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作品ID:786
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Reptilia ?虫篭の少女達?

小説の属性:一般小説 / 未選択 / 感想希望 / 初級者 / 年齢制限なし / 休載中

前書き・紹介


第一章 日常に生きる少女 9

前の話 目次 次の話



 サキは早河達と別れた後、なんとなしに目に付いた廃工場の煙突に昇って、頂上の煤けた縁にぼんやりと座っていた。陽射しは相変わらず厳しいが、風が強くて汗は引いている。背後でぽっかり口を開けた穴から、ひゅうひゅうと不気味な風鳴りがうるさい。

 煙突は天に向かって高く聳え立ち、頼り気の無い鉄梯子を昇り切ると、空の国にやってきたような錯覚を起こす。虫篭の街の全体が見渡せて、さらにピーカン日和ならば東京湾の向こう、都心に並ぶビルやタワーの全景が見え、その奥に連なる山影まで眺められる。鳥の視界が丁度このくらいなのだろう。随分、寂しい風景だと思った。

 サキは狭い縁に器用に腰を乗せて膝を抱えていた。空を吹き渡る風が好き勝手に体をなぶるが、前髪や襟足が鬱陶しく踊る事がなくて気分が良かった。やっぱり、髪は短い方が落ち着く。

 自分はいつまでこのままなのだろう。

 彼女の頭の中ではずっとその自問が続いている。もちろん、早河の叱責が効いていたのだ。

 十六歳か……。そう呟いて、溜息をつく。

 ゆっくり流れていく雲を目で追いながら、サキは珍しく物思いに耽り、風船ガムを噛んだ。空が近くて、雲が深緑色の海原と虫篭の海岸線に影を落としているのがよくわかる。米粒のような自動車が列をなして本土へ架かるブリッジに流れているのも見えた。抜群の視力を誇るサキの眼は、しかし、今はその日常的な営みをただ漫然と見送るだけしか機能していなかった。つまり、思考は遠くへと切り離されていた。

 確かに、自分はもう子供ではない。体も大きくなったし、幾分か冷静に物事を考えられるようにもなった。昔とは違う。ある種、醒めたような、淡白な目線で虫篭を見下ろしている。変わったものだらけだ。

 変わっていないものってなんだろう?

 つまり、まだ自分に残された子供の部分。

 サキは考える。

 真っ先に思いつくのは……、やはり、真澄だろう。真澄のことは今も大好きだ。あんなに温かい人を他に見た事がないし、決して自分は彼女のようになれないから、羨ましくもある。先生も言っていたが……、あれが、『お母さん』というものに近い存在だと思える。

 それから、この生活。暴力に染め上げた生活。他人を傷つける習慣……、それに罪悪感を覚えた事は一度もないと断言できる。獣が小動物を襲うようなもの。生の持続に必要な行為だと割り切っている。この虫篭は、サバンナなのだ。ある意味では、子供に似つかわしくない達観めいた動機だとも思える。一つの真理だと信奉している節もあった。

 人はなぜ大人になるのだろう?

 そして、なぜ大人は子供を許せないのだろう?

 なぜ、子供のままで死を迎えられないのだろう?

 なぜ……、わざわざ醜い生命への進化を望むのだろう……?



 やめた。

 せっかく、気分が良かったのに、わざわざ台無しにすることはない。

 飛躍する滅裂な思考を遮断し、サキは風船ガムを膨らませた。自己記録を更新する傑作ができたので、少しだけ気分を持ち直した。



 しばらく煙突の頂上で無為な時間を過ごした後、サキは街へ降りてぷらぷら歩いた。念願のクリームソーダも買って食べた。甘くて美味く、ソーダにアイスを突っ込むという先人のアイデアに密かに敬服したりして過ごした。

 そうしている間に日が暮れて、空は紺碧色に染まる。街は夜光虫が電灯に群がるような賑やかさを帯び始めた。虫篭が本格的に騒ぎ始めるのは決まって夜である。この法則だけは、しかし、他の都市とも大して変わらないだろう。

 アーケード街には帰路を急ぐサラリーマンや買物道楽が過ぎた主婦らでごった返しているが、サキがそこに踏み込むとなんとなく人波が分かれる。そして、すれ違う者は遠巻きにサキを眺めて、そそくさと歩を速めていくのだ。当のサキはその目線にはすっかり慣れて、とうに無関心であった。

 パチンコ屋の脇の路地へと入り、高架下をくぐって、やがて駅の東口の物騒な街区へと入る。この辺は大政組構成員はもちろん、それ以外にも麻薬の売人や素性の知れない外人がうろうろしていて、虫篭の比較的善良な市民は足を踏み入れない。たまにサキもここで見ず知らずの人間に絡まれるが、大抵の者は既にサキを認知していて目も合わせない。サキも彼らを眼中に入れず、潰れた映画館の隣に建つ雑居ビルにまっすぐ向かう。

 その店へ近付くまでに単車乗り達が数人口笛混じりに声をかけてきたが、サキは全て無視した。下っ端達だということはわかっているし、下っ端だからこそサキの事を知らずに声をかけてきたのだろう。

 店の前にはバイクがひしめき合って停まっている。仄かに明かりの漏れる地下への階段からは既に音楽が響いていた。古いロックンロールだ。

 その店はクラブハウスである。階段の天井からつり下がった小さな看板には『3104丁目のダンスホール』というセンスの欠片もない店名が記されている。ここを貸し切っている男に用があってサキはやってきた。そうでなければ彼女はクラブなど行かないし、音楽にもダンスにも興味がなかった。

 冷たい石壁に挟まれた階段を地下へ降りる。騒音はさらに激しさを増し、サキは顔を顰めた。常人と比べて聴覚も鋭いサキには既に公害レベルである。頭痛を招くような低音の連続がまるでこの世のものとは思えない。さながら化物の慟哭のようだ。ここに夜通し居座れる神経が強化人間であるサキにはなかった。

 扉の脇に座る若いスタッフがサキを見てギョッとしたものの、すぐに平静を取り繕い、「一弥だね?」と訊いた。

 サキが頷くと、すぐにスタッフが扉を開けて中へ消えた。開いた瞬間、物凄い音圧に当てられてサキは奥歯を噛み締めて耐えた。やがて扉が開き、金髪を逆立てた男が取り巻きを二人連れて現れた。

「よう、サキ」 男がにこやかに両手を広げて見せる。指には火のついたガンジャを挟んでいた。

 その金髪の男が一弥である。虫篭を縄張りとする暴走族(彼はギャングだと自称しているが、サキには二つの違いがよくわからない)の総長で、虫篭の深夜に鳴り響く単車の騒音は彼らによる仕業だ。まだ十九歳と若いが、喧嘩に関しては恐らく、サキを除いてこの街のチンピラの中で最も強い。気取ったようなサングラスを常に掛けていて、腕や首周りにもじゃらじゃらと派手なアクセサリーをしている。サングラスの下の眼付きは異様に鋭いが、サキの前では決まっておちゃらけた表情を浮かべている不思議な男だった。彼は単車で街を流す以外は大抵、『3104丁目のダンスホール』を貸し切りにして夜を過ごしていた。

 もちろん、サキは彼もノしてやった事がある。確か三年ほど前の事だ。理由はあまりにうるさかったのと、あまりに目障りだったからである。総長である彼とタイマンを張り、睨み合ってから二秒でケリがついた。サキの膝蹴りが彼の鼻を打ち砕いたのである。

 ただ、厄介な事に彼の整った鼻だけでなく、彼のハートまで打ち抜いてしまった。その日以来、彼はサキに何かと友好的に付きまとうようになった。サキにはいい迷惑だったが、不思議と彼の人格を拒絶する気にはなれなかった。しかし、なぜ彼が敗北を示した相手である自分に好意的に接するのか、サキには未だに理解できない。

 その理由について敢えて述べると、気付いていないのはサキだけであるが、大方の予想通り、一弥は密かにサキに惚れていたのである。

「うるさいか? 外出るか」 彼は仏頂面のサキを見て提案する。

 二人で階段を昇った。一弥は取り巻きを店に残した。

 地上へ帰還するなり、サキはがま口から二万円を取り出し、一弥に差し出した。

「これ、今月分」 彼女は無表情に言う。

「おいおい、いらねぇって言ってんだろ」 一弥は苦笑して、ガンジャを吸う。 「お前からは取らないよ。俺より強ぇくせして」

 サキが差し出す金は、所謂“シノギ代”という奴だ。大政組の存在を無視すれば、この街は一弥達暴走族の縄張りである。彼女のように恐喝、強請、喧嘩をしている者達が一弥達の制裁を恐れて見逃してもらう為の金であった。

 いつからかも忘れたが、サキは一弥にこのシノギ代を自発的に払うようになった。月に二万円という額だ。理由は彼女自身よくわからない。ただ、一弥の豪快にして懐の深い性格に起因した感情であるのは間違いない。しかし、彼の期待と反してそれに恋愛感情は微塵もない。

「いいから受け取れ」

「よかねぇよ、お前。もしかして俺の面子立てる為に払ってんのか?」 彼は肩を竦める。 「頼むからやめてくれ。俺が惨めだろ」

「わたしが事を起こす度、あんたらも迷惑被ってんでしょ」 サキはぐいっと諭吉を二人押し付ける。

「わぁ、お前がそんな事考えてくれるなんて!」 一弥はオーバーなアクションで仰け反る。頬を赤く染めた。 「びっくりだわん!」

「……何だったら受け取ってくれる?」

「そうだな……、強いて言えばお前の処女とか」

 間髪入れずにサキは彼の鳩尾に蹴りを入れる。一弥は苦悶に顔を歪めて膝を付く。

「じょ、冗談……」

「次言ったら頸椎折るからな」 サキは冷徹に吐き捨てる。

「わかったよ……、とりあえず今回は受け取るが、来月こそはいらねぇぞ」 一弥は息絶え絶えに言った。

 払うつもりであったが、彼女は頷いた。

 サキは傍に停まっていた一弥の単車のタンデムに腰を置く。一弥も電柱に気障な仕草で寄りかかって、ガンジャを吹かした。

「砂原が帰ってきたの、知ってる?」 サキは尋ねた。

「知ってるよ。あのおっさんの噂はすぐに広まる」 一弥は事も無げに言った。

 一弥を筆頭とする族の主力達はほとんど大政組と絡んでいる。一弥も昔、砂原にスカウトされたらしいが丁重に断ったらしい。今は、大麻やLSDなどのドラッグを流してもらって売上金を収めている。つまりピラミッド形式の関係図で、大政組は彼ら暴走族の(当然であるが)上位に位置する存在だった。

 だが、もちろん、一弥達は大政組を恐れていた。特に、砂原という人物を。一弥達のチームの下っ端が何かの拍子に大政組にちょっかいを出して行方不明になった事もある。真相は知れないが、砂原が噛んでいるのは間違い無かった。恐らく、海に沈められたのだろうとサキは考えている。

「最近、ヤクザ共が妙にそわそわしてるんだ」 一弥が出し抜けに言う。 「何か始まるのかもしれねぇ」

「抗争とか?」

「さぁな……」 一弥は首を傾げる。そして、吸っていたガンジャをサキに向けた。 「吸うか?」

「いらない」 サキは即答した。

 サキは麻薬はやらないと決めていた。酒も煙草も嗜まない。彼女の特異な肉体がそれを受け付けないのである。大麻だけなら先生の影響で興味本位に吸った事があるが、三日三晩嘔吐し続けて高熱を発症した。あれほど苦しかった事はない。アルコールもニコチンも匂いを嗅いだだけで酷く気分が悪くなる。

「……とにかく、何か起こると思うぜ。でけぇヤマだろうな」 一弥は手を引っ込めて言った。

「島知事が変わるんだってさ」 サキは思い出して言う。

「それが関係してんのかもな」 一弥はぼんやりと煙を眺めている。興味がなさそうだった。実際、彼にもサキにもあまり関係があるとは思えなかった。

 サキは何となく、真澄の顔を思い浮かべた。何故だか胸がざわつく。熱を籠もらせた夜の大気がそんな雰囲気を作り出していた。

 今日は来るなと言っていたが……。

 様子を見に行こうと思った。無性に会いたかったし、それに砂原の事が強く引っ掛かっていた。



後書き


作者:まっしぶ
投稿日:2011/06/29 00:43
更新日:2011/06/29 00:43
『Reptilia ?虫篭の少女達?』の著作権は、すべて作者 まっしぶ様に属します。

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