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創作は力なり(ロンバルディア大公国)


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封魔の城塞アルデガン

第1部『城塞都市の翳り』

目次 次の話

  第1章 プロローグ

 暗黒に閉ざされた大地を、滝のような雨が打ちすえていた。

 ごうごうたる轟きの中、男は激しく背後を振り仰いだ。都市を取り巻く巨大な城壁がしぶきにつつまれているのが、暗闇の中にかろうじて認められた。
 若者の顔が歪んだ。それは炎の紋をあしらったローブに叩きつける氷雨のためでも、えぐられ焼けただれた左目の痛みのためでさえなかった。今逃れでた城塞都市への、その地下に封じられた数多の怪物たちへの、なによりそれらを越え得ぬ己が無力さへの限りなき憎悪の顕れであった。
 彼は呪った。たとえ何年かかろうと、命を捨てることになろうとも、この地を焼き滅ぼす秘術をあみださずにおかぬと。だが、彼は自覚しえなかった。右目にたぎる光にいまや狂気が芽吹いていることを。巨大な打撃に光を永遠に失った左目以上に、人間としての己が決定的に損なわれていることを!
「ラァルダーーぁアァーーっ!」
 若き火術師の叫びは、咆哮は、だが轟く豪雨の響きに呑まれ、誰の耳にも届くことはなかった。



 「封魔の城塞」の二つ名を持つ城塞都市アルデガンの建立は、人間と魔物との抗争史における一つの時代の幕開けであった。
 第三暗黒期にエルリア大陸北部の洞窟へ幾多の魔物たちを封じた尊師アールダは、巨大な力を持つ僧ではあったが定命の人間であることに変わりはなく、大陸各地から魔物を洞窟へ追い込んだとき、その命はもはや尽きつつあった。そのためアールダは魔物たちを封じた洞窟の真上に城塞都市を築き優れた戦士や連達の術者たちを定住させることで、魔物の地上への侵略を永く防ごうとしたのである。
 だがそれからわずか二百年後、人間族の力の結集だったはずのこの「封魔の城塞」は深い翳りに覆われようとしていた。

 そして、さらに二十年後……。




  第2章 訓練所

 激しい気合いの声が巨大な城壁にこだました。朝霧を断つ若者の一撃を大男の木刀がまっこうから受けた。
 赤毛の若者はすばやく身を引き、隙なく身構えたまま大男と相対した。細身だが鍛えられた体に闘気をみなぎらせ、鳶色の目で相手を見すえるその姿には巣立ちをむかえた鷹にも似たまっすぐな覇気が満ちていた。
 若者の気迫を正面から浴びながら、だが大男の構えには小ゆるぎもなかった。白いものがめだつ剛毛と赤銅色の巨体を覆う無数の傷跡がくぐり抜けた修羅場を窺わせているが、灰色熊のごときその姿に老いの影はなく、重く、堅く立ちはだかっていた。
「まだまだっ!」
 掛け声とともに若者がさらに数度、角度をかえて師を襲った。真剣とまがう音をたてて二つの木刀が噛み合った。
「よし」大男の口元がわずかにゆるんだ。
「腕をあげたな。アラード」
 精悍な若者の顔が少年のように輝いた。
「光栄です。ボルドフ隊長」
 ボルドフは構えを解いた。
「おまえの剣は訓練生の誰よりも速い。さらに磨くがよい。破壊力は体格とともに伸びてこよう。これからは実戦でカンをやしなうことだ」
 アラードの息がはずんだ。
「では、私を!」
「洞門番に登用する。午後からの班だ。昼食後に詰所へゆけ」
ボルドフは表情を引き締め、つけ加えた。
「生き延びろ、アラード」
 挨拶もそこそこにアラードは訓練所を出た。胸のたかぶりは抑えようもなかった。長く厳しい訓練をおえた誇りと自信がきたる戦いへの闘志となって満ちていた。
 だが、見おくるボルドフの顔は厳しかった。アラードの天分がいかに非凡であれ、怪物との戦いに勝ち残るためには彼にまだ備わっていない破壊力がどれほど重要かを知り抜いていたからだ。開いたままの戸口を見すえるその目には、育ちきらぬ戦士さえも消耗戦へ投入せねばならぬ現状への憤りが黒々と燃えていた。


----------


 澄んだ少女の声が複雑かつ精妙な韻律の言葉を、信じ難いなめらかさで紡いだ。
 華奢な色白の少女だった。淡い金髪を後頭部で束ね,簡素な胴着を着たほっそりした姿は、かよわい印象さえ与えかねないものだった。だがその呪文は石壁で囲まれた大広間の空間に作用し、大きな力を秘めた特殊な<場>をつくりだした。唱えた者の意のままに、いかようにも状態を変えうる小規模なカオスを。
 しかし、それはいかなる形も取れぬまま突如として揺らぎ、消滅した。少女の空色の瞳に落胆の影がおちた。
「集中できないようね、リア」肩を落とす少女に、いつの間にか壁際で見守っていた白い長衣の女が声をかけた。
「アザリア様!」

 アザリアと呼ばれた女は少女を招いた。上背のある身体に長衣を着こなした女の姿勢には、優美でありながら居ずまいを正させずにはおかぬ強さがあった。しかしその灰色の目の光は決して人を威圧するものではなかった。
 アザリアはリアに椅子をすすめ、自らも真向かいに腰をおろした。
「あなたには力はあるのよ、リア。四大元素に働きかけ使役するだけの魔力と技能はね。でも心がためらっているわ」
 アザリアは言葉を切って、リアを見つめた。
「できないのね、やはり。魔物たちをただ憎むことは」
 少女はこわばった顔で師を見上げた。
「魔物たちが敵なのはわかっています。父も魔物との戦いで命を落としました。でも!」
 リアは両耳を押さえ、小さく叫んだ。
「あのときの怪物の断末魔が耳を離れないんです。命への執着の魂切るような! 私が殺した……」
 アザリアはため息をついた。
「あなたの素質の中で最高なのがよりによって感応力だなんて。そんなものがなければどれほど楽でしょうに」
 彼女はリアの肩にそっと手を置いた。
「でも、あなたはアルデガンに必要なのよ。あなたほどの素質に恵まれた者の、つらくてもそれが勤めなのよ」
 アザリアのまなざしが、ふと宙に向けられた。
「誰にでも代わりができることではないわ」

 リアは知っていた。名付け親でもある師の豊かな亜麻色の髪のかげにむごい傷がかくれているのを。若いころ師は闘いのさなかに瀕死の重傷を負い、高位の呪文に必要な集中は死をもたらすと宣告された。以来アザリアは前線を退き、若い術者の育成に専念してきたのだ。
 だが、その中の少なからぬ若者たちが絶え間ない魔物との消耗戦の犠牲になっていた。戦士であれ術者であれ勝ち残る力を持つ者にしか果たすことのできない務め、それが彼らに課された過酷な義務だった。
「意志の力がすべてなのよ」師の声にリアは我に返った。
「混沌を作りだすことさえできれば、あとはあなたの意志の力でどんなことでもできるの。僧侶たちの<奇跡>だって彼らは神の御業というけれど、ゆるぎない信念に支えられた魔法ともいえるのだから。現に」
 アザリアの視線がふたたび彼方に向けられた。
「二十年前、私は一人の火術師の信じられない力を見たことがあるわ」




 アザリアは仲間たちと焼けこげた洞窟を駆けた。火術師の進んだ道はまちがえようがなかった。そこかしこに犬のような顔のコボルトや巨躯のオーガなどがなかば炭化した骸をさらしていた。アザリアたちは煙に咳込みつつ走った。
 彼らは下層に達しようとしていた。魔物たちの死体は驚くべき数だった。ラルダが吸血鬼にさらわれたとの知らせがあの痩身の火術師から信じ難い破壊力を引き出したのだ。だがとっくに限界に達しているはずだ。しかもこのあたりには炎に耐性のある魔物もいる。
 突然前方が明るくなった。ついで地鳴りのような爆発音がとどろいた。
「あそこだ!」
 誰が叫んだかに気づくより早く、アザリアは転移の呪文を唱えきった。
 視界がひらけた瞬間アザリアの目に飛び込んだのは、消耗しつくしてくずおれる火術師と焼けただれつつもなお荒れ狂う巨人の姿だった。巨人は倒れゆく長衣の若者に焼けた大岩のごとき拳を振り上げた。呪文はもう間に合わない!
「ガラリアン!」
 アザリアは叫び身を投げ出した。苦しまぎれの、しかし巨大な一撃が二人をかすめ、虫けらのように岩壁へ吹き飛ばした。




「私の意識が戻ったとき、ガラリアンは姿を消したあとだった。左目を失ったということだったわ」
 アザリアの目がリアに向いた。
「彼の場合は想い人が洞窟で消息を絶ったことがあれだけの力を引き出すことになった。あなたも自分が戦う意味を見つけさえすれば力を発揮できるのよ。あなた自身が生き残るためでもあり、素質の劣る者を死地から救うためでもあるのよ」
 そう語る師の顔に苦渋の色が浮かんでいるのをリアは見た。かつては非凡な魔術師であったこの女性がいかに自らの無力ゆえに救えなかった人々のことで苦しみ続けてきたか、手に取るように心に流れ込んできた。少女は思わず胸を押さえた。あたかも疼く古傷を押さえるかのごとく。
 それが感応力の発露、あのとき魔物の断末魔を感じてしまった力だった。でもそれは相手の思考を読みとるというより、感情の動きを感じ取るものだった。だから予想できなかったのだ。続く師の言葉がいかなるものかまでは。

「さきほど大司教閣下から旅に出るよう命じられたわ」
 驚いて見上げたリアを、アザリアはまっすぐ見つめていた。
「魔物たちがこの地に封じられて年月がたつうちに諸国からの援助が途絶えがちになってきているのは知っているわね。アルデガンへの物資の援助や人材の派遣は今ではこの地に接する北部地方に限られ、私たちはすっかり守勢にまわって洞窟の掃討どころか洞門を守るのがやっとという状況になっている」
 リアは頷いた。父もまた洞門を守る闘いで部下を庇い命を落としたのだ。
「西部地域の内乱は収まることを知らず、南部にも不穏な動きがあるわ。このままでは遠からずアルデガンは破られてしまう。大司教閣下は諸国の状況を見てこいと、そしてアルデガンに、ひいては私たち人間すべてに危機が迫っていることを訴えるようにとおっしゃったのよ」
 アザリアは教え子の手を取った。
「いっしょに来なさい、リア。私たちが守っているものが何かを知るために。あなたならその真実から、自分が戦う意味をきっと見い出せるはずだから」





  第3章 洞門

 洞門番になって一刻もせぬうちに、アラードたちはコボルトの襲撃を迎え撃った。
 亜人と称されるコボルトは犬に似た顔を除けば小柄な人間のように見え、粗末な胴着や蛮刀を作ることもできた。豚に似たオークともども人間族にとっては生活の場における厄介な競争相手であり、武装が貧弱な小さな村などは滅ぼされることさえあった。しかしここアルデガンではごく最近まで、訓練を終えたての新米たちにも組しやすい相手と見なされていた魔物だった。
 コボルトの一頭の突進にアラードはまっこうから立ち向かい、錆びかけた蛮刀の力任せの一撃を剣で受けた。だがほぼ同じ体格の敵の一撃には思いがけぬ勢いがあった。反射的に体をかわすアラードを蛮刀の切っ先がかすめた。そのとき、コボルトの動きが一瞬止まった。隙を見せた相手に二度斬りつけると亜人は倒れ、そのまま動かなくなった。
 アラードは周囲を見回した。そこは洞窟の前に広がる砂地だった。正面の洞窟から城壁で三方を囲まれた砂地に攻め込んできた敵の一群は、待ち受けた魔術師たちの呪文にあえなく眠らされ、そのまま戦士たちに斬り伏せられていた。絵に描いたような完勝だった。初陣での圧勝に高ぶる気持ちを抑えきれず、若き戦士はこの戦いを指揮した青年魔術師のもとへと駆け寄った。



 足音に振り向いた魔術師ケレスは、砂地を駆けてくるまだ少年といえそうな姿を認めた。さっきコボルトに押されていた赤毛の剣士だ。礼でもいいに来たかとの思いはその輝くばかりの笑顔に打ち消された。呪文の援護に若者が気づいていないのがあまりに明らかだったから。
「他愛のないものですね」
 息を弾ませていうその姿に、相手が初陣だったことをケレスは思い出した。ならば周囲がまだ見えなくて当然だ。はやる気持ちに水を差しても益はないと判断し、彼は赤毛の剣士に慎重に応えた。
「地の利がこちらにあるからね」
 少年のような剣士は頷くなり、魔法にかかった亜人にとどめをさす仲間たちのところへ走り去った。自分の言葉が素通りしたのに苦笑しつつ、ケレスはボルドフの言葉を思い出した。剣だけは速いが筋力は足りず周りもまだ見えん奴だ。それでも欠けた穴を埋めるために送り出せるのはこいつしかおらん。すまんが面倒をみてやってくれと配属を告げた戦士隊長は頭を下げたのだ。
 それでも援護すれば敵を倒せる以上、貴重な戦力であることにかわりはない。そんな段階に達していない者がいまや大部分なのだから。とはいえ自分たちも人のことをいえた義理ではないと、魔術師の青年は心中ひそかに自嘲した。十分な威力の攻撃呪文に未だ届かず眠りや目潰しの援護呪文で勝機を稼ぐのがせいぜいの自分たち。だからこそ亜人の相手がやっとの新米戦士たちの援護に徹しているのが不本意ながら現状なのだ。

 けれどそれは大事な任務だ。しかもその重要性は月日とともにいや増すばかり。人間と亜人の力がせめぎ合うなら勝敗を決するのは数の力。だが外部からの人的支援を失った人間側は、もはや数の上でも劣勢を隠せなくなりつつある。だからこそ新米たちを無駄死にさせずに必要な実戦経験を積ませなければならず、そのためにも直接敵と切り結ぶ戦士が容易に持ち得ぬ全体を見る目を養うことが魔術師たる者には喫緊の使命なのだから。そう思ったときアザリアの、敬愛する師の顔が脳裏に浮かんだ。単に魔術系呪文の全てを自在に使いこなせたのみならず、同行したパーティから一人の死者も出したことがなかった至高の守り手。魔力だけなら勝る者はいた。無謀にも単身洞窟に挑んだかの火術師がいい例だ。だが師のなし遂げたことはガラリアンにはもちろん、現存するいかなる術者もなしえなかったことなのだ。この城塞都市の最高指導者ゴルツさえも自分にはできなかったことだと、かつてアザリアを称える中で公言したというのだから。その師の導きを受ける中、いつもいわれる言葉がある。魔術の修得は資質に左右されざるをえないが、全体を見る目は修練で磨き、極められる。それが仲間の命のみならず、ひいては人の世の命運をも左右するのを忘れないでと。そう語るときの師から痛いほど伝わる思い、託されるものの重みを自分たちは心に刻み、決して犠牲を出さぬとの誓いを誰もが新たにしてきたのだ。

 新米戦士たちは当分昼の警護に専従するが、自分たちは今夜も当番だ。このところ夜は敵の数がとみに増えている。休めるうちに皆を休ませなければとケレスは見習い魔術師たちを呼び集め、交代するため砂地に降りてきた次の班のリーダーに状況を引継ぐのだった。





  第4章 路上

 夜番の者と交代し宿舎に戻ってきた時もなおアラードの昂揚は続いていた。だからリアに出会うなり話しかけた。相手の様子がいつもと違うことにも気づかずに。
「聞いてくれ、リア。洞門番になったんだ!」
「……よかったわね、アラード」
 沈んだ声に、ようやくアラードはなにかが変だと悟った。
「どうかしたのかい? リア」
「私、旅に出ることになったの」
 予想もしなかった言葉を聞いたアラードの驚きは、だが彼女から詳しい話を聞くうちに寂しさよりむしろ安堵の勝る気持ちへと変わっていった。幼なじみだった二人はそれぞれが訓練を受けるようになってからも互いに励ましあってきたが、アラード自身はリアに魔物と戦ってほしくなかった。だからリアが一時的であれ旅に出れば、少なくともその間は魔物に食い殺されることはないはずだと思った。少年のような剣士は胸を突かれた。己が安堵のあまりの大きさに。
「アザリア様がいっしょなら心配ないさ。きっとすべてうまくいくよ」
 そう励ましつつアラードは思い出していた。リアの父ダンカンのことを。あのときかいま見たその胸中を。


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「ほんとに単純な奴だな、おまえは」
 なぜそんなことをいわれたのか思い出すより早く、だが苦笑を浮かべたダンカンの顔に酒でも覆い隠せぬ疲労の色が窺えたのがありありと瞼に浮かんできて、おかげでアラードは思い出した。疲れているのかと訊ねたことでそう返されたのだったと。
「だがおまえが裏表なく接してくれるおかげで、リアはずいぶん救われてる。心を読める相手にそうしてくれる奴ばかりじゃないからな。わかってるか? 俺も感謝してるんだぞ?」
 まあ座れといわれ、アラードは自分の皿を隣に置いた。夕方の酒場は活気と喧噪に満ちていたが、からかわれたのではと向けた疑いのまなざしの先で、だが中背の戦士の纏う翳りは薄らぐ気配さえないように見えた。やがてまだ酒の残るジョッキを置くと、ダンカンは料理に手をつけるでもなく机の上に視線を落とした。そのまま動かぬ相手の金髪が、灯りのせいか妙に白っぽく色あせて見えた。見つめる赤毛の若者の耳に呟く声が聞こえた。歳などとりたくないものだなと。
「前にできたはずのことができなくなる。届いたはずの剣が届かず、救えたはずの奴が救えない。こんなことを感じるようになるまで、俺ごときが生き残るはずじゃなかったのに」「そんな! あなたは立派な」
 古傷だらけの手が遮った。
「誰もが限界まで頑張っているここでは、最後は素質の差がものをいう。俺はこの程度だったのさ。エレーナだってそうだった。傑出した術者とまではいえなかった」
 リアの母の名を出されてもアラードには応えようがなかった。エレーナがリアを産んだことで亡くなったとき、彼はまだ一歳になるかどうかだったから。
「なのになぜ、そんな俺たちからリアは生まれた! 身に過ぎた魔力なぞ持ったんだ! 虫も殺せぬどころか心寄せずにいられぬ娘なんだぞ!」「こ、声が大きすぎますよっ」
 あわてて止めたアラードだったが、相手の言葉を否定する気は毛頭なかった。自分より先に実戦に出たリアが戦えなくなったと知って以来、彼もまた彼女の戦いは自殺行為と信じていたから。そうと知ってか知らずか、ダンカンの顔が縋りつく赤毛の若者に向けられた。

 懊悩の翳りに染まっていた、リアと同じ空色の目が。
「俺の代で終わらせたかった。そう心に誓っていたんだ。なのに状況が悪くなるばかりのこんな時に、俺は衰えてゆくのか。誰も救えず、死地に赴く娘を止めることもできずに……っ」

 どう応じればいいかわからぬままアラードが見つめていると、ダンカンはジョッキを一気にあおり、立ち上がった。
「……俺は帰る。寄宿舎にはおまえ一人でいってくれ」
「なんですって? 二人で面会にいく約束じゃないですか」
「こんな状態で会っても心配させるだけだ」
「そんな! リアがあなたを待ってるのに!」
 だがいかなる説得も懇願も相手の翳りを払うに至れず、ついに赤毛の若者は唇を噛み呟いた。
「リアにどう話せというんです……」
「ありのまま伝えてくれ。初めてのことでもないからな。それにおまえの嘘じゃリアでなくてもすぐバレる」
 古傷だらけの手が、料理の皿を若者の前に押しやった。
「頼まれ賃と思って食え。ボルドフにいつもいわれてるだろう、とにかくガタイを養えと。奴にも当てにされてるんだぞ」
「次は、来週はいっしょに来てくださいよ。リアにもそういっておきますからね!」
「……ああ、それでいい」
 去りゆくその背にアラードは思った。これでいいはずがない。来週は絶対リアのもとへ連れていこう、引きずってでもそうしなければ! と。

 だがそれから三日後、夜番に出ていたダンカンは部下を敵から庇って死んだ。


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 聞こえてきた子らの祈りが、寄宿舎の前の若き剣士を現実へと引き戻した。鳶色のその目が建物を見上げる少女の横顔に焦点を結んだ。

 懊悩の翳りに満ちていた。父親と同じ空色の瞳が。

 だがアラードは、そんなリアの胸中を察することができなかった。寄宿舎から聞こえる幼子らのか細く不安げな祈りを背景に、見納めとなった父親と同じ目をした幼なじみの華奢な少女。その符合の不吉さが、赤毛の若者にそれだけの余裕を許さなかったのだ。胸に焼きつく姿のその不吉さがかき立てる恐れに彼は抗い、はね返さんと一途に念じた。なにがなんでもリアを守る、自分が守らねばならないのだ! と。

 それが自分たちにもたらす事態も、まして魂の奥底に刻まれたその姿が歳月の果てに遙か彼方で甦る日がくることも、神ならぬ身では知るすべもないままに。





  第5章 洞門

 夜空を閃光が切り裂き砂地の上に無数の影を焼き付けた。

 コボルトやオークなどの大群の急襲だった。倍する数の素早く夜目がきく敵に、若く経験不足の戦士たちは押されていた。形勢不利と見て取ったケレスの指示で魔術師たちが放った目くらましにより戦士たちは辛くも窮地を逃れ、中には敵に反撃できた者もいたが、誰もが数に勝る敵襲に手傷を負っていた。
「落ち着け! 深追いするな!」正面のオークを斬り倒しながらボルドフが叫んだ。すでに十頭以上の亜人を倒していたが、魔物の数は多く勢いは全く減じなかった。乱戦が続けば犠牲が出る、左のコボルトの胴を薙ぎ右のオークの頭を割りつつ巨躯の戦士は焦ったが、引きつけた敵が多すぎて囲みは容易に破れなかった。恩義あったダンカンの最期が一瞬脳裏をかすめた。
 その時再び閃光がほとばしり、ついに砂地全体が真昼とまがう光に満たされた。援護の魔術師たちがいっせいに明かりの呪文を唱えたのだ。目つぶしや敵を眠らせるのがやっとの術者たちを、だがケレスは一糸乱れぬ統率により自在に駆使していた。彼らは乱戦に巻き込まれぬよう距離を置きつつも味方の背後、敵の正面へと常に回り込み、それぞれがペアとなる戦士の戦いぶりを注視しつつ敵を牽制していた。そんな仲間たちにケレスは絶好のタイミングで指示を出したのだ。敵が浮き足立ち洞窟へ逃げ込むものも出始めた隙に、戦士たちはなんとか陣形を立て直した。
「深追いするな、追い返せ!」ボルドフもついに囲みを破り、脅えた亜人たちを蹴散らした。若者たちは気勢をあげ、魔物たちは総崩れとなり敗走した。戦士たちは陣形を組んだまま亜人たちを洞窟へ追い込んだ。

 だがボルドフが若者たちに近づき引き上げを指示しかけたその瞬間、咆哮とともに洞窟から黒い影が躍り出た。
 大柄な獅子とも見まがう怪物だった。いや、胴体は獅子そのものだった。だが、その背には分厚い皮におおわれた翼をもち、尾の先には毒々しい汁に濡れた太い刺があった。にもかかわらず、その顔は人間に似ていた。その口が大きく裂けると二列に並んだ牙がむき出された。悪夢のような怪物は再び吠え、乱れる木霊が山肌と三方の石壁を揺るがせた。
「マンティコアだ、下がれ!」ボルドフは怒鳴った。だが魔獣は若者たちの只中に踊り込んだ。
 たちまち一人が喉笛を噛み裂かれ、二人が翼でなぎ倒され鋭い爪で引き裂かれた。仲間を助けようと斬りつけた若者の脇腹を毒針がえぐった。
 ボルドフは浮き足立つ戦士たちをかき分けて魔獣に対峙した。血まみれの牙をむき出し威嚇する怪物に、ボルドフは盾を掲げて間合いをとった。
 しばし両者は睨みあった。
 怪物の油断なさにボルドフはあえて盾をわずかに下げて右脇に隙を作り攻撃を誘った。跳躍した魔獣の脇腹への突撃を巨躯の戦士は盾でいなしつつ剣を大きく左に振るった。頭を襲った猛毒の尾が斬り飛ばされた。
 おぞましいほど人間に似た声でマンティコアはわめき、手負いの魔獣は捨て身の体当たりにでたが、ボルドフは突進する怪物の顔面に全体重を乗せた剛剣を振り下ろした。巨大な一撃が醜悪な人面から分厚い胴の前半分までざっくり断ち割った。
 戦士たちは魔獣に駆け寄り、まだ痙攣している骸に次々と剣を突き立てた。だがボルドフは見て取っていた。そんな戦士たちの隠しようもない怯えを、そしてケレスを中心に立ち尽くす魔術師たちの受けた衝撃を。やっと見習いの域を脱しつつあった彼らは夜番を担当できるまでになったこの班の戦士たちと訓練を重ね、徹底的に連携を強化してきた。だからこそ二倍もの亜人たちの夜襲にも持ちこたえることができたのだ。それら全てをただ一頭の魔獣は一瞬にして打ち砕いた。四人もの戦士の死はアルデガンにとってもちろん大きな打撃だが、生き延びた者たちの受けた衝撃もそれを何倍にも増幅しかねぬものだった。覆せぬ劣勢に悲壮な思いで抗いながら血の滲む努力で築き上げてきたものが、ただの一撃で崩れ去ったのだから。
 しかも事態は、若者たちが知るすべもない恐るべき事柄さえも暗示していた。異形としか呼び得ぬ姿に恐るべき破壊力を秘めたこの魔獣は、ボルドフにだけは未知の存在ではなかった。かつてまだ洞窟への討伐が行われていた時代、中層付近で何度も戦った相手だった。尊師アールダの結界は人間とかけ離れた力を持つ魔物であるほど強く作用するため、数で押すだけの亜人たちが最も浅い層に出現し地上まで侵攻してくる一方、より深い層の強力で危険な怪物たちは本来ここまで上がってこれぬはずなのだ。

「俺は報告にゆかねばならん。詰め所に待機中の全ての班を呼び出せ。俺が戻るまで総員で守りを固めろ!」
 馬に飛び乗り闇を駆ける戦士隊長の行く手から幼子たちの不安げな祈りが聞こえてきた。やがて寄宿舎が、その後ろにそびえる寺院が視界の中に黒々と浮かび上がってきた。





  第6章 ラーダ寺院

 破邪の神格ラーダを祀る白亜の寺院は高い尖塔を備えていた。これこそ尊師アールダの5つの宝玉のうち主たる宝玉を頂く塔であり、洞窟の魔物が地中を掘り進み洞窟から脱出することを封じる結界の源であった。ボルドフは出迎えた見習い僧にゴルツへの拝謁を求めた。
 大司教の執務室には先客がいた。白い長衣を身にまとったアザリアだった。かつてボルドフはアザリアの支援の下で何度も剣を振るった仲だった。彼らは目礼を交わした。
「用向きは何か、ボルドフ隊長」ゴルツが声をかけた。

 大司教ゴルツはすでに髪も長いあごひげも白い老人だった。僧侶の技と魔術師の術の両方を身に付けるべく修行する司教、それは長い年月を修行に費やすことを意味し、二十年前にその両方を極め大司教の称号を得た時ゴルツはすでに五十歳になろうとしていた。
 以来二十年間、ゴルツはアルデガン最高の術者としてしばしば実戦にも出ながら指導力を発揮していた。魔物との消耗戦に陥っているアルデガンでは実戦で発揮される実力こそが権威の裏づけであり、実戦での力の衰えは大司教としての役割の終わりを意味する。だが七十歳を前にしたゴルツの老いた肉体を支える意思の力にはまったく翳りがないことが、緑色の炎のような眼力からもうかがえた。
「洞門にマンティコアが出現し四人の死者が出ました」
 抑えた声での報告に、大司教は厳しい面持ちで応じた。
「なぜそんなものが洞門に現れたのか、それを聞きたいというのだな」
「尊師アールダの結界は人間に近い魔物より人間からかけ離れた存在により強く作用する。マンティコアなど、本来深い階層から容易に上がってこれぬはず」
 ボルドフは一歩前に出た。
「結界に異変が起きているとしか思えません」

「四方の塔の宝玉のうち、東と南の宝玉の魔力が変質したことを確認した」ゴルツの表情が険しさを増した。
「なんと! それでは……」
「このアルデガンの宝玉を補助しているのは、もはや北の塔の宝玉だけということです」アザリアが応えた。
「二十五年前の西部地域の内乱により、西の塔の宝玉がその力を求める者たちの争いの最中に失われたのは隊長もご存知ですね。追い詰められた勢力がその力をむりやり解放した結果、凄まじい魔力の暴走で敵味方ともども全滅し、西部地域は今も救いようのない混乱の只中にあります」
「愚行だ」ボルドフが吐き捨てた。
「だがそれ以来、宝玉がいかに強力な力の源であるかが天下に知れてしまった」ゴルツが言葉を継いだ。
「東と南の宝玉はかなり前から移されておる。手を出したのは南の大国レドラスの王であろうとわしは見る」
「前からですと! それに場所もおわかりだったのですか?」
「もちろん北の王国ノールドにはこのことを伝え、外交的に問題を解決することを依頼はしていた。しかし国力で勝るレドラスはノールドの呼びかけに応えなかったと聞いておる。そしてこたびの変質じゃ」ゴルツは息を継いだ。
「宝玉が何らかの加工を受けたとしか考えられぬ」
「レドラスには野心があると見なさざるを得ないでしょう、混乱の続く西部地域か、あるいは東のイーリアの虚を突くつもりかもしれません」アザリアが言葉を継いだ。
「ノールドはレドラスが宝玉を手にしていることを知っているのですから、レドラスもそう手出しはできないと思いますが」
「宝玉の効力は場所が移されただけなら保たれる。しかし加工され変質したゆえに効力が失われた。このままではアルデガンは遠からず破られ魔物たちが再び地上に解き放たれる。レドラスには触れてはならぬ力に手を出したことをなんとしても悟らせねばならぬ」

「私はそのレドラスへの使者の役目を拝命したところです」
 アザリアの言葉に、ボルドフは目を剥いた。
「無茶ではありませんか? 閣下!」
「でも他に方法はないのよ。それに宝玉が現在どういう状態なのかを探る必要もあります。イーリアに立ち寄り状況を話せばレドラスの動きを牽制できるかもしれません」
「重大な任務じゃ。そなたは両親の出身ゆえ、かの遊牧民の王も同族のよしみでそう無体な扱いをせぬのではと思うが、それでも困難な役目に違いない。だが」
 ゴルツは首をかしげた。
「そんな任務にリアを伴いたいとそなたはいうのか?」
「彼女には今のアルデガンのどの魔術師よりも高い魔力の資質があります。でも感応力が高すぎて魔物の魂に触れてしまい、戦うことができずにいます。戦う目的を自分で捉え直すしか克服するすべはありません」
 ゴルツはしばしアザリアを見つめたあと首肯した。
「そなたを信頼している。リアにも支度をさせるがよい」
「ありがとうございます、閣下」
「ボルドフ隊長。聞いてのとおり、アルデガンはこれまでになく由々しき状況にある。洞門の警護さえもはや危険じゃ。十分用心し、戦力の損耗を極力抑えることを念頭に置くがよい」
「……心得ました、閣下」
 重鎮たちはゴルツのもとを辞した。去りゆく二人の足音が消えて間もなく、ゴルツもまた立ち上がった。


 二人は寺院の回廊をしばし無言のまま進んだが、やがてボルドフがぽつりと声をかけた。
「無茶なことを考えているのではないだろうな、アザリア」
「なにをいうの。今の私になにもできないことなどあなただってよく知っているはずよ」アザリアが歩みを止めた。
「そしてそのことで我が身を責めている。違うか?」
 背後の相手が答えないのもかまわず、巨躯の戦士は続けた。
「誰だってわかるさ。おまえに背中を守られた者なら」
「……教え子たちはみんなよくやってくれていると思う。でも、もう長い間、魔力の素質に優れた人材は出ていないわ。しょせん魔術師は魔力の水準で取れる行動が限られてしまうのよ。
 あと一つの呪文が使えたら救えた命だった、そう思ったことのない教え子なんかいないはずよ。私だって」
 アザリアはいつしか両の手を握り締めていた。
「せめて私に実戦に出られる力が残されていればと何度思ったか知れないわ!」
「だからリアをつれて行こうというのか」
 ボルドフは向き直り、灰色の瞳をまっすぐ見つめた。アザリアは頷いた。
「あの子には最高位の呪文を自在に使いこなす潜在力があるわ。それに年齢以上に思慮深さもある。戦いで味方に犠牲を出さない最高の守り手になれる資質があるのよ」
「なるほど、生まれたときから目をかけていたわけだ。おまえの真の後継者というわけか」
「生まれたばかりのリアを初めて見たとき、高い魔力のオーラに包まれていた。この子は優れた魔術師になるし、そうでなければならない。だからリアの名付け親になって早くから魔術師として育ててきたわ。なんとしても壁を乗り越えて、こんな私に代わる守護者になってほしい……」

「おまえは我ら剣を振るう者にとって最高の魔術師だった」
 ボルドフは感慨深げに語りかけた。思い詰めた様子もあらわなアザリアに。
「同じ魔術師でもガラリアンは正反対だった。奴は自分の魔力を恃んで敵を滅することしか考えていなかった。確かに奴は多くの魔物を倒した。だが、結局一人で戦っていたようなものだった。我ら戦士のことなど眼中になかった」
 ボルドフは言葉を切った。
「ラルダが戦士ローラムに夢中で奴を顧みなかったせいだったのかもしれんが」
「言葉が過ぎるわよ。ボルドフ」アザリアがたしなめた。
「そうだな、別に奴の悪口をいいたかったわけではない」
 ボルドフは苦笑したが、すぐに表情を改めた。
「おまえは常に仲間を守ることを考えていた。一歩下がったところで戦況を判断し、状況に応じた最善の手段でいくつもの窮地を切り抜けてくれた。アルデガンに魔術師の数あれど、参加した戦いで犠牲者を出したことのない者はおまえしかおらん。かつての仲間たちの感謝は決して尽きることなどないのだぞ。
 そしていま、おまえは多くの弟子を立派に導いている。今夜の戦いでケレスが見せた采配はまるでおまえのようだった。確かに魔力の素質に恵まれた者は不足しているのかもしれんが、ならばいっそうおまえ抜きではアルデガンの魔術師陣の瓦解は免れぬ。違うか?」
 ボルドフは無数の戦いを共に潜った女魔術師の両肩を、大きい無骨な両手でがっしりと掴んだ。
「おまえは昔も今もアルデガンにとってなくてはならぬ存在なんだ。絶対に無理だけはするな! 必ず帰ってくるんだ」
「ありがとう、ボルドフ……」アザリアは声を詰まらせた。





  第7章 寄宿舎

 アラードと別れたリアはラーダ寺院に隣接する寄宿舎の自室に戻っていた。彼女の部屋は一階だった。五階建の寄宿舎は小さな砦のような造りになっており、年長者になるにつれ下の階を割り当てられる決まりだった。アルデガンに生まれた者の常として、彼女も物心がついたころからこの建物で暮らしてきたのだ。
 扉に閂をおろすとリアは簡素な寝台にあおむけになり、ラーダのシンボルが描かれた天井を見上げた。多分集会室からだろう。子供たちがラーダの神にささげる破邪の祈りが、今もずっと上の階からかすかに聞こえていた。

 子供たちは小さいうちから僧侶によって、魔物がいかに邪悪であり、これを滅ぼすのがどれだけ聖なる義務であるかを教えられて育つ。もちろんリアも例外ではなかった。魔物は人間とは異質でかけはなれた存在だと信じていた。
 だから自分が焼き殺した魔獣の断末魔に魂を感じたこと自体が彼女には衝撃だった。しかもあの一瞬にさらけだされた魔獣の魂は、狂暴で荒々しくこそあれ人間の魂となんら変わるところがなかった。
 自分が考えてはいけないことを考えているのはリアにもわかっていた。魔物たちは敵なのだ。決して人間と相容れぬ、どちらかが滅びるまで戦い続けるほかない相手だとわかってはいた。
 しかし今の彼女には、自分が人間であり相手が魔物であるということが、ほんのちょっとしたきっかけで逆でもありえたようなものとしか感じられなかった。かつてリアを支えていた自分への確信というべきものは、あの魔獣の断末魔とともに砕け散ったのだ。
 リアの脳裏にアラードの上気した顔が浮かんだ。魔物を初めて倒した喜びを語る彼の表情には迷いの影などみじんもなかった。彼がうらやましく思えてならなかった。

 ではアザリアはどうなのだろうと彼女は思った。魔法を自由に使えた時に、師は魔物との闘いにどう臨んでいたのだろうかと。師は戦うことにより自分が救う者たちのことを考えるようにと諭した。その言葉はもちろんリアにも正しいことだと受け取れた。しかし、それ以上に彼女には、師の思慮深さが何らかの苦しみを克服した結果得られたものであるように感じられたのだ。
 旅に出れば師に尋ねる機会もあるだろうかと思ううち、リアはいつしか眠りへと落ちていった。



 異様な悪寒の中、リアはめざめた。暗闇に塗りつぶされた視野の奥から、見慣れた自室の天井がおぼろに浮かびあがる。
 ここはアルデガンの中心部、ラーダ寺院に付属する寄宿舎の自室。窓から寺院の尖塔が見える、アルデガンで一番安全なはずの場所……。

 その部屋が、いまや妖気に満ちていた。

 少女は動けなかった。声も出ず、まばたきさえできず。ただ、研ぎ澄まされた感覚がなにかをとらえた。視野の外、足元の床で凝固しつつある妖気を。やがて床にわだかまる闇から気配が伸び上がり、のしかかるように迫ってきた。
 一瞬、リアの視線が双眸をとらえた。おぼろな影の中に燃える緑色の……。
 とたんに双眸が妖光を放ち、リアは意識を失った。





  第8章 見張り台

 アラードと同期の戦士ガモフは、かがり火の燃える城壁の上で見張りに就いていた。背後には隊長のボルドフが立っていた。
 ずんぐりした体格のガモフは敏捷さよりは力で戦う資質の持ち主だった。もちろんまだ若く経験不足であるため、ボルドフから見れば未熟さは覆いがたいものだったが、オークやコボルト相手なら今のアラードよりむしろ安定した戦いができた。訓練所でもアラードと張り合ってきたガモフはアラードより先に洞門番に登用され、倒した亜人の数でもアラードに差をつけていた。
 しかし洞門が急襲を受けたとの知らせに宿舎から駈けつけたガモフたちを出迎えたものは、亜人とは次元の違う存在だった。

 獅子ほどもある醜悪な魔獣の死体。戦いに臨んだ仲間たちの話も凄まじいものだった。それは自分たちの前の班の若者を四人も瞬時に噛み殺し引き裂いたという。
 ボルドフがラーダ寺院から戻ったとき、ガモフたちは明らかに動揺していた。事態の悪化を感じているのを隠せずにいた。
 ボルドフはガモフたちを集め、宝玉の結界に異変が起こり魔物の行動への制約が弱まったために強力な魔獣が洞門に現れたことを説明した上で、当分のあいだ夜は城壁の下へは降りずに城壁の上から洞門を見張るよう指示した。そして、今夜は自分も見張りに立つから、一人ずつ交代で見張りに立ち他の者は階下で仮眠をとるよう命じた。

 ガモフが見張りに立ったのは、もう少しで空が白みはじめる頃だった。
「自分もあんな化け物を倒せるようになれるでしょうか」
 ガモフはボルドフに声をかけた。それは仲間たちも一様に隊長に発した問いだった。
「生き残り、戦い続ければ必ず」
 ボルドフもまた、同じ答えをガモフにも返した。
 そのときラーダ寺院の見習い僧が城壁の上に現れ、ボルドフを手招いた。そして近づいたボルドフに小声でなにかを告げた。
 ガモフにはその声は聞こえなかったが、ボルドフが顔色を変えたのがゆらめくかがり火の光でもはっきりと見て取れた。
 ボルドフは足早にガモフのところへ戻った。
「ラーダ寺院からの招集だ。すぐに行かねばならん。他の者を起こすから見張りをこのまま続けてくれ」
 そういうと、ボルドフは見習い僧と共に階下へ姿を消した。

 ついに空が白み始めた。だがそのせいで、洞門の影はかえって深まったようにガモフには感じられた。
 もしも洞門に異変が起きたら。若者はひたすら洞門を凝視していた。見張りのためというより恐怖にかられ、己の首に背後からのびる、やつれた、けれど鋭い爪を生やした手に、気づくこともできぬまま。





  第9章 集会所

 ラーダ寺院の中央に位置する広い集会所は、高窓から射し込む朝日が白亜の内装に照り映えて輝きに満ちていた。破邪の神格を祀る寺院にとって昇る朝日は闇の克服の象徴であり、その輝きをあまさず取り込み人々を力づけることを目指してすべてが緻密に作られていた。匠の技はいまや最高の効果を発揮し、寺院には影などかけらも残らないはずだった。
 だがそこに集う人々の顔をおおう影の深さは、およそ朝日の輝きなどで消し去れるものではなかった。
 リアは祭壇近くに設けられた席に腰掛けていた。もともと色白の顔はいまや蝋のように生気を失い、空色の瞳は虚ろだった。朝日は淡い金髪にも照り映えていたが、それはその顔に掘り込まれた絶望を無残に際だたせるばかりだった。そしてか細い首筋に、この場を支配する恐怖の刻印が刻まれていた。
 牙に穿たれた傷だった。
 吸血鬼の牙の痕だった。
「では、そなたは吸血鬼の姿をはっきりとは目にできなかったというのか?」
 大司教を補佐する司教グロスの詰問は、だが絶望に魂が凍った少女には霧の彼方の囁きほどにも届いてはいなかった。
「重大なことだぞ。なにか思い出せぬのか!」
「よい、グロス」ゴルツが制した。
「無理を強いても詮無い。だが、たしかに由々しき事態じゃ」
 ゴルツはこの場に集うアルデガンの指導者たちを見渡した。
「これまでアルデガン内部に吸血鬼が侵入したことはなかった。我らはかつてなき恐るべき状況に置かれておる」
「吸血鬼の行方の探索は?」グロスが問うた。
「手を尽くしてはいますが、いまだ手係りはありません」
「洞門になにか異変は?」
「夜半前の魔獣が現れた乱戦の時が怪しまれます。夜の闇に身を溶け込ませ忍び込んだ可能性は否定できません」
「リアが襲われた時刻は?」
「少なくとも発見は、明け方まで間がある刻限でした」
「このことは外部に漏れたか?」
「リアを発見した者が複数おりますので、おそらく……」
「大司教閣下!」グロスが、いや、その場に集う指導者すべてがゴルツの言葉を待った。

「かくなる上は全ての者に事実を知らせ、今後はまとまって行動するよう告げよ。高僧たちを一人ずつ配置し万全の備えで臨め。疑心にかられ自壊するのはなんとしても避けねばならぬ!」
 命を受けた僧たちが退出すると、立ち上がった大司教はリアの前へと歩を進めた。少女はその顔をおずおずと仰ぎ見たが、深く窪んだ眼窩の奥を窺うことはできなかった。
「そなたはもはや転化する定めを免れぬ」
 ゴルツの厳しい声がリアの耳朶を打った。
「そなたは生きたまま吸血鬼と化してゆく。いや増す渇きに身を焦がし、ついには身近な者に襲いかかる。そのときそなたは真に魔物の眷属へと身を堕とし、襲われた者はそなたと同じく転化の定めに呪われる」
 大司教は老いにやつれた手に握る錫杖を掲げた。一瞬、それは凄まじい力に満たされた。
「呪われた連鎖は絶たねばならぬ。我はアルデガンの長として、そなたに人として死ぬことを命じる。呪いに穢れた身から魂を解かれ、神の御元へ還りたまえ」錫杖がしだいに輝き始めた。
 リアは輝く錫杖を見上げていたが、やがてゆっくり瞑目した。光あせた空色の目が、絶望の帳に閉ざされていった。
「よい覚悟じゃ……」ゴルツの呟く声、そして低い呪文の詠唱。だが扉を激しく叩く音が、呼ばわる声がそれらを破った!
「隊長、ボルドフ隊長!」「アラード?」
 リアは驚いて目を開けた。ゴルツも詠唱を中断した。
「なにごとだ、騒々しい」ボルドフが開けた扉から赤毛の若者が飛び込んできた。
「見張りのガモフが行方不明です」「なにっ」「隊長がこちらへ向かわれてすぐ、代わりの者が上るまでの僅かな間に姿が消えたそうです。抜かれた剣がその場に落ちていました。ただごとではありません!」
「わかった」アラードに応えると戦士隊長は一同に告げた。
「手掛かりかもしれません。洞門へ戻ります!」
「頼むぞ、ボルドフ」グロスが応えた。
「行くぞ! アラード」返事がないためボルドフは振り向いた。「どうした? なにをしている」

 だが、アラードは目を見開いて立ち尽くしていた。
「リア。そんな、リアだったなんて……」
 赤毛の若者は蒼白だった。リアの顔色を映したように。
「なにかの間違いですよね、これは。リアが、まさか」
「間違いではない」グロスが答えた。「夜半過ぎ、リアは自室で吸血鬼の牙にかかったのだ。もはや助かるすべはない」
「助からない? そんな馬鹿な!」アラードは叫んだ。
「あなたがたはここでなにをしていたんですか? ただ集まって話し合っただけで、なんの手だても講じないなんて!」
「口が過ぎるぞ、アラード!」ボルドフが制した。
「おまえは吸血鬼の恐ろしさを知らん。我らはまずアルデガンの住人を守らねばならんのだ」
「リア一人さえ救えずになにをいうんですか! 吸血鬼を倒せば犠牲者は助かるというじゃありませんか」
「噂に過ぎぬ。確かめた者などおらん!」上擦った声でグロスが叫んだ。
「犠牲者が転化する前に吸血鬼を倒せた例など、これまでただの一つもありはせんのだぞ!」
「だから吸血鬼には手を出さないんですか? 野放しにするんですか? だったらこれからも、いくらでも犠牲者が出るだけじゃないですかっ!」

 アラードのその言葉がリアの耳朶を貫いた。絶望に凍りついた心が激しくゆさぶられた。自分のこの恐怖、この絶望。これは自分だけを襲うのではない。誰もが恐ろしい牙の餌食になりうる。今夜襲われるのは破邪の祈りを捧げる子供たちかもしれない。
 そんなことがあってはならない! リアは知らず立ち上がっていた。すべての視線が彼女に集まった。
「……私が助かるなどとは思えません。死ぬべき身であることは免れないとわかっています。でも……っ」リアの頬を一筋の涙が伝った。だが同時に、空色の目は激しい光を宿してもいた。
「私のほかにもこんな目にあう人が出るなんて、そんなことには耐えられません! 私はなんの役にも立てないのですか? このまま誰ひとり守れず、無為に死ぬしかないのですか!」

 しばしの重苦しい沈黙の後、やがて白い長衣をまとった人影が立ち上がった。アザリアだった。いつも穏やかなその顔は激しい葛藤に歪んでさえいた。一瞬の逡巡を見せた後、だがアザリアは胸を押さえつつ口を開いた。あたかも教え子の声に、言魂に射抜かれでもしたかのごとく。
「大司教閣下! たった一つ、吸血鬼の行方を知る方法があったはずです。一つでも手掛かりを得た上でなんらかの対策を講じるべきです」
「探知の秘術を使えというのか」
 ゴルツの言葉にあたりがざわめいた。
「探知の秘術? なんですか、それは」アラードがたずねた。
「吸血鬼とその犠牲者のいや増す精神感応を利用して、犠牲者の意識を足掛かりに吸血鬼の意識を探ろうとする術のことよ」
 アザリアが答えた。
「うまくいけば、吸血鬼に気取られず手掛かりを掴める可能性がある。でも、恐ろしい危険も伴うの」
「失敗すれば吸血鬼に気取られるばかりか術者が支配されることもあるではないか!」怒気で真っ赤なグロスの顔を、怯えめいた表情が一瞬よぎった。「そんな恐ろしい術を閣下に使わせようという気か!」
「しかも犠牲者の、リアの負担は大きい……」
 アザリアの目に、まぎれもない苦悩が浮かんだ。
「自分から吸血鬼の影響下に精神をさらけ出すのと同じなのよ。転化は確実に早まるし、相手に気取られれば最悪の場合、精神をその場で乗っ取られることになるわ」
「そんな、ほかに方法はないんですか!」
 アラードの叫びに、アザリアはかぶりを振った。

「……アザリア様はその呪文をご存じなのですね」
 リアの問いかけに、アザリアは小さく頷いた。
「一度だけ使ったことがあるわ。でもこちらの動きを気取られてしまい、相手に裏をかかれて探索は失敗した。そして今の私にはもう二度と唱えられない最高位の魔法。アルデガンでこの呪文を使えるのは、もはや大司教閣下だけ……」
 アザリアはリアの前に進み出ると、教え子にして名づけ子である少女の顔をまっすぐ見つめた。リアもまた師の視線を正面から受け止めた。
「成功する可能性は低い。しかも魂は確実に危険にさらされる。それでも吸血鬼の居場所一つでも知ろうとすれば、この方法しかないの。
 リア、誰にも無理強いできないことなのよ。あなたが安らかな死を願っても、責めることなど決して」
「アザリア様、私の心は定まりました」
 リアは答え、大司教の前に額づいた。
「お願いです。どうか私をお役立て下さい。そして私の魂を神の御許へお送り下さい」
「危険すぎます、閣下!」「よい、グロス」
 必死の形相で叫ぶグロスをゴルツは制した。
「アラードの申すとおり、アルデガンに侵入しうる相手を野放しにはできぬ。危険であろうと手掛かりは欠かせぬ」

 アルデガンの長は、リアに祭壇に横になるよう命じた。
「そなたを眠らせ夢を通じて接触する。その方が支配を受けにくいはずじゃ。力を抜き心を空にせよ」
 ゴルツは呪文を低くつぶやきながら少女の上に身をかがめた。たちまちリアの意識は暗転した。のしかかるように迫る老人の、眼窩の奥深く燃える緑の双眸も窺えぬまま。





  第10章 私室

 リアは寝台の上で目覚めた。頭の芯にかき回されたような痛みが残り、奇妙な疲労感が体にまとわりついていた。
 自分の部屋でないと察した少女が身を起こしたそのとき扉が開き、アザリアが水差しを持って入ってきた。
「ここは……?」
「私の部屋よ」
 そう答えつつ呪文の師は汲んできたばかりの冷たい水をリアにすすめた。水の冷たさが奇妙な疲労感をはらしたとたん、それまでの記憶がよみがえった。
「アザリア様! 探知は成功したんですか? 吸血鬼はいったいどこに?」
「あなたは意識を失っていたのよ」
 腰を浮かせたリアを制しつつ、師は続けた。
「意識のないあなたを通じて大司教閣下は吸血鬼が見聞きしているものを探られたの。洞窟にいるのは間違いないとおっしゃられたわ」
「いったいどんな相手なのでしょう。何かわかったことは?」
「あの術は術者自身にしか感覚が伝わらないし、深入りしすぎると相手に気づかれてしまうから閣下にもほとんどわからなかったはずよ。でも」アザリアは眉を寄せた。
「なにかあったんですか?」
「閣下は三人だけで洞窟へゆくとおっしゃるの。あなたと、そしてアラードだけをつれて」
 想像もしていなかった言葉に、リアは呆然としてただアザリアを見つめるばかりだった。そんな彼女にアザリアは気遣わしげな一瞥を向けた。
「閣下は洞窟に入るには少人数で身を隠しながらゆくしかない。だから僧侶の癒しや解呪の技、魔術師の術や探知の秘術もすべて身につけた自分がゆかねばならないとおっしゃるの。皆が反対したけれど、お聞き入れにならなかったわ」
「敵が手強いと考えておられる……、そうなのですね?」
 アザリアは頷いた。
「そもそも吸血鬼は普通の剣や魔法では倒せない、いくら倒してもすぐに復活してしまうおそろしい魔物で神聖魔法の解呪の技でその存在を禁じることによってのみ消滅させることができるのは知っているわね。でもあの術は神の秩序への絶対の信仰に基づく意思の力で呪われた存在それ自体を解体しようとする技だから、結局は敵の意思力との力比べになってしまう。閣下があそこまでおっしゃる以上、よほど強大な敵であると察しられたからとしか思えないのよ」
 重苦しい沈黙がおとずれた。

 自分を襲った黒い影がリアの脳裏にうかんだ。正体も姿も定かならぬそれは、いまや悪意と力のかたまりのように彼女には思えた。洞窟の奥底に待ちうける邪悪の権化のような影と対峙せねばならない自分があまりにも小さく無力に思えた。しかもこの身はしだいに恐ろしい影の力に取り込まれてゆくばかり……。
 絶望に屈しそうになった少女の耳に、アザリアの声がからくも届いた。
「あなたにあやまらなければならないわね」
 リアは意表をつかれ、どういうことですかと師に訊ねた。
「どちらが、いや、両方ね」アザリアは答えた。
「初めにあなたが宣告をうけたとき、私はあなたが殺されるのを見過ごそうとした。でもあなたの嘆願に負けて、吸血鬼の意識を探る探知の秘術のことを話してしまった。そのせいであなたは、死ぬより恐ろしい旅の門出に立たされている」
 アザリアは目をそらした。
「私は迷いに迷ったあげく、あなたの絶望を引き伸ばすことしかできなかったのよ……」
 集会場での出来事がリアの心に蘇った刹那、あの激しい思いが再び燃え上がり無力感を打ち破った。少女は身を起こし師の手を取って叫んだ。
「そんなことはありません。アザリア様はチャンスを下さったんです!」
 アザリアはリアのひたむきな視線を無言で受けとめていたが、いきなり華奢な愛弟子をぐいと抱きよせた。
 思いがけぬ師の行動へのとまどいは、しかし次の瞬間、奇妙に甘い香りへの驚きにとってかわられた。その香りのもたらした欲望がまったく新しいものだったので、すぐにはそれが知っている香りであることに気づけなかった。
 次の瞬間、リアは悲鳴をあげ身をもぎ離した。それが師の体に脈打つ血の匂いなのを悟って。
「私の友も、アルマもそうだったわ」
 アザリアは硬い声で告げた。脳裏に遠い、けれど忘れられぬ声を、言葉を甦らせながら。自分がそれを感じていることにリアは気づき慄いた。己が身が、そして生来の力までが、異常な変貌を遂げつつあるそれは証だったから。直接師の肉体に触れたことでかき立てられた魔性の力が、忌むべき感応力をかつてなき強さで発動させたことを見せつけるものだったから。
「あなたは敵と闘うだけじゃない。時間と、なにより自分自身と闘わなくてはならないのよ」
 耳朶を打つ師の言葉に、けれどリアは聞き取った。師の記憶の奥底から浮かび重なるもう一つの声を。恐怖と絶望に軋む無惨な震え声を。
”アザリア。どうなるの、わたし、こわい……”
 瞬間、いまの接触で流れ込んだアザリアの記憶がリアの意識を圧倒した!


 栗色の巻き毛の小柄なアルマはアザリアと並び称された魔術師だった。同期生だった二人はすでにアルデガン最高の魔術師と称えられていたが、天分ではむしろアルマの方が上だった。
 だがもともと温和な性格のアルマは戦いの修羅場が続く中で神経をすり減らし、なにかとアザリアを頼りにしていた。高位魔術師であったゆえ彼らは同じパーティに入ることはできず、それぞれが自分の仲間たちの生死を預かる重責を双肩に負い心身を削る戦いを続けていた。

 ある時アザリアは過労のあまり高熱を出し命さえ危ぶまれる容態となった。アルマはアザリアの欠けた穴を埋めるためより多くの戦いに駆り出された。
 そんなある日、アザリアのパーティに加わったアルマは吸血鬼の毒牙にかかってしまった。仲間たちの死に物狂いの抵抗でなんとか地上に帰還できたものの、ラーダ寺院の一室に閉じ込められるほかなかった。
 意識を取り戻したアザリアがこのことを知ったのは、事件からもう幾日も過ぎたあとだった。未だ熱の下がりきらぬ体を引きずり彼女はアルマのもとを訪れた。見るも無残にやつれ果てたアルマの姿にアザリアは思わず彼女を抱き寄せ詫びようとした。
 そのときアルマは血の凍るような叫びを上げ、アザリアの腕をもぎ放した。牙の伸びつつある口元を押さえ、恐怖と絶望に塗りつぶされようとする目で、打たれたように立ち尽くすアザリアにアルマはいったのだ。
”アザリア。どうなるの、わたし、こわい……”


 アザリアは頭を振り忌むべき記憶を追いやると、右腕にはめていた紫水晶の腕輪をはずした。ようやく我に返った少女に、師はそれを差し出した。
「これをつけていきなさい、リア」
「だめです! それは支えの腕輪」
「そう、人間の意思の力を高め魔力を強める腕輪。この腕輪のおかげで、こんな私もあなたたちに魔法を教えるだけならなんとかこなしてこれたのよ」
 アザリアの唇にかすかな自嘲が浮かんだ。
「だからこそ、今のあなたに必要なのよ。これはあなたの意思を強める。敵の支配の意思や魔力にあなたが抵坑しようとするとき必ず力を与えてくれる」
 アザリアはリアの右腕に腕輪をはめた。触れたその手を通じ、師の思いが伝わってきた。
「でも、これはあくまで支えにすぎない。あなたに何らかの意思があってはじめて力を発揮するものなのよ。忘れないで」
「アザリア様、私……」
「いいのよ」アザリアは制した。
「私はこれからアルデガンの外へ出向かなくてはならない。人間相手に魔法を使うわけにはいかないのだから」

 鐘楼から正午の鐘がきこえてきた。
「いかなければならないわ、もう。私も、あなたも」
 アザリアは椅子から立ち上がった。
「別々の道を行くことになってしまったけれど、どこかで思いがけない会い方をするような、いえ、そうなりたいものね」
「あの、一つだけ教えて下さい。そのお友達の方はどうなられたのですか……?」
 慄きを隠せぬ愛弟子の、あのアルマの言葉にも似た問いかけにアザリアは思わず目を伏せたが、意を決し姿勢を正した。癒えぬ古傷のごときその痛みに、窺いきれなかった結末を不安のあまり問わずにいられなかった己を悔いるリア。だが時遅く、恐るべき答えが耳に届いた。
「アルマを襲った吸血鬼は私たちを嘲笑いながら洞窟の中を逃げ回ったわ。奴に追いつけずにいるうちに彼女は恐怖に擦り切れて絶望に屈し、とうとう吸血鬼に精神を乗っ取られて襲いかかってきたの」
 立ち上がったアザリアは扉を開き、背を向けたまま告げた。
「私が焼き尽くしたのよ。この手で、アルマを」
作者:ふしじろ もひと
投稿日:2017/05/13 05:56
更新日:2017/05/13 05:56
『封魔の城塞アルデガン』の著作権は、すべて作者 ふしじろ もひと様に属します。

目次 次の話

作品ID:1951

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