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作品ID:1919
「遥かなる海辺より(付章:ヴァルトハールの滅亡)」へ

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ふしじろ もひと ■バール 


遥かなる海辺より(付章:ヴァルトハールの滅亡)

小説の属性:一般小説 / 未選択 / 感想希望 / 初級者 / 年齢制限なし / 完結

前書き・紹介


付章の3(『鉄鎖のメデューサ』第13章)

前の話 目次

「私は色の変わった水の底に沈んで動かぬ人魚の姿を幻視した。神の声はそれが海辺の民の村ルードでの出来事であると告げた。ちょうど私は大陸南部を旅していたから、ルードの村はすぐ近くだった。だから詳しい話を聞こうと思い、私は村を訪れた。
 今から思えばそれが間違いだったのだ。ルードの民は殺気立っていた。私が敵でないことをわかってもらうだけで、大変な時間を費やしてしまった」
 黒髪の尼僧は目を閉じた。過去の出来事をまぶたに思い描いているらしかった。

「その人魚が村に現れたのは三百年前のことだった。突然水が引き干上がった入り江に驚いて様子を見に来た村人たちの眼前に、人魚はその姿をさらしていた。そして津波が来ることを警告したという。おそらくかなり前から近くで気取られずに暮らしていたのだろう。その人魚は言葉を話すこともでき、人間が水の中では生きられないことも知っていた。
 ほどなく村を津波が襲ったが人々は高台に逃げて難を逃れた。そして人魚は小さな入り江に棲みついた。村人たちは人魚を命の恩人として大切にした。人魚もそれに応えて潮の流れの変化や海の様子を村人に知らせた。そのことがルードの村に豊漁と繁栄をもたらした。
 やがて年月がたつに従い人魚の長寿が明らかになってきた。村にやってきたころ赤子だった者が長老になっても、人魚の姿には変化がなかった。人々は人魚を守り神とみなすようになった。噂がしだいに広まり、沿岸の村からは小さな入り江に巡礼する者も出るに至った。いつしか豊漁と長寿をもたらす小さな神に人魚は奉り上げられたのだ。素朴な感謝の念だったものが神秘的な存在への畏敬に転じていった」
 ラルダの話を聞きながら、ロビンは神様扱いされることを人魚はどう思っていたのだろうかと考えずにいられなかった。少年のそんな思いを見て取ったのか、黒髪の尼僧は少年とダブダブの服に身を包んだ小柄な妖魔に視線を向けた。

「人間と魔物が関係を築くことはそれ自体が稀なことだ。どんな形であるのがいいのか容易には答えが出せない。その寂寥ゆえに人間にまで近づかずにいられなかった人魚にとって、畏敬の対象となることはあるいは本意でなかったのかもしれない。
 けれど両者が異質な存在である以上、ふさわしい距離をおいて接することが結局は幸せなのではと私は思う。かけ離れた宿命に生きることが明らかになった以上、海辺の小さな神であり続けることができれば、それが最善だったのかもしれない」
 言葉を切った白い顔が中空を仰ぎ、緑の瞳が再び瞑目した。

「だが小さな入り江の長命な人魚の噂は、いつしか沿岸ばかりか内陸にも伝わり始めていた。そして海の恵みを得て生きるのではない内陸の人々にとって、海の様相を告げるものとしての人魚は関心の埒外だった。不老不死の神秘的な存在としてのみ語り伝えられた。そしてかつては狩猟の民だった彼らの間では、しだいに人魚の血肉に不老不死の力があると考えられるようになった」
「……それは、まさか人魚を食べたら死ななくなるって、そういうことなの? 本当なの?」
「本当なわけがないだろう! 種族の理はそんな安易なやり方で乗り越えられるものじゃない!」
 激しい口調にロビンはたじろいだ。背後のクルルも後じさりした。気づいたラルダがすまないとつぶやいたが、その緑の瞳には憤りの炎が抑えようもなく燃えていた。

「たしかに不老不死は人間にとって究極の願いの一つだ。しかもそれは、この世の美酒を享受する立場にある者ほど強く願うことでもある。どこでどう聞きつけたのか、中原で力を伸ばし始めた一人の領主がその願望に呪縛された。今の力に満ちた自分がそのまま永遠の生命を得たなら、もはや思いどおりにならぬものなどこの世にあろうはずがないと。領主がルードの村に差し向けた手勢は夜影に紛れて小さな入り江に痺れ薬を大量に流した。そして動けなくなった人魚を空いた樽に押し込めているところを村人に見つかった。聖地を汚し守り神を奪おうとする外敵に立ち向かうため集まってきた村人たちを彼らは容赦なく斬り捨て、逃げ惑う人々を蹴散らした馬車は主の待つ城にひた走ったのだ」
「その直後に村に来たせいで、私は村人に疑われ大きく出遅れてしまった。追う間も分れ道をどう行ったか、正体は何者なのかも調べねばならず、差を縮めることができなかった。もはや城に入るまでに追い付くことはかなわなかったが、たとえ城の外から叫んででもやめさせなければならない。その一念に支えられ、私はひたすら馬を駆り立てた。何日そうして駆け続けていたか、もう自分でもわからなかった。ついにある真昼どき、私は天頂からの光をいっぱいに受けた領主の所領にたどり着いた。
 領地の入り口に続く丘を登り切ると陽光に輝く居城が望めた。だが丘を駆け下りようとしたとたん、凄まじい一撃に胸を打ち抜かれた。もんどりうった馬から放り出されて、私は昏倒した」
 その時の衝撃を思い出したのか、黒髪の尼僧は胸に手を当てて身を震わせた。唇さえ完全に色を失っていた。

「気がついたときはもう黄昏だった。城の彼方に沈みゆく太陽が赤く昏い光を投げかけていた。輝きを失くした城は黒い影の塊と化していた」
「馬は死んでいた。馬だけではなかった。地面のあちこちに鳥が翼を投げ出したままころがっていた。赤黒い光に染まったそれらの骸は血まみれのように見えた。だが、実際には血を流しているものは一つもなかった。もちろん私の胸にも傷一つなかった。
 なにが起こったのか、もうわかっていた。私が死なずにすんだのは神の加護に違いなかったが、起こるかもしれないことを私が知っていたせいでもあった。心のどこかで私はあの恐ろしい衝撃に身構えていたのだ。だが、他のものは助からなかった。そんなことなど知るべくもなかったのだから」
「赤い地獄のような恐ろしい世界を私はのろのろと進んだ。もうわかっていることをただ確かめるためだけに。領内のいたる所に無傷の死体が折り重なっていた。人も、獣も鳥も区別なく、流すことのなかった血のかわりに赤い光に染め上げられていた。真昼の太陽の下でのあの一瞬に颶風のごとく吹き荒れた死の爪跡が、ただどこまでも広がっていた。昏さをいや増す赤い大地を渡った私は、ついに影に呑まれた城の前に立った」
「見張り櫓から落ちたらしい衛兵が通用門の鍵を持っていた。影の落ちた城の中にも生き残ったものはいなかった。人間も軍馬も家畜も、犬猫やかごの鳥、果ては調理場の鼠に至るまで、傷なき骸と化していた。
 とうとう私は大広間に出た。高段に置かれた豪奢な玉座でこと切れていた男が張本人に違いなかった。その前の床に折り重なった骸の中に、ただ一つ血を流しているものがあった。小さな神と敬まわれた人魚だった。心臓を一突きにされていた。かたわらの呪い師の手が死してなお、紋様を刻んだ金杯を握っていた。心臓からの血を受けようとしたと一目で知れた」

「……おそらく、殺される寸前に人魚は意識を取り戻したのだろう。自分の置かれた状況もほとんど掴めないまま、胸を剣で貫かれたのだろう。その一瞬の苦悶が、死の苦痛が、その力に乗って爆発した。それがあの死の衝撃だ。感覚にじかに襲いかかった死の苦悶があらゆる生き物を死に至らしめたのだ。たった一人の男が不老不死の幻想に憑かれたせいで、海の民を殺してまで奪った人魚を無残に手にかけたばかりに、無辜の領民までが全滅した。最悪の結果というほかなかった」
「私にできることはもうなかった。乗ってきた馬も死んだいま、人魚の亡骸を運ぶすべもなかった。海から遥かに遠い山裾の麓を流れる川辺に、骸を憩わせるのがやっとだった。緑の髪を一房、私はルードの村に持ち帰った。海辺の民は小さな守り神の死を悼み、入り江の岩の上に祠を建てて人魚の髪を祀った」

「……これが二度目の啓示のてんまつだ。私の力が及ばなかったばかりに、起きてしまったできごとだ……」
 ロビンは呆然としていた。疲れたように口をつぐんだラルダの顔に浮かぶやるせない表情を、ただ言葉もなく見つめていた。

                           了

後書き


作者:ふしじろ もひと
投稿日:2017/01/21 02:23
更新日:2017/01/21 02:23
『遥かなる海辺より(付章:ヴァルトハールの滅亡)』の著作権は、すべて作者 ふしじろ もひと様に属します。

前の話 目次

作品ID:1919
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