼女がタイプであると口にした。それを聞いた仲間うちの一人が、同じ美術サークルにいるから呼び出してやる、などと言ったのがそもそもの始まりだ。

「そこまで惚れてねぇっつーの……」

 優斗は呟いた。

 好みのタイプではあるが、見かけただけだ。

 直接会話をしたことがあるわけでもない。廊下や教室で見かけて、割と好みだと思った程度に過ぎない。

 友人たちは大袈裟に祭り上げて優斗をからかっているのだろう。今日のデートもどきも、どうせ遠巻きに見ているに違いない。

 上手くいくかどうかも含めて、友人たちは楽しむつもりだ。

 あまり気乗りしているわけではないが、楽しみでないと言えばそれも嘘になる。少しだけ期待しているところがあるのも事実だった。

 待ち合わせは三十分後、近くのファミリーレストラン前ということになっている。

 優斗は空になった紅茶を自動販売機横のゴミ箱へと捨てて歩き出した。

「はぁ……」

 何度目かの溜め息をついて、横断歩道の前で立ち止まる。歩行者側の赤信号を見つめながら、優斗はぼんやりと立ち尽くしていた。

 相手には迷惑だろうなぁ、などと考えながら、信号が変わるのを待つ。

 信号が青になり、優斗は歩き出した。

 バァン、と、凄まじい破裂音が響いた。

「え?」

 大型トラックが、猛スピードで突っ込んでくるのが見えた。

 まだ横断歩道に一歩を踏み出したばかりだった。

 タイヤがパンクしたらしいトラックは、真正面から優斗に向かって来ていた。

 優斗が動く暇など、無かった。

 何かを考える余裕も、あるわけがない。

 ただ、目を見開いて。

 全身で、トラックを受け止める。

 とてつもない衝撃に、意識が飛んだ。

 激痛を感じる間もなく、視界は暗転し、身体の感覚も眠る時のように消え失せていく。

「……丁度いい」

 そんな声が、聞こえた気がした。



 ***



 優斗が気付いた時、そこは自宅のベッドの上だった。

「……え?」

 一瞬、事態が飲み込めなかった。

 よく周りを見回してみれば、不自然な点はあった。

 ベッドの上ではあるが、布団をかけていなかった。布団の上に、ただ寝転がっているような形だ。

 次に、時間帯だ。

 ベッドから見える机の上には時計が置いてある。

 夜の十一時という時間だけを見るなら、単純に考えても六時間は経っている。

 確か、優斗は外にいたはずだ。友人たちに仕組まれたデートの待ち合わせのために、ファミリーレストランへと向かっていたはずだ。

 最後の記憶は、真正面から迫ってくる大型トラックの姿で終わっている。

「まさか、夢オチ……?」

 優斗は恐る恐る呟いた。

 だが、寝汗もかいていなければ、心拍数が上がってどきどきしているわけでもない。

 夢から覚めた、というには落ち着きすぎている。

 身の危険を感じて慌てて起きたわけでもないのだ。

 ごく自然に、普段寝ていた状態から目が覚めただけ、という印象だ。

 あれだけの恐怖体験をしておいて、平常心でいることがおかしい。

 携帯電話で日付を確認しようとして、いつもあるはずの場所に携帯電話が無かった。

 いつも、優斗は携帯電話を枕元に置いて眠る。その枕元に、携帯電話がない。部屋を見回しても目に付く場所に携帯電話はなかった。

 自分の身につけている服が、寝る時のものではないことに気付いて、ズボンのポケットへ手を伸ばす。

「あれ……?」

 自分の体を見下ろして、優斗は異常に気付いた。

 服が真っ赤に染まっている。まるで重傷を負っているかのようだ。

 至るところが裂け、血で染まっている。

 しかし、おかしなことに優斗の体には傷一つついていない。

「なんだ、これ……」

 ポケットの中にあった携帯電話は、原型を留めていなかった。

 強烈な衝撃に押し潰されたかのように、ぐしゃぐしゃになっている。当然、機能も停止している。画面も砕けていた。

「なんだ、生きていたのか……」

 驚いたような声が聞こえた。

 周りを見回したが、誰もいない。

「死んだと思ったのだが、どうしたものか……」

 悩ましげに思案する声だけが、優斗には聞こえた。

 部屋の中には誰もいない。

「誰だ……?」

 背筋に寒気が走る。

 幻聴にしてはタチが悪い。

「一体何なんだ……!」

 よくよく周りを見回せば、玄関の方から一直線に血痕が残っている。ここに戻って来たということなのだろうか。だとすれば、その時には既に止血が終わっていたということになる。

 優斗は、間違いなくトラックにはねられたのだ。

 だが、その後どうなったのかが判らない。トラックはどうなったのか、何より、優斗自身は何故、ここにいるのか。傷が無いのはどういうことなのか。

 得体の知れない不安が湧き上がってくる。

 パニックになりそうな優斗の視界が、また暗転した。

「まずは、落ち着いてもらいたい」

 冷静な声が聞こえた。

 暗闇の中に、淡い光が浮かんでいる。

「落ち着けって言ったって……!」

 優斗にとっては、不可解なことばかりだ。そう簡単に落ち着けるわけがない。

 とりあえず、声の主が目の前の暗闇に浮かぶ光であることだけは、間違いなさそうだ。

「今、私は君の中にいる」

 その言葉に、優斗は疑問しか浮かばなかった。

「私は、てっきり君が死んだものだと思っていたのだが……」

「待て、俺が死んだって、どういうことだ?」

 優斗は相手の言葉を遮って、問いを投げた。

 解らないことばかりで、混乱している。だが、まずは優斗が死んだ、という部分についてどういうことなのか知りたかった。

「トラック、と言うのか、あの物体は。君はそれとぶつかり、体が破壊された」

 やはり、優斗は死んでいたのだ。

 いや、正確には死ぬところだった。

 トラックにはねられて、優斗は重傷を負ったに違いない。間違いなく、致命傷を負って。

「私は、君が死んだと思った。だから、君の体を借りることにした」

 恐らく、優斗が生きているのは目の前の光のお陰なのだろう。優斗に何をしたのかは判らないが、優斗に成り代わるつもりだったに違いない。

「どうやら、君が死ぬ前に私が入ってしまったようだな」

 困惑の感情だけが伝わってくる。

 本当ならば、優斗はあの場で死に、目の前の存在が優斗になっていたらしい。

「もっとも、私には君が死ぬのを待つ時間も無かったのだが……」

 申し訳なさそうな声だけが響く。

 優斗を助けるつもりはなかったのだ。同時に、優斗を助けたことで迷惑をかけていると思っているらしい。

「……じゃあ、俺は?」

「体を完全に修復するにも時間が必要だった。君の記憶によれば、ここが君の家のようなのでな、移動させてもらった」

 優斗の問いには答えず、言葉が続いた。

 どうやら彼は優斗の記憶を調べてここまで辿り着いたようだ。

「本来なら、君の体だけを借りるつもりだったのだが……」

「ちょっと待ってくれ、俺の体を借りるとか、死ぬのを待つとか、あんたは何が目的なんだ?」

 今までの話を聞くと、何か目的を持っているような言い方だ。その目的のために優斗の体に乗り移るつもりだったとでも言いたげだ。

「私には使命がある」

 光の声が、真剣な響きを帯びる。

「使命……?」

「そうだ。私は、この世界へと逃げ込んだ者たちを追っている」

 薄々、優斗は気付き始めていた。目の前の光は、この世界の存在ではないのだ。でなければ、不可解なことが多過ぎる。

 別の世界、というのも突飛な話だが、優斗が置かれている状況自体も随分と現実離れしている。そもそも、優斗が言葉を交わしている目の前の光が、人間とも思えない。

「こちらの世界では、私は実体を持てない。放って置けば体が霧散してしまう。できる限り早急に、こちらの世界で動くための体が必要だった」

 この世界と、彼の世界とでは物理法則などが異なっているのかもしれない。

 何にせよ、彼はこの世界では自分の実体を持てないのだ。となれば、異質な存在として、消滅するしかない。

 この世界で動き回るための実体というものが必要だったのだ。それには、この世界で生きる者の体を借りるしかない。

「それで、俺に目を付けたのか……」

「丁度、君が死ぬところだったのでな。実体を持てれば、私も力が使える」

 優斗の体を治療したのも、彼の力なのだろう。

「とにかく、まず君と話し合わねばならないのは、今後のことだ」

 光が、優斗に告げる。

 要するに、優斗がどうするか、だ。彼にとって、優斗が生きていたことは予定外のことだった。本来なら優斗は死に、彼が優斗の体だけを引き継いで目的を果たすための実体にするはずだったのだから。

 つまり、優斗が彼に行動の主導権を渡すか否か、ということになる。優斗としてこれからも生きていくのであれば、彼は目的を果たせないかもしれない。

「今後、か……」

 優斗は呟いた。

 死ぬはずだったとはいえ、助けてもらったからという理由だけで別の世界の住人に自分の体を使われるというのはあまり良い気はしない。

「協力してもらいたい」

 やや高圧的な言い方ではあったが、その声には確かな切実さが篭っていた。

「……少し、考えさせてくれ」

 情報量が多過ぎて、考える時間が欲しかった。

「あまり、時間はかけないように頼む」

 優斗の境遇に対して同情しているのだろうか。

「私のことは、ネクスと呼んでくれ」

 どうすればいいのか、すぐには答えを出せなかった。



 ***



 講義室に響く教授の言葉も、優斗の耳には入らなかった。

 優斗の頭は、昨日のうちにネクスから聞いた話で一杯になっている。

「私たちの世界は、壊れ始めていた」

 ネクスの世界は寿命を迎えていたらしい。

「世界に生じた亀裂が、別の世界に通じているということが判った時、私たちの世界の住人たちの中に移住を提案する者たちが出てきた」

 世界の寿命、というものが優斗には理解し難いものだった。ただ、別の世界への移住を計画した者と、それをよしとはしない者の争いとなったのだということだけは察することができた。

「別世界への移動など、すべきではない。他の世界で私たちが生きる場所があるとは思えないし、他の世界で生きるべきでもない」

 ネクスは鎮圧側だったようだ。

「だが、最後の戦いの際に、何人かの者たちが亀裂に飛び込んでしまったのだ」

 移住しようとする者たちとの全面戦争の局面において、この世界へと侵入することに成功した者たちがいたのだ。

 ネクスは、この世界へと入り込んだ敵を追ってきたのだった。

「仲間じゃ、ないんだな?」

 優斗はそう尋ねたものだ。

 意見を違えたとはいえ、同じ世界の住人である。躊躇いなどはないのかと、優斗は問いを投げかけた。

「いや、敵だ」

 返答には、どこか鋭さがあった。

 それが、敵意であると気付くのに時間はかからなかった。

「奴らは共存など望んでいない」

 こちらの世界へ逃れてくるだけが、逃亡者たちの目的ではない。ネクスはそう告げた。

「自分たちの世界にしようとしている、侵略者だ」

 この世界に避難するだけではなく、この世界を第二の自分たちの世界に作り変えるのも目的らしい。つまり、彼らにとって、人間や、この世界に生きる生物で邪魔なものはすべて排除する意思があるということだ。

「こちらの世界は、私たちの世界とはかなり違う」

 ネクスは、異質な存在として実体を持つことができなかった。単体では、この世界で言う、霊体のような状態でしか存在できない。それも、時間が経てば経つほど、霧散していく。

 この世界に、淘汰されてしまうのだ。

 だから、この世界に住まう生物の体を借りなければ、ネクスは存在できない。

「恐らく、奴らも何かしらの生物を乗っ取っているはずだ」

 侵略者たち全員が、乗り移るという方法に辿り着いたかどうかは判らない。

 ただ、その中には確実に、ネクスのように何か生命体に乗り移ることで自分の実体を得た者がいるだろう。

 ネクスの目的は、生き延びている敵を全て排除することだった。

「一つ、聞いてもいいか?」

 黙ったまま聞いていた優斗は、そこで疑問を投げた。

「何だ?」

「もし、今俺の体からお前が抜けたら、どうなる?」

 優斗は一度死んでいる身だ。致命傷を負った優斗は、ネクスに乗り移られることで生き延びている。

 体は完全に治癒されているようだから、ネクスには悪いが出て行ってもらう方が良かった。ネクスも、新たに死体を探した方が、優斗のように本人の精神が残っているという事態から抜け出すこともできる。

「正直、判らない」

 ネクスは、そう答えた。

 優斗の体から抜け出して、新たに実体を探すことができれば、ネクスにとってもメリットは多い。

 だが、こちらの世界にやってきて、他者に乗り移るということを思いついたのも、計画的なものではなかった。その場で考えて、思いついた行動だったに違いない。

 もし、ネクスが優斗から離れたとして、一度死んでいる優斗が生きていられるかどうかは判らない。

 優斗の存在が、ネクス無しでは成り立たなくなっている可能性もあった。

 ネクスの存在によって、優斗の体は治療されているのだ。ネクスがいなくなった途端に、優斗が負った傷が元に戻ることもあるかもしれない。

「私自身、あの感覚は好きではない。むしろ恐ろしい……。できれば、二度と体験したくはない」

 ネクスは、霊体として彷徨っていた時の感覚に恐怖を抱いていた。

 自分が、少しずつ薄れていくという感覚が恐ろしいのだ。優斗の体から離れたら、ネクスも消えてしまうかもしれない。

 次がある、とは考えない方が良いだろう。

「じゃあ、全ての敵を倒した後は、どうするんだ?」

 もしもネクスが使命を果たすことができたら、その後はどうなるのだろうか。

「その時は、私も消えるつもりだ」

 ネクスは、あっさりと言い切った。

 全てが終わったら、この体から出ていく、と。

 優斗から離れたら消えてしまうかもしれないと解っていながら、ネクスはそれを選ぶつもりらしい。

「この世界にとって異質な存在は、全て消えるべきだろうからな……」

 ネクスにとっては、自分自身もこの世界から存在を抹消すべき存在なのだ。

 優斗には、何も言うことができなかった。

 かける言葉が見つからない。

 ネクスは、消えてしまうのが恐ろしいと言いながら、最後には消えるつもりだと告げた。

 もしかしたら、優斗もその時に死んでしまうかもしれない。そう考えた自分が自己中心的に思えて、少しイヤになった。

 ネクスは、自分が消えてしまう前に、この世界へと侵入した者たちを倒すことを優先しているのだ。

「それが、私が最後に交わした仲間との約束だ」

 この世界へと逃れた者たちの存在を全て末梢することが、ネクスの使命なのだ、と。

「仲間たちは、必死に戦っている。私は、彼らの思いを無駄にはしたくない」

 この世界に手を出すべきではない。自分の世界と共に在るべきだ。

 ネクスの考えは、何となく理解できた。

 彼が必至な理由も、思いも、優斗なりに察することができた。

「だけど、俺にだって俺の生活がある……」

 ネクスの言い分も解らないわけではない。だが、優斗には優斗の人生がある。

 巻き込まれたとはいえ、そう簡単にネクスに協力する、とは言えなかった。

 もし、ネクスに協力するとなれば、今の生活はどうなるのだろうか。

 ネクスの言う敵が、日本国内だけにいるとは限らない。どうやって相手を探し出し、倒すのかも解らない。

 ただ、優斗が、優斗として生きるだけの余裕は、恐らく無いのだろう。

「おい、浅葱!」

 いつの間にか、講義は終わっていた。

「あ、大久保……」

 考え込んでいた優斗は、友人の声で我に返った。

「どうしたんだよ、昨日はせっかくデート組んでやったってのに……」

 大久保の後ろから、別の友人の声が飛ぶ。

「余計なお世話だっつっただろーが。急用が入ったんだよ」

 優斗は言い返す。

 本当のことを話せるわけもない。

「携帯も繋がらないし、焦ったんだぞ」

「やっぱりお前ら覗くつもりだったんだな……」

 優斗が来なくて焦った、ということは待ち合わせの場所を見ていた、というのと同じだ。

「携帯は壊れちまってな……」

「携帯が壊れたって、何やったんだよ……」

 呆れたように苦笑する友人に、優斗は溜め息をついた。

 これは嘘ではない。どう壊れたのかは口に出さなかったが、暫くは使えないということだけを強調した。

 一人暮らしで、部屋に固定電話もない優斗は、携帯電話がなければ連絡がつかない。買い換えるまでは仕方がない。

 壊したくて壊したわけではない。

 単なる偶然だ。

「心配させやがって……」

「悪かったって……」

 一応、謝っておいた。

「とりあえず、後で彼女にも謝ってこいよ?」

「解ってるよ」

 謝るべきなのは友人連中にではない。それよりも、優斗に付き合わされて呼び出しをくらった彼女、水原の方に謝るべきだろう。

「誰かと待ち合わせをしていたのか?」

 優斗にしか聞こえない声が、頭の片隅に響く。

 ネクスは、優斗の記憶を探って、この世界の基本的な知識を身につけたらしい。別の世界の存在であるネクスと会話できるのも、優斗の記憶から日本語の知識を吸収したためなのだろう。

 記憶を覗かれたという点では少々不快感もあるが、一般常識を知らないままでいられるよりはマシかもしれない。結局、ネクスがこの世界で動き回るためには、この世界の知識が必要だ。成り代わるつもりだった優斗の記憶を調べるのは、自然な流れだと言える。

「それにしても、珍しいよな。浅葱が約束を破るなんて」

 友人の言葉を耳に入れつつ、優斗は周りを見回した。

 何か、違和感があった。それが何なのか判然とはしないが、いつもと違う空気が流れているような気がする。

 視界の片隅、窓の外に、こちらを見つめている黒猫がいた。優斗の視線に気づいたのか、ゆっくりとその場から移動し始める。

「そんなに急な用事だったのか?」

「ああ、まぁ……」

 優斗が返事に困り、言葉を濁した時だ。

 悲鳴が上がった。

 声の大きさや騒がしさから見て、それほど遠くはない。

「な、何だ……?」

 いつもは軽口を叩いている大久保が突然のことに驚いた。腰が引けているのは気のせいではないだろう。

 優斗は、自分でも驚くほどに冷静だった。ネクスが優斗の精神に干渉して、冷静さを保たせているのかもしれない。

 最初にネクスと会話した時、優斗が冷静だったのもそのためだと、後でネクス本人が教えてくれた。パニックになられては困る、と。

「……敵だな」

 頭の片隅で、ネクスが呟いた。

「ど、どうするんだ……?」

 優斗は、口に出さずにネクスに問いを投げる。

「決まっている。戦う」

 ネクスは、今にも優斗の体の主導権を奪って動き出そうとしていた。

「待ってくれ……!」

 優斗は、ネクスに抵抗した。

「こんな場所で戦ったら、皆に見られることになる……!」

 そうなれば、優斗は確実に奇異の目で見られることになるだろう。もしかしたら、普通の生活ができなくなってしまう。

 ネクスにとっても都合が悪いはずだ。

「不審者が構内に侵入しています! 学内にいる学生たちは速やかに避難して下さい!」

 学内向けの放送で、非常事態を告げる声が流れた。

「……様子を見に行ってくれないか?」

 優斗の思考が伝わったのか、ネクスは優斗に頼むように告げた。

 主導権を優斗に渡しているのは、恐らく優斗がまだ答えを出していないからだろう。ネクスが優斗の意思を尊重してくれているのかもしれない。

 もし、優斗が協力を拒んだとしたら、彼はどうするのだろうか。

「そーっと、見てくる……」

 優斗は友人たちにそう言って席を立ち、講義室のドアへ向かった。

 違和感の正体は、その先にいる敵であるのだと、優斗にも何となく解った。

 ネクスがいるからだろうか。ネクスと会話をしている時に抱く彼の存在感と似たような感覚が、ドアの向こうから感じられた。

「うっ……!」

 ドアの小窓から、廊下の景色が見えた。

 廊下の中央を、一人の男が歩いている。だが、その男の周りには、触れてもいないのに様々なものが浮かんでいる。

 ポルターガイストのように、椅子やゴミ箱、紙切れなどが飛び回っていた。

 周りの学生たちは逃げ惑っている。大怪我を負った人はいないようだが、軽傷を負って離れて行く者たちの姿も見える。

「ば、化け物か、あいつ……!」

 優斗と一緒に小窓から外を覗いた学生が引きつった顔で呟いた。

「あっちのドアからなら、見つからずに逃げられそうだな……」

 講義室の反対側にあるドアを見て、優斗は呟いた。

 ネクスの言う、戦う、という行為がどんなものなのかはまだ良く解ってはいない。ただ、戦う姿を見られることに不安を抱いていた。

「とりあえず、ここから離れた方がいい」

 優斗は、講義室の中にいる学生たちに向けてそう口にした。

 友人たちを促しながら、優斗は最後尾についた。

「戦うって、どうするんだ?」

 避難する学生たちの背中を見つめながら、優斗はネクスへと問う。

「その時は、私が君の体を借りて戦わせてもらう」

 ネクスの返答は、優斗の体を自分が動かして戦う、というものだった。

 つまり、戦う時は主導権を持つことを許可して欲しい、ということだ。

「それしか、ないか……」

 優斗は承諾した。

 元々、優斗は武術を習っているわけでもなければ運動神経も抜群というわけではない。

 優斗の反射神経で、飛び交う雑貨の中を動き回れるとは思えない。何より、あの中へ飛び込んで男を殴るだけの勇気は、優斗にはなかった。

 周りに人の気配がなくなると同時に、優斗は自分が体を動かしているという感覚を失った。何も変わっていないはずの視界が一歩退いたような感覚になり、意識だけが取り残されたような浮遊感を抱いた。

「暫くの間、体を借りるぞ、優斗」

 ネクスが、告げた。

 体が動いている感覚は残っている。だが、それを自分で動かしているとう実感はなくなっていた。

 優斗の体は、男へと向けて駆け出している。その速度は、優斗のものではなかった。明らかに、人間の限界か、それ以上の速度で廊下を駆け抜けている。

 ほんの一瞬のうちに男の前に飛び出し、ネクスを水平に振るう。

 その刹那、突風にも似た衝撃波のようなものが飛び交っている雑貨を吹き飛ばした。

 男だけがその場に残る。

「仲間かと思ったが、違ったか……」

 男が忌々しげに呟いた。

 どうやら、男もネクスの気配に気付いていたようだ。もしかしたら、ネクスの気配を仲間のものだと勘違いしてここまで来たのかもしれない。

「あの人は、どうなったんだ……?」

 優斗は、相手の男を見て、呟いた。きっと、ネクスには頭の片隅で声が聞こえたように感じているはずだ。

 相手も、人間だった。いや、人間に乗り移った、異世界の住人なのだ。だとしたら、あの男本来の精神はどこにいったのだろうか。

「恐らく、乗っ取って、握り潰したんだろうな……」

 ネクスの思考が返ってくる。

 乗り移り、本来の宿主の精神を完全に押し潰してしまったのだと、ネクスは予想していた。そこには、侵略者の自己中心さしか感じられない。

 他者を蹴落としてでも生き延びたいという執着心は解らないでもない。優斗だって、死にたくはないのだから。

 ネクスも、同じ思いを抱いているように感じられた。

 ただ、ネクスの場合は、他の世界にまで踏み込むことに激しい抵抗感を持っている。それを食い止めなければいけないという使命感も感じられる。

 ネクスが男へ向かって走り出した瞬間、その体が拘束された。突然、体を目の前から押し留められたかのようだった。

 男の手がネクスへ向けられている。

 先ほどのポルターガイスト現象と同じものだと、ネクスを通じて優斗は理解した。

 念力のように、自分が触れていないものを意のままに動かすことができる力を、相手は持っているのだ。力が及ぶ範囲はそこまで広くはないのだろうが、接近して戦う場合は脅威になる。

 ネクスたちは、それぞれ異なる力を持っているらしい。

「その程度で……!」

 ネクスにも、力がある。

 先ほど、雑貨を吹き飛ばしたのも、ネクスの力だ。

「な、ぐっ……!」

 男の足が震え出し、膝をつく。

 そのまま、地面にうつ伏せに倒れ、身動きが取れなくなっていた。

 そこで優斗は気付く。

 ネクスの力は衝撃波ではなかった。ネクスの力は、重力を操る力だった。

 衝撃波に見えたのも、重力操作の応用だ。雑貨は重力波で吹き飛ばし、男の周辺の空間にかかる重力を増加させているのだ。

 身動きが取れない男に対し、ネクスは容赦なく重圧を加えていく。

 一見しただけでは解らないが、男は地面に押し付けられている。重圧に耐え切れず、男の肋骨が砕け、内臓が潰れる。筋肉組織が砕けた骨によって断裂し、内出血で肌が青黒く染まる。

 ネクスが身に受けている男の念力も、優斗の体が普通の人間のままなら肋骨が折れている。どうやら、優斗がトラックにはねられて負った致命傷を治す際に、優斗の体組織を強化再生したらしい。

 常人を超える身体能力と頑丈さを、優斗は得ていた。

 男は、力こそ異世界の存在しか持ちえないものではあったが、肉体的には人間のままだった。

 ネクスも、そこまで苦戦を強いられたとは感じていない。

「死んだ、か……」

 男の絶命と、敵の気配の消失を確認して、ネクスは呟いた。

 無残な死体だけを残して、ネクスは身を翻してその場を去る。誰にも見られていないことを確認しながら、構内から外へと出る。

 そこで、体の主導権が優斗に戻った。

「その力……ネクス、かしら?」

 外へ出た優斗の前に、先ほど見かけた黒猫が現れた。黒猫から向けられた声に、優斗は目を見開く。

「猫が、喋った……?」

 優斗の言葉に、今度は猫が目を見開いた。

「え?」

 思っていた反応とはかなり違っていたのだろう。

「ネクス、失敗したの?」

 猫は暫く目を見開いて優斗を見つめていたが、やがて、状況を理解したのか冷静な声で答えた。

「代わってくれ、優斗」

 ネクスの言葉に、優斗は応じた。自分の意識を奥へと沈め、ネクスの意識を表層へと浮かび上がらせる。

「私の他に、こちらに来ている者がいるとは思わなかった」

「何だか、複雑そうね?」

 ネクスの言葉に答える代わりに、猫は言った。どこか苦笑を浮かべていたようにも見える。

「まぁ、判らないのも無理ないわね。本来の姿でもないわけだし」

 見た目はただの黒猫だが、よくよく注意してみると、確かに異世界の存在と同じ気配を持っている。巧妙に気配を隠していると言うべきだろうか。

「とりあえず、二人きりで落ち着いて話せる場所に行きたいところね」

 周りを見回しながら、黒猫が呟く。

 不審者騒動で今は周りに誰もいないが、そう時間を置かぬうちに人は戻ってくるだろう。警察などが来る可能性もある。

 この場に留まるべきではない。

「そうだな……。優斗、場所を借りてもいいか?」

 ネクスの言葉に、優斗は応じるしかなかった。他に選択肢はないだろう。

「ふぅん、優斗、って言うんだ?」

 黒猫はネクスの言葉を聞いて、どこか面白そうに呟いた。



 ***



 優斗は黒猫を抱えて自分のマンションへと戻っていた。

「さてと、ここなら力を使っても良さそうね」

 そう言うと、黒猫は優斗の腕から飛び降りた。

 直後、黒猫の姿が眩い光に包まれた。

 飛び降りてから着地するまでの間に、黒猫の姿は一人の女性へと変わっていた。

 ショートの黒髪は左右が軽くはねていて、どこか猫のようなシルエットが残っている。やや釣り目がちな目つきに、整った鼻梁の、美しい女性だ。すらりと伸びた手足は、しなやかそうで、滑らかな肌も健康的な白さを持っている。

 モデルかと錯覚するような女性だった。

「そうか、ミルテ……!」

 ネクスが呟いた。

 光を使う仲間がいたことを、ネクスが優斗に伝えてくる。

 彼女は、自分の人間としての体を光に変えて分解し、猫の姿に再構築していたのだ。

 姿を変えられるのは、光を操るという彼女の力故だ。光を屈折させて自分の姿を隠すことも、他の生物に見せかけることも可能に違いない。ただ、それではものに触れることも、触れられることもできない。触れられるようなことがあれば、視覚からの情報と実際に触れた感触に差異が生じてしまう。だから、触れられてもいいように、体を再構築して別の生物に化けているのだろう。

 恐らく、体を小さくすることで、気配を極力消そうともしているに違いない。

 人間の姿の彼女は、猫の時とは違ってネクスのような、異世界の住人としての気配が強く感じられた。

「ミルテ?」

 優斗が口に出す。

「そう、ミルテ。ネクスとは普通に話せるみたいね」

 ミルテは、優斗を見て、薄く微笑んだ。

「さてと、まずは何から話しましょうか? 聞きたいことも結構あるんだけれど……」

 ミルテを部屋に入れて、優斗はベッドに腰を下ろした。

 ミルテは部屋をざっと見回してから、壁に背中を預けるようにして、床に腰を下ろす。

「優斗、ネクスと話をさせてもらってもいいかしら?」

 ミルテの言葉に、優斗はネクスに交代の意思を伝えた。

「ミルテ、後を追ってきたのか?」

 交代するなり、ネクスはそう尋ねていた。

「そうね、状況を伝えるために」

 ミルテは告げた。いつの間にか、表情が引き締まったものになっている。

「門は破壊されたわ。新しい門ができない限り、奴らがこちらに来ることはないでしょうね」

 ミルテの言葉に、ネクスは静かに頷いていた。

 門、というのはネクスたちの世界に生じた亀裂のことだ。亀裂をどうにかして塞ぐ目処が立ち、ネクスにそれを伝えるためにミルテはこちらの世界へとやってきたのだ。

 ミルテがこちらの世界へ来た後で、門は破壊されたようだ。

 どんな手段で世界を繋ぐ亀裂を消したのか、優斗には想像もつかない。ただ、事実として聞き入れるしかなかった。

 戦う際にネクスが見せた力も、優斗にはどうやって使っているのか解らないのだ。

「どれだけの敵がこちらにいるか、判るか?」

 ネクスは問う。恐らく、ミルテが最後の侵入者だ。

 ミルテがこちらの世界へやってくるまでに、どれだけの数の敵が侵入しているのだろうか。ネクスとミルテにとっては、一番必要な情報かもしれない。

「数えられたのは、二十。他にもいくらかいるみたいだから、多く見積もっても三十ってところかしらね」

 ミルテは言った。

 それほど大勢の侵略者がいるわけではないようだ。もっとも、特別な力を操れる彼らは、一人でもこちらの世界に対しては十分過ぎるほどの脅威だ。

「そうか……。それだけしかいない、と考えるべきだな」

 ネクスが呟く。

「それって、帰れないんじゃないのか……?」

 優斗は、ネクスに問いを投げた。

 亀裂が消えたということは、逆にネクスが元の世界に戻れないことも意味している。

「君が気にすることじゃない。奴らが、こちらに流れ込むことの方が問題だ」

 ネクスは、優斗に言い聞かせるように告げた。

 ネクスの帰り道が残っているということは、異世界からの侵入者が増え続けるということでもあるのだ。他の世界への侵入を防ぐ側にいるネクスにとって、侵入者の増加は是が非でも防ぎたい事態だった。

 仲間たちも、ネクスの帰り道を守るためだけに戦い続けるのも難しいのだろう。それならば、こちらの世界へと入り込んでしまった者をネクスに任せて、門を閉ざす方が確実だ。

「ミルテ、その実体はどうした?」

 優斗が疑問に思ったことを、ネクスが口に出していた。もしかしたら、優斗の疑問がネクスにも伝わっていたのかもしれない。

「あぁ、安心して。通り魔に殺された人の体よ」

 既に事切れていた人物のものだと、ミルテは答えた。

「まぁ、私から伝えることはそれぐらいね」

 ミルテは言った。

「ところで、今度はあなたたちのことを聞かせてくれるかしら?」

 ミルテがネクスを見る。

「私がこの体に入った時、まだ優斗は死んでいなかっただけだ」

 ネクスは言った。

 本来の予定とは違う、失敗をしただけだ、と。

「それで、優斗とは共存を?」

「殺すわけにはいかないだろう。邪魔なのは、私の方だ」

 ミルテの言葉に、ネクスが苦笑する。

 優斗にとっても、ネクスにとっても、デメリットが多い状況になってしまっている。それに対する罪悪感のようなものを、ネクスは抱いていた。優斗にも、ネクスの感情が伝わってくる。

 目的を果たすまでは死ねないという信念と、優斗を解放したいという思いとが混在している。

「相変わらず、優しいこと……」

 今度はミルテが苦笑いを浮かべた。

 同じ、殲滅側であるためか、ミルテもネクスの思いが理解できるのだろうか。

 もしかしたら、元の世界で親しい間柄だったのかもしれない。

「まぁ、ネクスらしいか」

 肩を竦めるミルテに、ネクスは苦笑を浮かべたまま溜め息をついた。

「今は、優斗に今後のことを考えてもらっているところだ」

 先ほどの戦いで、優斗にははっきりと解ったことがあった。

 もし、ネクスたちに協力して戦う道を選んだとすれば、優斗は今までの生活を捨てるしかない。日常を保ちながら、周りに被害を出さぬように敵だけを倒して行くなど、できるとは思えない。

 世界中を飛び回らねばならないかもしれない。そんなことになれば、大学の講義や成績など、考えている余裕はないだろう。

 そんな時間があるなら、敵を探すために動き回った方がいい。

 恐らく、この世界の被害を、敵は意に介さない。優斗が大学で講義を受けている間に、奴らがこの世界を荒らし回っているかもしれないのだ。

 戦うのであれば、戦うことだけを最優先にしなければならないだろう。

 ただ、優斗に戦う道を選ぶ覚悟があるかと問われれば、首を縦には振れない。

 優斗にだって大切なものはある。友達や、家族にも二度と会うことができなくなるかもしれない。趣味だって、できなくなるだろう。

 自分の生活全てが無くなることに対する恐怖もある。

 戦うことも怖い。

 たとえ、実際に体を動かして戦うのがネクスであっても、優斗も感覚は共有しているのだ。

 受けた傷の痛みは、優斗にも伝わる。

 先ほどの戦いだけを見れば、ネクスは強い方なのかもしれない。だが、全ての敵をネクス一人で楽に勝てるとは限らない。もしかしたら、途中でネクスが負けることだってありうる。

 当然、死にたくはない。

 戦わない、というのが優斗にとって一番いい選択肢であることは間違いない。

 それでも、ネクスの抱く気持ちが理解できてしまう。言葉を交わさずとも、ネクスの抱く感情が優斗にはダイレクトに伝わってくるのだ。

 ネクスが優斗に対して申し訳なく思っていることも、それでも仲間から託された思いに報いるために戦おうとする意思も、優斗には伝わっている。

 だから、優斗も迷っているのだ。

 ネクスには、死に物狂いで戦い続ける仲間がいる。元々は、ネクスもその中にいたのだ。死に物狂いで、他の世界への干渉をさせまいと戦っていた。しかし、防ぎ切れなかった。逃亡した敵の追撃をネクスは託された。二度と帰れないかもしれないことも、過酷な戦いになるであろうことも、皆解っていたはずだ。それでも、ネクスに託したのだ。託さざるをえなかったのだろう。

 思いを託されたネクスには、戦う理由がある。

 これだけの思いを抱いているネクスを無視していいのだろうか。

 これだけのことを知っておきながら、のうのうと暮らしていていいのだろうか。

 優斗の心は揺れていた。

「答えが出るまで、私も傍に居させてもらうわ。二人きりの時以外は、猫の姿でついていくから」

 ミルテは言った。

 優斗がネクスに協力しなかったとしても、彼女一人でも戦うつもりなのだろう。

 とりあえず、優斗がこれからのことを決めるまでは、行動を共にするつもりらしい。

「まだ決まらなくて、ごめん……」

「いや、いい。無理を言っているのは、こちらの方だ」

 優斗の思考に、ネクスは申し訳なさそうに言葉を返した。



 ***



「優斗、起きてくれ、優斗……!」

 夜、眠っていた優斗は、ネクスの声によって起こされた。

「ネクス……?」

 目をこすりながら、優斗はベッドから身を起す。

「……敵、ね」

 ミルテは既に猫の姿に変わっていた。

 手早く着替えを済ませる間に、優斗も確かに敵の存在を感じ取っていた。

 ネクスが意識を向けている方向に、ネクスやミルテに似た気配を感じる。

 ネクスにとって仲間はミルテだけだ。ならば、他の存在は敵以外のなにものでもない。

「近所を荒らされるわけにはいかないからな……」

 優斗も、今回は戦うことに承諾した。

 昨日の大学での一戦で、別世界の存在がどれほどこの世界にとって危険なものかは理解したつもりだ。奴らがこの世界を乱すことに躊躇いがないことも確認した。

 ネクスとミルテに戦ってもらわねば、この付近の街も危険に晒される。

「行くぞ、ミルテ」

 交代したネクスが、ミルテに声を投げる。

 ミルテは無言でそれに応じ、ネクスに続いて走り出す。ドアを開けて外へ飛び出したネクスは、敵の気配がある方向へと大きく跳躍した。

 人間の限界を超えた脚力に加え、ネクスの重力制御が体を大きく移動させていく。ミルテは体を光に変えて、ネクスとは違うルートで敵へと向っていた。

 一度の跳躍で、優斗の体は目的地まで辿り着いていた。

 敵の目の前にネクスは着地する。重力を軽減して勢いを殺し、強化された優斗の体が衝撃を受け流す。

「お仲間、というわけじゃあ、なさそうだな……?」

 目の前に現れたネクスの表情を見てとって、男は呟いた。

 ネクスは言葉を交わすこともせず、右腕を水平に振るった。

 重力を衝撃波のようにして相手へ叩き付ける。

「うぉっ……これは!」

 数歩、後退った男がネクスを睨む。

「ネクスかぁっ!」

 男の目に怒りが宿った。

 周囲に陽炎が立ち上り、景色が揺らぐ。熱気が沸き起こり、風を巻き起こしていた。熱風に煽られて、髪と服の裾がはためく。

 横合いから、一筋の閃光が男のすぐ目の前を駆け抜けた。

 男の頬が浅く裂け、赤い鮮血が飛び散る。一瞬だけ宙を舞った血は、すぐに陽炎に飲み込まれて蒸発した。

「ちっ、気付かれてたか……」

 人の姿へと戻ったミルテが舌打ちする。

 男が前へ踏み出すと踏んでの一撃だったのだ。男が動かなかったために、ミルテの攻撃は失敗に終わった。

「ミルテだったか……忌々しい……!」

 男が吐き捨てる。

 どうやら、ネクスとミルテは敵側にも有名な存在らしい。それだけの実力者だからこそ、こちらの世界への追撃を託されたのだろう。

 ミルテが体を光に包み、動き出す。ネクスも駈け出した。

 男が操る熱量を、巧みにかわしてネクスは距離を詰めていく。

 ミルテは体を光に変換して男に接近し、触れる瞬間だけ体を実体へ戻して攻撃を繰り出した。超高速で繰り出される攻撃を、しかし男は防いでいた。

 熱量で陽炎を作り出し、視界を歪ませる。可視光を捻じ曲げ、自分の位置をずらし、ミルテの攻撃をかわしていた。

 ネクスの放つ重力波が、熱風をかき分ける。

「お前らさえ始末すれば、障害はなくなる……」

 男は呟き、指を鳴らした。

 刹那、ミルテが吹き飛ばされていた。

「なっ……!」

 ネクスにも、重力波が反射されていた。ネクスはすぐさま重力波を放ち、相殺する。

「厄介な……!」

 ミルテが呻いた。

 反射の力を持った敵が、やや離れた場所に控えていたのだ。

 男の合図で、戦闘に参加したに違いない。

 サングラスをかけた男が、離れた場所からこちらを見ていた。

「どうするの、ネクス?」

 ミルテにとって、反射の力は天敵だ。相性が悪い。

 光自体に破壊力はほとんどない。触れる瞬間だけ元の実体に戻すことで攻撃力を得ているのだから、反射されて届かなければ攻撃できないのと同じだ。

「……選択肢は、ないな」

 一人ずつなら、多少相性の悪い相手であろうとさほど問題はなかっただろう。

 だが、今は二人を相手にしなければならない。一対一が二組というのとは違う。長期戦になれば、応援を呼ばれるかもしれない。応援を呼べる位置に敵がまだいるかは判らないが、ネクスたちの戦いで他の侵入者たちを呼び寄せてしまう可能性も十分にある。あまり時間はかけられない。

 逃げたとしても、仲間を集めて態勢を整えられてしまう。敵を倒すことが目的のネクスたちにとって、それでは都合が悪い。

「あ……そうか……」

 そこまで考えて、優斗は気付いた。

 ネクスの戦いを見つめながら、優斗は愕然とした。

 ネクスが敵の存在を探知できるように、敵もネクスたちを探知できる。

 放っておいても、優斗の中にネクスがいる限り、敵はネクスの存在を探知して追ってくるだろう。大学に現れた敵もネクスの存在を感じ取って表れたのだから。

 結局、優斗が今まで通り戦いなどとは無縁の生活をしていくためには、敵を倒さなければならないのだ。

「ネクス……」

 優斗は、視界と感覚を共有している異世界の存在の名前を呼んだ。

 重力波が防がれ、炎がネクスとミルテの間を突き抜ける。熱風に煽られながらも、ミルテは突撃しようとして阻まれる。

 反射の力を、どうにかしなければならない。

「なぁ、ネクス、俺でも力は使えるのか……?」

「ああ、そのはずだが……?」

 それさえ聞けば十分だった。

「俺に考えがある。代われ」

 優斗は言った。半ば強引に意識を表層へと浮かび上がらせて、体の感覚を取り戻す。

 思っていたよりも、体は軽い。思い通りに動く。

「強く力をイメージすれば使えるはずだが、どうするつもりだ?」

 優斗は右手を夜空へと掲げ、振り下ろした。

 戦場となっている周囲の空間に対して、重力をかける。どう力を働かせるのかを強く意識すれば力は使えるようだ。

 通常の七倍近い重力に、男二人がよろめいた。その瞬間に、ミルテにかかる重力だけを軽減する。

 意図を感じ取ったミルテは体を光に変えて突き抜けた。男が反射の力を張った瞬間、優斗は重力を反転させた。男を引き寄せるように重力をかけ、男が自ら張った反射の壁に激突させる。

 反射の力で吹き飛ばされた男の体を再び重力で壁に押し付ける。男の骨格が軋み始めた時、男は反射の力を解除した。そのほんの僅かな一瞬の隙に、ミルテは爪の先端一部分だけを光に変え、射出する。命中の瞬間に元の爪の破片へ戻し、敵の額を撃ち抜いた。

「やるじゃない……!」

 ミルテが口の端に笑みを浮かべる。

 仲間の絶命に目を見開いた男へ、優斗は飛び込んでいた。周囲の重力はそのままに、自分自身にかかる重力だけを軽減する。相対的に凄まじいまでの速度を出して、優斗は男の懐に飛び込んだ。

 風が熱い。

 熱量が優斗へと向けられた。周囲の熱量がすべて、優斗へ流れ込んでくる。

「危険だ、優斗!」

 ネクスの制止に構わず、優斗は男へ踏み込む。

 自分の周囲に、重力を発生させる。優斗から、外側へ向けて、一定範囲に強力な重力場を思い描く。重力場は優斗の思い描いた通りに発生した。

 優斗からほんの数センチの範囲で、真空が生じる。原子に至るまでの、全てのものを重力で押しのけて。

 空気がなければ、熱エネルギーも伝わらない。

 優斗の放った回し蹴りを、男は腕で受け止めた。どうやら、男も肉体強化が施されているらしい。

 男の顔に笑みが浮かぶ。

 だが、次の瞬間には、男の頭が内側から破裂していた。

 血と肉片と内容物を辺りにぶちまけて、男だったものが崩れ落ちる。

「そういう使い方か……!」

 ネクスは目を見張っているようだった。

 今まで、ネクスは重力で押し潰すようにしか攻撃をしていなかった。だが、優斗は外側から引き寄せるように力を使ったのだ。

 外部からの攻撃には、相手も耐えやすい。だが、逆ならどうだろうか。

 内側からの押し広げるような攻撃は想定外のはずだ、と。

 もちろん、相手の体の内側に重力場を発生させるというのは難しい。優斗は、相手を全方向から引き寄せるように、重力場を発生させた。

 内側から重力で破裂させるのと同じ効果が得られると踏んで。

 熱量の遮断ができることも、ネクスは気付いていなかった。

「ネクス」

 優斗は、名を呼んだ。

「決めたよ」

「いいのか……?」

 優斗の言葉と、思考を読み取ってネクスは驚いたように聞き返した。

「最後に、少しだけ時間をくれ」

 肯定の代わりに、優斗は言った。



 ***



 大学の正門前には、講義に出るために学生が行き交っている。

 いつもと変わらない朝の光景に、水原那美はどこか違和感を抱いていた。

 違和感の原因は判っている。

 浅葱優斗。

 一昨日、那美が一緒に食事をするはずだった学生の名前だ。

 彼が、死んだ。

 朝、軽い食事を取りながら何気なく見ていたニュースで、浅葱優斗の死が報道されていた。タイヤがパンクして運転不能に陥った大型トラックが、歩道にいた浅葱優斗へ突っ込んだのだ。

 昨日の深夜の話だ。

 それほど親しかったわけではない。廊下ですれ違い、見かける程度でしか知らない。

 ただ、同じ美術サークルにいる大久保という学生の友達だと聞いていた。良い奴だから、と紹介され、那美が好みのタイプだと言っていたからと、一緒に食事でもどうかと誘われたのだ。

 それでも、知っている人物であることに違いはなかった。そんな人物の突然の死という事実に、現実感がない。

 僅かに俯いて、歩く。浅葱優斗の友達は、どう感じているのだろうか。

「……一昨日は、ごめん」

 誰かとすれ違った瞬間、そんな声がかけられた。

 はっとして振り返った時、そこには誰もいなかった。

 ただ、大学へ向かう学生が歩いているだけだ。

「浅葱、君……?」

 一昨日のことを謝る人物など、彼以外に考えられなかった。

 浅葱優斗の姿を探して周りを見回す。だが、彼の姿はどこにもない。

 奈美は、ただ立ち尽くしていた。



 ***



 大学の屋上から、優斗は水原を見つめていた。屋上の縁に腰をおろして。

「いいのか? あれで……」

 ネクスが問いを投げる。

「いいんだ、あれで」

 優斗は言った。

 昨日の夜、倒した二人を、優斗は自分の身代りにした。ミルテの力を借りて、一人を優斗そっくりに作り変えた。ネクスの力で、停車中で人の乗っていない大型トラックを動かし、優斗そっくりに変えた死体に突っ込ませたのだ。

 それらしい状況を作り出し、優斗は自分の死を偽装した。

「結局、俺が火種になるんだったら、今まで通りの生活なんてできやしない」

 優斗は自分の右手を見つめて、呟く。

 今まで通りの生活をしたところで、優斗の周りが戦場になるだけだ。敵がネクスやミルテの気配を仲間と思って近付いてくるのなら、どこにいてもいずれは見つかる。

 今まで通りに生きていたら、優斗が無くしたくないと思ったものを巻き込んで、失ってしまうかもしれない。

 自分を知る人たちに、迷惑をかけてしまう。

 何も言わずに優斗が姿を消しても同じだ。優斗を探すことで大切な人たちを危険に晒す可能性もある。だから、優斗が死んだということにして、周りを遠ざけることにした。優斗がいなくなっても、誰も不思議がらないように。

「大胆だこと」

 隣にいる黒猫が笑った。

「こっちの世界は結構面倒なんだよ」

 優斗は苦笑した。

「まぁ、嫌いじゃないけどね」

 黒猫が優斗を見上げて、目を細めて笑う。

「……巻き込んでしまって、すまない」

 ネクスが、言った。

「どうせ、あの時死んでたんだろ?」

 優斗は笑った。

 一度、死んでいる身だ。本当なら、優斗は昨日の時点で死人になっていた。

「全部終わって、生きていたら……また会いに行くさ」

 いつになるかは判らない。

 その時にネクスが離れて、優斗が生きていられるかも判らない。

 もし、それでも優斗が生きていたら。

 浅葱優斗として生きることはできないかもしれないが。

「そろそろ、行こう」

 優斗は、立ち上がった。

「協力に、感謝する」

「それは全部終わってからにしてくれ」

 ネクスの言葉に、優斗は苦笑した。

 澄み切った青い空を見上げる。

 まずは、目の前の脅威から、大切な人たちがいるこの世界を守る。

 また、皆に会えるように。



 ―終―

後書き

未設定


作者 白銀
投稿日:2009/10/26 02:25:49
更新日:2009/12/01 02:49:58
『新次元』の著作権は、すべて作者 白銀様に属します。
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